北海道北部に位置する名寄市では6月中旬、アスパラガス収穫の最終盤を迎えていた。遠藤貴広さん(40)の畑でも、作業員が土から伸びたアスパラの根元を鎌で切ってカゴに入れていく。その中の一人が、チリ人女性のホセフィーナ・ダイュールさん(29)。腰をかがめて一本一本刈り取る作業に、カタコトの日本語で「コシ イタイ」と笑った。
ダイュールさんは1月、子どもたちにバイオリンを教えるために来日した。新潟などで教室を開いていたが、新型コロナウイルスの感染拡大で中止に。チリの感染状況が深刻なため帰国もできず、知人を頼ってなんとかたどり着いた。
名寄市の農家は1996年、収穫の繁忙期の担い手として、中国からの研修生を受け入れ始めた。制度が変わってからも外国人技能実習生として続け、今年も4月、農家27戸に51人の実習生が来日する予定だった。ところが、コロナの影響で吹き飛んだのだ。
遠藤は「実習生2人が来られなくなって困っていたところ、母国に帰れない外国人を雇う話が来た。いまでは周辺の農家で20人以上が働いている」という。
コロナ危機で大きな影響を受けたのが外国からの働き手と彼らを必要とする雇用主だ。中でも日本の農業は実習生への依存が強まっており、持続可能性の危うさが浮き彫りになった。
冬は英語が「公用語」になるほど外国人のスキー客で盛り上がるニセコ。6月下旬に訪れると、例年は観光客でにぎわう街は閑散とし、ほとんど人通りがなかった。新型コロナを恐れ、3月ごろから各国が相次いで「鎖国」に踏みきったからだ。外国からの観光客がぱったり来なくなり、ホテルやスキー場で働いていた多くの外国人が解雇された。職を失い、帰国もできない人たちは「ニセコ難民」とも呼ばれ、企業などがスープとパンを無料で配布したほどだ。
そんな不安定な立場に置かれた外国人が向かったのが、中国やベトナムの技能実習生が来られず困っていた農家だった。SNSやメールで求人情報が流れ、道内各地で働いているという。
ニセコ近くの仁木町でミニトマトやサクランボを栽培する嶋田茂さん(62)は、中国人実習生3人が来日できず、ニセコのスキー場を解雇された台湾の女性(22)らを娘のつてで雇った。「手もぎで収穫に人手がかかるので助かった」と胸をなでおろす。
北海道農政部によると、道内の農家は高齢化や後継者不足などで戸数が減り、農地の大規模化が進む一方だ。農業を維持するには、どこからか働き手を連れてくるしかない。ただ、冬の間は雪のために農作業ができず、人手が必要なのは6~8カ月間だけ。通年で雇われたい日本人は集まりにくいという。
多くの農家が人手の確保に苦労する中、ぎりぎりで実習生の到着が間に合ったのが夕張市のメロン農家だ。新型コロナへの心配が広がってきたころ、中国から来日できなくなる恐れがあると、実習生を手配している監理団体の「東日本国際交流事業協同組合」が、急きょ航空券をかき集め、予定を2週間早めて2月5日に68人を入国させた。
夕張でも実習生の存在は大きい。JA夕張市営農推進課の澤村知範さん(39)は「市内の農家の96%がメロン栽培だが、高齢化と後継者不足は深刻だ。メロン農家の数は103戸と、30年間で3分の1に減った」と説明する。60棟のビニールハウスでメロンを栽培する舟津勝さん(61)は「すべてが手作業なので人手がいる。夕張メロンを守っていけるのは実習生のおかげだ」と言い切る。
ただ、今年は乗り切れても、まだ人の往来が本格的に戻る時期は見通せず、来年以降の不安は残る。さらに実習生の来日が再開できても、労働力を安定的に確保できるか心配があるという。
事業協同組合の専務理事、鶴嶋浩二さん(56)は「中国の生活水準はどんどん上がり、月に10万円を稼ぐのも難しくなくなった。月十数万円の収入のために日本に来る魅力は薄れている」と話す。
この数年で、実習生が安い労働力という感覚ではなくなったと実感する。しかも北海道の最低賃金は、東京や大阪などの大都市より100円以上低く、都市部に人をとられがちだ。中国からの実習生がいなくなる日も近いかもしれないと思うようになった。
「ベトナムは平均年齢が30歳前後と若いのでなんとかなっているが、それも10年もつだろうか」