「独裁者」の面影、慕う故郷
州境には「ようこそ北イロコスへ」と書かれた横断幕があり、マルコスの長女で上院議員のアイミーと、孫で州知事のマシューの笑う写真が。「マルコス」は今も州の顔なのだ。州中心部の町サラットでは、マルコスの生家(①)が公開されている。教育者の母をもち、名門フィリピン大で法学を学んだマルコスの幼き姿だろうか。読書する少年像もあった。
多くの観光客が目指すのは、隣町のバタック。町の入り口に立つゲートには「偉大なリーダーのふるさと」の文字。フェルディナンド E. マルコス大統領センター(②)の博物館を訪ねると、元大統領の車や妻イメルダとの写真が展示されていた。だが、近年は目玉の「観光資源」をなくし、閑古鳥が鳴いているという。それがマルコスの遺体だ。
86年、独裁に抗議する民衆らの「ピープルパワー革命」で失脚し、マルコスは亡命先のハワイで死去。遺体はのちに故郷に戻った。
当時の政権が、歴代大統領らが眠る国立英雄墓地への埋葬に反対し、保存処理されて館内で公開されていた。しかし、マルコス家に近いドゥテルテ現大統領が2016年に就任すると、戒厳令で迫害された市民らの反対を横目に、遺体は同墓地に埋葬された。
ただ、博物館の来客数は激減。遺体があった部屋にはカギがかかっていた。「もう公開されてないよ」と声をかけてきたのは、土産物屋のエステラリータ。客もおらず暇そうだ。「遺体に戻ってきてほしい?」と聞くと、「まあ、イエローの連中が勝てば、そのうち戻ってくるだろうよ」。黄色は86年の革命の象徴。いまも反マルコス派を指す。2年後には6年に1度の大統領選が控えているが、反マルコスの勢力に勢いはない。それでも、いつか政治を動かす顔ぶれが変われば、遺体が掘り起こされて故郷に戻る可能性があると思っているのだろうか。
夕刻、西隣の町パオアイに立ち寄った。最近、観光客に人気のアトラクションが、パオアイ砂丘(③)にあると聞いたからだ。四輪駆動車に同乗し、砂丘に造られた坂を勢いよく上り下りする。あちこちで「キャーッ」と歓声が上がった。そり滑りを楽しむ子どもたちもいる。
夕日がカアッと光ると、空の色がオレンジ色に染まり、徐々にピンク、薄紫へと変わっていった。元大統領の遺体がどうなるかはわからないけれど、自然が織りなすその光景は、何度でも見に来たい美しさだった。
■どれも茶色いけど、おいしい
鮮やかな美食ぞろいの東南アジアで、フィリピンの料理は「みんな茶色い」「味が単調」といった感想を聞く。おいしさが十分に伝わっていないことに、ファンとしてじくじたる思いをもっていた。イロコスならではの絶品料理をと、人気レストラン「ラ・プレシオーサ」(④)を訪ねた。
家庭的な雰囲気ながら、テーブルクロスやグラスがきちんとセット。すすめられた一皿が「ワレックワレック」。240ペソ(約500円)だ。豚の耳や内臓をこんがりと焼き、タマネギなどとあえたもの。豚の脳みそからつくるソースが、なんともクリーミーな味わいとツヤをつくる。
「ディナダラアン」は、英語で「血のシチュー」とも呼ばれる。肉に豚の血を混ぜて加熱する料理だからだ。この店ではクリスピーに揚げた豚肉を使う。お酢の酸味が利いた絶品だ。この地方名物の豚の腸詰め「ロンガニーサ」はにんにくたっぷりで、ご飯が何杯でも食べられる。茶色い料理が多くたって……おいしければいいのだ。
■町の真ん中で沈みゆく塔
州都ラオアグの象徴が、州政府庁舎に近い中心部にあるシンキングベルタワー(沈む鐘塔)(⑤)。近くにある聖ウィリアム大聖堂の鐘塔で、18世紀に建てられたとされるが、地盤が弱く、自らの重みでどんどん沈下。市のウェブサイトによれば年間約2.5センチ沈むという。「昔は馬に乗ったまま人が通った」という1階の通路入り口は、もはや半分ほど道の下に隠れている。
北イロコスには、スペイン領時代の雰囲気を残す教会があちこちにある。中でも1710年完成のパオアイ教会(サン・アグスティン教会)は、重厚な造りが見事。マニラの教会などと一緒に「フィリピンのバロック様式教会群」としてユネスコの世界遺産に登録された。美しいれんが造りのサラット教会(サンタ・モニカ教会)は、かつて罪人を裁く場所としても使われたという。