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【三浦麻子】「差別はだめ」だけで差別は消えない 過剰な防御反応防ぐ道は

World Now
大阪の店舗の入り口に貼られていた紙。冒頭に「ミナミ区自粛警察出動」と書かれていた=5月20日、大阪市中央区、山根久美子撮影

――新型コロナウイルス感染症が世界で猛威をふるう中、日本では一時、店舗営業などの「自粛」を政府や自治体が要請しました。義務ではなかったのに、閉店していない店を強烈に批判する人もいて、「相互監視」とも言われました。こうした点に関連して、5カ国の市民を対象にユニークな調査を実施したそうですね。

日本のほか、イタリアや中国の研究者と共同で、非常時には「他の人が政府の方針に従っているか一人ひとりが見張るべきだ」とか、「他の人を政府の方針に従わせるために個々人の判断で行動を起こしてもよい」といった項目を含む調査を、日本、米国、英国、イタリア、中国の一般市民400~500人程度を対象としてオンラインで行いました。実施したのは、中国以外の4カ国は3月下旬、中国は4月半ばです。

先ほどの項目に対する回答を見ると、日本では他国よりもむしろ許容するという人が少なく、前者で23.0%、後者で12.3%でした。他国はというと、後者のイタリアのデータが日本と比較的似通っていたことを除くと、いずれも過半数を大きく超え、中国では80%以上に達していました。日本で「相互監視が望ましい」という意見をもつ人はむしろ他国より少ないですし、国内で見ても少数派なのです。

このデータを見る限り、日本人は相互監視を許容しており、実際よくしている、とはいえないと思います。もちろん、そういう人が絶無というわけではありません。しかし、相互監視やそれにもとづく実力行使が「当たり前」としては許容されていないからこそ、大きく報道されたという側面もあるのではないでしょうか。

こうした回答傾向には、そもそも日本では政府の方針が法律による制限を伴わないものであることも影響していると思います。それがあるかどうかで、行動の社会的な意味づけが大きく異なるからです。日本では、政府が求めているのはあくまで「自粛」であり、法律による罰はありません。「やってはいけない」と明確に定義されている行為をさせないようにすることと、「やらないでほしい」と要請されている行為をさせないようにすることは、社会的な意味が異なるわけです。方針に従わない人に「従わなきゃダメだ!!」と主張できる根拠が薄いので、それを許容するかと問われて賛同する意見は少数なのではないでしょうか。
一方で、東アジア諸国では、自分の存在を周囲との関係の中で定義づける傾向が欧米文化圏よりも強いので、周囲との調和を尊ぶ傾向があります。そういう雰囲気は、いわゆる「同調圧力」のようなものをもたらしやすいです。だからこそ、政府が強硬な方針を打ち出さず、ただ自粛しろというだけなのに、秩序がある程度保たれている面もある。この国民にして、この政府あり、といったところでしょうか。そうなると、「自粛警察」のようないささか行きすぎた事例が発生したときにも、「私はいいとは思わないが、皆はいいと思っているんじゃないか」と思いやすいかもしれません。

新型コロナウイルス対策についての緊急記者会見で、フリップを上げて協力を求める東京都の小池百合子知事=3月25日、東京都庁、恵原弘太郎撮影

――同調圧力のためか、日本ではコロナに感染した著名人らが謝罪する動きもありました。

先ほどの調査では、コロナに感染した人がいたとして、それは「本人のせいだと思う」という項目と、「自業自得だと思う」という項目についても聞いています。

すると、「自業自得だと思う」という項目に、「(どちらかといえば、やや、非常に)そう思う」と答えた人は、米英では1~1.5%ほどしかいないのに、日本では11.5%に上りました。イタリアは2.5%、中国は4.8%で、やはり日本よりも少なかった。

少し表現がマイルドな「本人のせいだと思う」という項目では、イタリアや中国でやや比率が増えましたが、やはり日本が15.3%で最大でした。逆に「本人のせいだとまったく思わない」を選んだ人は、英国で60.7%、米国で54.8%、中国で47.7%、イタリアで44.7%いるのに対し、日本は24.5%と、かなり少なかった。

調査時期に各国がどういう感染状況だったかによる違いもあると思いますが、日本が他国と比べると特徴的な反応を示したと言えるでしょう。

――感染した人が悪いと考えがちな日本の国民性は、ある程度見えてきますね。

はい。たかだか十数%ですから、日本の中でもそうは考えていない回答者が大多数だったことにも思いを致すべきです。ただ、他国と比べると、歴然と多いです。何がそうさせているのか、まだ結論は見えていないのですが、非常に興味深いデータです。

大阪大学大学院教授・三浦麻子さん

――コロナに関連して、感染と差別についての調査も続けているそうですね。

研究室の大学院生の着想で、1月末から、「感染を避けたい」という気持ちと「排斥」の関係についてデータを継続的にとり続けています。先ほどの調査の回答者とは別の1200人からスタートして、これまで7回の調査に900人ほどが答え続けて下さっています。1回あたり7~8割程度が離脱することが常なので、この問題への人々の関心の高さがあらわれているとも思います。

コロナに限らず、何らかの感染を恐れる気持ちの強さには個人差があります。調査では、感染のリスクが高い場面でどんな行動をとるかを尋ねています。例えば、とても汗をかいて調子が悪そうな人のそばには座らないとか、人と物を共有しないとか、鍋を一緒につつかないとか。それと同時に、外国人が日本で働いたり観光したりすることについて、普段からどれぐらい「受け入れたい」と思っているかを聞いています。結果を見ると、この二つの回答に関連があり、「感染を避けたい」という考えが強い人は、外国人に対する排斥的な感情も強いという傾向が見えてきました。

――思った通りの結果だったのですか。

先ほどの結果は予測通りでした。さらに私たちは、私たちはコロナの感染が広がるにしたがって、外国人を拒否したり、排斥したりする度合いも高まるのではないかと考えていました。でも、拒否や排斥という感情は1月末の時点ですでに相当高いところまで来ていて、それが感染拡大につれてさらに上昇するという傾向は見られませんでした。

コロナは当初は「武漢肺炎」などと呼ばれ、中国からもたらされたという印象を持つ人も多くいました。外来のもので迷惑だという感じだったのが、だんだん日本で感染が広まると、今度は「他府県ナンバーの車が来た」といったように、「よそ者」の範囲が狭くなり、「自分が住んでいる以外のコミュニティーの人に来てもらったら困る」というトーンに変わっていった。私たちの調査でも、見知らぬ日本人への否定的な印象は、時間経過に応じて高まっていました。親しい研究者による調査データによると、感染したらどうしよう、感染をすごく避けたい、と思っている人は、実際に感染者の多い東京や大阪など都心部の人よりも、感染者が少ない地域の方が多いそうです。

――コロナのような非常事態の際、特定の人を排斥することは、ある程度予想できる人の心の動きなのでしょうか?

そうですね、感染を避けたい気持ちと、人に対する排斥はそもそも結びつきやすいといわれます。感染は異物が体に侵入することで、自分にその免疫がないから重篤になる。私たちは土着のものよりも、外来のものに対してより脆弱です。だからなるべく死なないように、外来のものを避けたいと考える。わかりやすく外国人を避けるとか、ちょっと変わった風貌の人、体に発疹が出ている人を避けるといったしくみが私たちには実装されています。

それがある種の「誤作動」としてこうした排斥に、そして差別や偏見につながっていくことがあるわけです。ある程度は、死なないためのしくみとして人間に備わっているものだけれど、それが過剰に一般化されて、例えば「中国の人はみんな出て行け」といった態度になるのはおかしい。そこを理解しておかなければいけないと思います。

――コロナの感染拡大を防ぐために「他者と距離をとる」ことが求められています。三浦さんも所属する日本心理学会は、こういう時に、人は不安や怒り、イライラするといった心の動きが出やすいことをふまえ、「あなた自身の安全のために」どう対応すべきかを紹介しています。どんな心構えが必要なのですか。

先ほど言ったことと矛盾するように聞こえるかもしれませんが、よそ者を差別してはなりません、という道徳的な説得をしてもおそらく効果はあまりないと思います。「避けたい」という感情は、意識して抱くものではなく、湧き上がってくるものなので、それを抑えることは難しい。心理学者としては、人間だもの、そういう感情が湧き上がってはくるよね、でも、それをどう処理するかはちょっと冷静に考えようよ、と言った方がいいと思うのです。

もしもコロナに感染した人が、差別されるのを防ぐために感染を隠すことになれば、それは公衆衛生上の問題になります。感染者を差別してはいけないというのは、結局、自分のためなのです。差別をすると、あなた自身の感染確率はむしろ高まるかもしれないのです。人間とはこういうものだと認めたうえで、自分のために、立ち止まって考えてほしいと思います。

三浦麻子(みうら・あさこ) 大阪大学大学院人間科学研究科教授。社会心理学者。コミュニケーションやインタラクションが新しい「何か」を生み出すメカニズムの解明に関心を寄せる。