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1日2回、政府から抜き打ち電話 シンガポールで隔離を経験、これは監視か見守りか

World Now 更新日: 公開日:
シンガポール入国後、ホテルでの待機期間中は、毎日スマホから政府に位置情報を伝えていた=4月10日

新型コロナウイルスが広がる3月下旬にシンガポール支局に赴任した私は、隔離のため、現地のホテルで2週間を過ごした。シンガポール政府から抜き打ちでかかってくるテレビ電話や、検温にやって来る警備員にほっとしたり、見られていたことに後で気づいてぞっとしたり。これは「監視」か、「見守り」なのか? 身をもって体験し考えた。(西村宏治、写真も)

午前10時53分。スマートフォンが鳴り始めた。政府からのテレビ電話だ。ところが、スマホの不調で応答できない。やんだと思ったら、また鳴る。実に10分近く。最後は「なぜ出ないのか」とメールが来たので事情を説明し、かけ直した。「逃げてるわけじゃないのに」。ため息が出た。

4月2日、私はシンガポールのホテルにいた。3月下旬に赴任し、新型コロナウイルス対策のために14日間の隔離中だった。部屋からは一歩も出ていない。

管理は徹底していた。朝昼晩と政府からスマホにメールが来る。メールにあるリンクをクリックすると、自動的にスマホの位置情報が政府に届く。ホテルの警備員が1日3回、検温に来る。

そしてテレビ電話だ。1日2回ほど、抜き打ちでかかってくる。名前、滞在期間、体調を聞かれ、身分証と部屋の様子をカメラに映すよう求められる。出なければ、係官が来るという。「係官の訪問時に不在だった隔離期間中の男性が逮捕された」。そんなニュースも流れていた。
最初は息苦しかった。でも数日のうちに「ありがたい」と思うようになった。検温に来る警備員の「Stay Safe!」。テレビ電話の向こうの若い係官の「How are you?」。気遣いがうれしい。それに、これなら私にトラブルがあっても発覚は早いはずだ。部屋から出ないよう監視されている私だが、これは「見守り」なのではないだろうか。

■「で、何を撮っていたの?」

だがホテルを出る日、監視の意味を再び考えることになった。4月11日。廊下に一歩出ると、達成感が押し寄せてきた。せっかくだから廊下から写真を撮ろう。そこで問題が起きた。オートロックのドアが、バタンと閉じたのだ。「しまった」。部屋の鍵は渡されていない。

焦っていたら、ちょうどいつも検温に来ていた警備員がやってきた。事情を説明して開けてもらい、ホッと一息。すると、彼は笑ってこう言った。

「で、何を撮っていたの?」

背筋が凍った。廊下の監視カメラからだろう、全部見られていたのだ。

悪いことをしていたわけではない。でも動揺した。意図せず見られていた感覚は、テレビ電話による「監視」とはまた一段違う不気味さがあった。

だからかもしれない。ホテルを出てすぐ気づいたのは、街頭の監視カメラの多さだった。駅などに10台、20台と大型のカメラが並んでいるのだ。

■安全とプライバシー、バランスは「幻想だ」

昨年の英国の調査会社の推計によると、シンガポールの公共空間の監視カメラは人口1千人あたり15.25台。中国を除くとロンドン、米アトランタに次ぐ。「監視カメラの助けを借りて容疑者が逮捕された」といったニュースも珍しくない。

シンガポールの街頭では多くの監視カメラを見かける=6月16日

シンガポールでは、新型コロナ対策のため、政府が感染者の行動を追跡しやすくするアプリが登場している。さらに、スーパーに入るにも、身分証の番号や携帯電話番号の登録が必要だ。おかげで、もし私が感染者と接触したら、その情報を早く受け取ることができる。

一方で国による「監視」への不安もある。やましいことがあるわけではないが、必要以上に見られていたくはない。それはシンガポールの人たちも同じようだ。「コロナ対策のため、ウェアラブルデバイスを開発する」。政府がそんな発表をした際には、ネットで反対の署名運動が盛り上がり、担当大臣が「利用者の居場所を把握するものではない」といった釈明に追われた。

シンガポールのスーパーマーケット。入る前に、QRコードを使って入店時刻を登録する=5月19日

シンガポール国立大学のチュア・ベンファット教授(社会学)は、「危機には、集団的な安全に気を配る人だけではなく、自分の身を守りたいだけの人も監視を受け入れる」と言う。では、安全とプライバシーのバランスはどう考えればいいのか。

チュア教授は、「バランスという考え方は、幻想です」として、こう説明した。「私たちは監視されているかどうかを知ることができず、行きすぎた監視が明るみに出た時に抗議するだけ。しかし監視する側はどれだけ情報があっても満足せず、常にやりすぎる性質を持つ。コロナ対策の監視はあくまで『例外』であるべきですが、問題はそれが、コロナ後の『常識』として定着するのではないか、ということなんです」。(つづく)