――新型コロナウイルスが世界で拡大しています。監視の状況をどう見ていますか。
新型コロナウイルス対策として、多くの政府が異次元の監視に着手しました。韓国では個人の携帯電話の位置情報を政府が直接入手し、匿名とはいえ感染者の年代や性別、いつ、どこに、誰といたかといったデータを公開しています。
報道によれば、韓国では、夜の10時にどこのカラオケボックスに60代男性と40代女性がいたといった情報が公開され、これは誰だという感染者捜しや、この人たちは浮気していたのではといった、いらぬ想像をかき立てることにもつながっているようです。
中国では位置情報からアプリが個人の感染を予測し、外出が禁止される場合があります。政府が個人の位置情報を追跡するには通常、刑事司法手続きによって裁判所の令状が必要ですが、コロナ対策では法的手続きなしに繊細な個人情報を政府と関連企業が入手する傾向にあります。日本が導入した接触者追跡アプリは技術として確立されておらず、感染防止効果が未知数なうえ、個人情報が将来、本人に不利益な形で使われないという保証はどこにもありません。
コロナが拡大する前からこういう技術はありましたし、GPSを使って位置情報を使うこともできました。でも、これだけ大規模に、本人の合意をえず、「感染対策」だとして位置情報を使うのは、まったく新しい展開です。これまで特に欧米諸国では、政府が直接、個人の所在を知るためのハードルは高かった。コロナをきっかけにそれが低くなってきている。それが監視研究やデータ、プライバシー研究者の共通認識だといっていいと思います。
――日本でも、コロナウイルス感染者との接触を事後通知する携帯アプリが導入されました。ダウンロードするかどうかは任意ですが、どんな課題があると感じていますか。
日本のアプリは、韓国などのように位置情報を直接入手しないので、プライバシーに配慮していると政府は強調しています。近距離無線通信ブルートゥースを使って、1メートル以内に15分以上あった可能性のある端末を、ランダムな符号の形で自分の携帯内に記録。コロナの陽性判定を受けたことを入力すると、近くにいた可能性がある人に通知が届くというものです。
ですが、ブルートゥースは接続が安定しないという人も多くいます。コロナに感染した人に近づいていないのに記録される人、反対に近づいたのに記録されない人も出てくるでしょう。技術的に安定しておらず、実際にアプリの不具合が続いています。
また、厚労省は、接触に関する情報は外部には提供されない、としています。ただ、こうしたデータをアプリ会社が利用したり、他社に提供したりすることは本当にないのか。過去20年、多くの個人データが本人の知らないところで利用され、流出してきました。アプリのプライバシーポリシーに書かれた説明だけでは、データの安全性が保証されているとはいえないでしょう。
――コロナ感染の情報もそうですが、健康に関するデータが最もセンシティブな情報だと言われるのはなぜですか。
健康データはその人そのものです。身体に関するデータは、知られたくない人に知られた場合に深刻な被害につながります。これまでも、ハンセン病や精神疾患、被爆した人が家族にいる場合、就職や結婚で差別されるケースが社会問題になってきました。糖尿病などの持病も、就職のとき雇用側にわかれば採用のハードルになるかもしれない。こうした健康データが欲しいのは、特に保険会社や銀行など、リスクを回避したい業種です。保険会社は既往症がない人を保険契約者にしたい。特定の病気があれば保険加入を拒否されたり、高い掛け金を払わされたりすることもあります。銀行も融資するときはきちんと返済できるかを知りたいので、働き続けられる健康状態かどうか知りたい。また、製薬会社や医療業界は、商品やサービスを売り込むために、個人の健康データを強く欲しています。
コロナに感染した人を社会全体がたたく風潮が現れ、いかに健康情報がセンシティブなもので、公になれば制裁を受ける危険性があるかが、はっきりしたのではないでしょうか。
――2001年に起きた米同時多発テロが、世界的な監視強化の転換点だったといわれます。監視という観点から、この約20年間をどう振り返りますか。
同時多発テロ以降の流れで、始まったのはテロ対策でした。講演などで話すとよく、「テロ対策の監視ならいいのでは」と言われます。
2013年に、米国家安全保障局(NSA)が、大規模な情報監視をしていることが、NSAの元契約職員エドワード・スノーデンの告発によって明らかになりました。NSAはテロ対策以外に外交・経済盗聴もしていることがわかりました。私がスノーデン氏にインタビューした際、彼はテロ対策のための情報なんて、「全体のほんの一部だ」と話していました。
この20年で、世の中は大量監視によって少しでも平和になったでしょうか。大量監視をすることで、本当にテロを未然に防ぐことができたのか。スノーデンの告発をきっかけに、大量監視の効果を検証したアメリカの大統領諮問機関は、答えをノーと出しました。
発展途上国ではこれまでも、マラリアやHIV、結核で死者が多く出ていました。感染症の問題は以前からあったのに、今回欧米の内部に新型コロナが飛び火するやいなや、接触者アプリの開発など、個人を追跡するビジネスが一気に高まりました。同時多発テロの時と同様に、このコロナ危機をきっかけに新たな息苦しさを生む監視の10年、20年がつくられていかないように、監視研究者として警鐘を鳴らさなければいけないと感じています。
――SNSの普及などで、「見る」「見られる」が日常になり、監視は身近なものになりました。抵抗感も薄れていると感じます。私たちはどんなことに気をつけるべきなのでしょうか。
これまでの政治経済のしくみの中でつくられてきた問題が、コロナをきっかけに露呈しています。例えば、医療はなぜここまで貧困になったのでしょうか。保健所を激減させた結果と向き合い、必要な公衆衛生サービスを復活させるべきでしょう。コロナの検査態勢を整える政治がないのに、接触者追跡アプリで人々を「見張る」なんて、傍流であって本流の話ではありません。公衆衛生の専門家による接触者追跡は、大慌てでつくったアプリより正確です。いまある政治の問題を隠すための目くらましと、経済効果のために監視技術が使われている、と感じます。
監視は両義的なものです。「見守り」のコインの反対側には「監視」の側面があることを認識する必要があります。例えば「見守り」のため、子どもの居場所を把握するのと同じ技術が、政府が感染者を、会社が従業員を、警察があなたを監視するのにも使えます。政府も企業も「見守り」の部分は宣伝しますが、「監視」の部分は隠します。まずは問題の原因を見極め、技術が目的にかなっているか、悪影響はないかを考えるべきでしょう。さらに、テロ対策でもコロナ対策でも、手軽な技術が本当に社会全体の問題を解決するのか、むしろ根本的な原因から目をそらさせ、問題を悪化させないかまで、考える必要があるでしょう。
おがさわら・みどり ジャーナリスト、社会学者。朝日新聞記者として個人情報問題に取り組み、現在、オタワ大学特別研究員。GLOBE+で「データと監視と私」連載中。