「ぐっすり眠っているので、〇〇さんのオムツ交換はもう少し時間をおきましょう。□◇さんは、今ちょうど目を覚ましているのでトイレにご案内しましょう」。深夜、入居者のケアを担う職員はスマホをチェックしながら居室に向かう。そんな風景が日本で、一気に広がる。
2015年の「ワタミの介護」などの買収で、今や国内屈指の介護事業者になったSOMPOケア。今年5月、「介護付きホーム」約1万8千室すべてに、医療・介護用ベッド国内トップのパラマウントベッド社製の「眠りSCAN」を導入すると発表した。
この製品は、マットレスの下に設置されたセンサーで寝ている人の体動を検出してデータを送り、「睡眠」「覚醒」「起き上がり」「離床」といった状況、心拍や呼吸の数を携帯端末やパソコンのモニターにリアルタイムで表示する。カメラと連動させることで、呼吸や心拍に異常があればアラートを送り、居室内をカメラで映す付加機能もある。
パラマウントベッドが「眠りSCAN」の発売を始めたのは09年。良いマットレスだと寝心地がよくて、よく眠れるはず。それを数値で示せないかという発想が開発の原点だった。「当初、販売先として想定した病院にはあまり売れなかった一方、サービス競争が激しくなっていた有料老人ホームでじわじわとニーズが高まった」と当時、営業現場にいた同社デジタル事業開発部の伊藤秀明部長はふり返る。入居者がきちんと睡眠がとれていることを家族に知らせて、ケアの質を見えるようにするという使い方が広がった。
大きな転機は15年度にやってきた。この年、国が補正予算に「介護ロボット等導入支援特別事業」として52億円を計上したのだ。国が全額補助という破格の条件で制度の利用を募ったのにあわせ、92万7千円の補助額上限に収まるよう「眠りSCAN3台にWiFiとパソコン」をセット販売して、売り上げを大きく伸ばした。全国で約2600施設が導入し、販売台数は累計で4万6千台。
SOMPOケアではすでに2200室に導入済みだが、夜勤職員の負担軽減の効果は大きい。これまでなら深夜でも安否確認のため、3~4時間に一度は部屋を巡回していた。それが「データを見ながら最適なタイミングで介護できる」ようになったため、連続16時間の勤務の歩数が2万歩から半減した施設もあったという。
全室導入の狙いは、夜の「見守り」負担の軽減だけではない。高齢者の施設では、入居者に関して食事や服薬、排泄、運動などの記録をとっている。これに、「眠りSCAN」から得られる睡眠に関するデータを加えることで、良い介護を実現するためのエビデンスづくりに役立てたいという。さらに、健康食品や薬の治験を受託するプラットフォームとしての活用も視野に入れる。
ただし、健康に関するデータは、最高度のプライバシー保護が要請されるセンシティブな個人情報だ。その活用が経済紙の記事中で「データは製薬や健康食品メーカーなどに販売し、新製品の効果測定に活用してもらう」と報じられた際には、入居者の家族などから苦情が来ないかと身構えた。「個人データを外部に販売して我々だけもうける、というイメージは困るんです」とSOMPOホールディングスデジタル戦略部の的野仁・特命部長はクギを刺す。入居者が受けている介護サービスの改善に活用するのはもちろん、データ提供の協力に対して謝礼を払うことも考えたいという。
■排尿、転倒を予知する
人口減と高齢化のプレッシャーにさらされる日本。介護分野では、絶対的に人手が不足している。日々の生活に介護サービスを利用する人は25年には約606万人、また65歳以上の5人に1人は認知症になるという推計がある。一方で介護職員は34万人近く不足する見込みだ。介護分野でのITやロボット活用には大きな期待がかけられている。
この分野の先駆けとして知られるのが社会福祉法人善光会が運営する特別養護老人ホーム「フロース東糀谷」(東京都大田区)だ。ここではオムツ交換が必要な入居者らのケアに、眠りSCANとともに、膀胱(ぼうこう)の大きさを測定して排尿のタイミングを知らせる装着型の機器(DFree)を組み合わせる。たとえば尿がたまり、かつ覚醒状態にあるタイミングでトイレ誘導できれば、入居者の睡眠の質を改善でき、オムツの費用も節約できる。
「これまで、人と人との接触だけで介護サービスしていたようなところは、コロナが発生して仕事が回らなくなっている。政府の会議などでも、センサーとカメラを活用して接触は必要な時だけにする『非接触介護』という言葉も使われるようになった」と、善光会の宮本隆史理事(35)は話す。
複数の機器から送られたデータを一つの画面に集約、介護記録とも連動するプラットフォームも開発。こうした効率化で、介護・看護職員1人あたりの入居者数は15年3月時点の1.86人から、今では2.82人に増えた。こうした「成果」に政府も強い関心を寄せる。
さらに同会は今年2月、東大の松尾豊教授の研究室と組み、「見守り」を効率化する新たな取り組みを始めた。入居者の行動をAIが学習し、車いすからの落下などの危険を「予知」してスマホにアラートを送るシステムの開発だ。日中、複数の入居者がいて、職員も出入りするリビングをカメラでモニターし、入居者を識別して個別にリスクを判定する。「いまは、職員が個々のお客様をイメージしながら自分で転倒してみて、AIに覚えさせるデータをためています」とフロアリーダーの谷口尚洋さん(30)。「リビングの見守りに人をはり付けなくて済むなら、入浴など他業務のヘルプに回すことができそうだ」という。
このシステムの中核である画像認識技術を担うのは、松尾研究室発のベンチャー企業であるOLLO。開発したデバイスは、5千人の候補から人物を照会し、99.81%の正解率を誇る。通り過ぎるだけの人にも、「横顔、マスク、メガネ、経年変化」にも対応するのが売りだ。
昨年2月に会社を立ち上げたCEO、川合健斗さん(28)は「家具の影などで死角ができないよう、3台のカメラで転倒の予兆を検出している」と話す。今夏中には完成させる見通しだ。
■「入れない選択」なぜ
見守りによる事故防止は介護事業者にとって切実な課題だ。転倒を防げなかったとして1200万円の損害賠償を命じられた判決や、「おやつをのどに詰まらせた」として職員が業務上過失致死罪に問われ、裁判が続いている例もある。こうした現実がIT機器の活用の背中を押す。
この流れに何の留保もなく身を任せていいのか……。そう思うとき、私が常に参照するのは、福岡市で小規模な特養「よりあいの森」を営む村瀬孝生さん(55)が語る言葉だ。自分の施設で、居室にはセンサーを入れないという選択をしている。
相手の呼吸の深さ、歯ぎしりの強弱、おしっこのにおいなどに、感覚を研ぎ澄まして向き合うからこそ、介護職のなかに第六感が育まれる。「ただし、小規模だからできるという面はある。また人間が機械より優れているということでもない」と話す。
お年寄りにとって「おしっこをするかどうか」は数少ない、自らの主体性が残った営みだ。そこまで他人に「予測」されてしまったとき、「気づいてくれてありがとう」とする半面、こんなことまで人様に気づかれてしまうのかと感じる切なさを村瀬さんは見てきた。
この領域に、生身の感覚を通じてかかわるケアには当然、個人差と限界がある。センサーがあれば気づけたことを職員が気づけなかった、あるいは気づくのが遅れて、事故に近いことが起きてしまうかもしれない。そうした生きる上で避けられないリスクを当事者の人生から考え、家族や地域住民ら関わった人間がどう対処すべきかを話し合い、行動する。それは、この上なく面倒くさい取り組みだが、この努力があればセンサーは不要かもしれない……。村瀬さんはそう考える。
センサー導入の意図が良質なケアの実現であることはわかるし、事故も減るかもしれない。だが、リスクを効率よく軽減することで介護現場の生産性を上げるという考えには懸念を抱く。それは当事者に気づかれない形で一方的に監視するシステムになりうる。そうして得られた安全とケアは、お年寄りの自由や尊厳を奪い、人としての生活を失わせる可能性をはらむのではないか。
ただ、現状の介護報酬だと、「小さな施設で人手を厚く」という自分のやり方は経営的には厳しい。新しい技術を全否定はしないが、「センサーが鳴らしたコールに対応してお尻をふきにいったり、転ぶのを防いだりするのは結局、人間ですよね。明らかになったニーズに誠実に応えようとするなら、現在の人員配置では難しい。人を減らすことは、職員の負担を減らし、お年寄りを幸せにすることにはつながらないはずです」。