1. HOME
  2. Learning
  3. 「切り裂きジャックの被害者は売春婦」 レッテルに隠された素顔に迫る一冊

「切り裂きジャックの被害者は売春婦」 レッテルに隠された素顔に迫る一冊

Bestsellers 世界の書店から
相場郁朗撮影

Hallie Rubenhold『The Five』

19世紀のロンドンで切り裂きジャックに殺された5人は売春婦、というのが事件当時からの通説だった。犯人の正体について書かれた本は無数にあるのに、彼女たちは「売春婦」で一括りにされてきた。著者は膨大な史料に当たり、壮大なノンフィクションで、メアリー・アン、アニー、エリザベス、キャサリン、メアリー・ジェーンをよみがえらせ、5人が娘であり妻であり母親であり姉妹であり愛人であり、何よりも人間であったことを教えてくれた。

売春婦ではなかったとしても(25歳のメアリー・ジェーンは正真正銘の売春婦だった)、皆ロンドン東部の貧民街で極貧生活を送っていたのだろうという思い込みはあった。確かに1888年当時、惨殺の現場となった東部ホワイトチャペル地区にいた彼女らは人生のどん底にいた。だが、メアリー・ジェーン以外の全員40代の4人は、過去を隠すためにスウェーデンから英国へ来たり(エリザベス)、実家が今では高級デパートで有名なナイツブリッジにあり結婚後はウィンザー城近くに住んでいた中流階級だったり(アニー)、7歳で母を失い15歳まで学校へ通い、男やもめとなった父を支え弟を養ったけなげな娘(メアリー・アン)だったりと、一色には染まらない人生を送ってきた。彼女たちの墜落の理由は酒だ。そしてもちろんアルコールは社会のゆがみや男の暴力からの逃避手段だった。

本書の「結語」で著者は燃える。全員が売春婦というレッテル貼りをされたのは、当時のメディアのセンセーショナリズムゆえであり、そのためには調査事実も(いんぺい)され、それを求めたのはビクトリア朝というモラルに関して男性中心の偽善的社会なのだと。殺人現場を一切出さず、読者の猟奇趣味も満たさず、「主役」ジャックを徹底的に排除した本書は「物品リスト」という風変わりなページで終わる。5人が死亡時に所有していた小間物のリストが延々と淡々と、4ページにわたって続く。ボンネット(婦人用の帽子)、欠けた櫛(くし)、スプーン、ハンカチ、せっけん、質屋の預かり証、鉛筆、ネッカチーフ、指ぬき、赤い手袋、……。人は映画に感動したあと、席を立てずにエンドロールを黙々と読む。それに似ている。

本書は昨年、英国ノンフィクション部門の最高作品に贈られるベイリー・ギフォード賞を受賞した。

■性差別生む隠れたデータバイアス

Caroline Criado Perez『Invisible Women』

最近、日本の書店とご無沙汰しているので、まだそうなのかどうかは分からないが、欧米諸国ではありえない風景として、「女流作家」コーナーという本棚がある(「女流文学」とか「女流エッセー」とか)。

欧米でもありうる風景としては、女性用トイレの行列が、男性のそれに比べて数倍長くなりやすいという事実がある。このような性別にかかわる差は、神保町からジュネーブまで蔓延(まんえん)している。こうした目に見える現象は、ジェンダーバイアスが可視化された部分と言えるが、本書ではそれに加えて日常生活では見えにくい、ないしは見えないジェンダーバイアス、すなわち性差別をもたらしてしまっている「データバイアス」を非難する。

「データバイアス」とは、ある集団を把握・解読しようとする時に使用するデータに偏りがあるために、結果として把握・解読に失敗するという矛盾を指す。つまり、客観性を担保するはずのデータが、あらかじめ「汚染」されている状態だ。

そしてそのデータバイアスは職場、家庭、医療データ、公共交通機関など、あらゆる場所に潜んでいる。ここで言うデータとは、薬事検査統計のように厳密な意味のデータから、客観的だと思い込まれている経験的データまでさまざまだ。

最初に挙げたトイレの例で言うと、面積ないしは便器数で同数なら平等という考え(英国の配管工事規則にあるとやら)は、女性が男性の2、3倍の時間を要する事実、買い物や観劇などで外出する女性の数は男性よりはるかに多いという事実を無視した結果が行列を生む、ということになる。

こうした事例が無数に列挙されたこの本が主張しているのは、データ(あるいは思い込みの前提条件)を作り出したのは男性側であり、その結果、地球上の人類の半数を無視して(無意識的であれ)デザインされたのが、この世界だという非難だ。

英国のみならず、南米からアフリカまでもカバーし、時間的にも過去にさかのぼり、文字通り古今東西のジェンダーバイアスデータを点検しまくる本書は(全体で400ページのうち典拠だけで70ページ!)、読了後に風景がすっかり変わって見えるたぐいの刺激的な本である。

■ヨーロッパ最大の女性刑務所で医師が見たこと

Dr Amanda Brown『The Prison Doctor』

ヨーロッパ最大の女性刑務所が英国中部にある。ブロンズフィールド刑務所といい、著者は2016年から同刑務所付きの医者を務めている。

現在65歳になる彼女は、04年まで普通の開業医として働いていたが、政府の推進する医療改革に反発して辞めてしまう。改革とは、基本給を減額しボーナスを増額するというもの。ボーナスはいわば業績給なのだが、その業績とは、問診中に患者からどれだけ副次的情報を得たかによる。コレステロール値やメンタル状況など。たとえそれが、患者が診てもらいにきた症状と無関係であってもだ。20年もつきあってきた地元のコミュニティーで、住民に対し急に不必要な探りを入れることを嫌った。こうして彼女はそれまでの恵まれた住環境と就業条件を捨て、50歳にしてすさんだ世界へ飛び込んでゆく。

広い意味での社会貢献をめざした彼女は、新天地として青少年犯罪者専門の刑務所を選び、次に囚人が看護師を人質に取ったりする粗暴な男性刑務所の付属医師として十数年勤務したのち、現在の女性刑務所へ落ち着く。

英国で最も危険な女性とみなされる20人のうち、17人がここに服役している。刑務所内での出産があったり、麻薬中毒患者が薬を求めて叫んだりする荒い職場ではあったが、女囚たちはむしろ外部の危険(家庭内暴力やマフィア)から逃れてきた場合が多い。囚人・患者一人ひとりの、胸が張り裂けそうなエピソード、心が温まるエピソードを通して、著者は女性囚人たちの男性囚人との最大の相違点に気づく。

彼女たちは犯罪者である前に犠牲者だったのだ。男の犠牲、社会の犠牲。彼女は医者としての診断と治療以外に、むしろそれ以上に囚人の心を治療する。そしてこう言った。「思いやりの心が私からなくなったとき、私は医者をやめる」

英国のベストセラー

ペーパーバック、ノンフィクション部門 4月26日付The Sunday Times紙より

『 』内の書名は邦題(出版社)

1 This Is Going to Hurt

『すこし痛みますよ ジュニアドクターの赤裸々すぎる日記』(羊土社)

Adam Kay アダム・ケイ

産婦人科医を6年務めたあとコメディアンになった勤務医、秘密の日記。

2 Good Vibes, Good Life

Vex King ヴェックス・キング

著名インスタグラマーによる、否定的思考から逃れ幸福に到達する方法。

3 Invisible Women

Caroline Criado Perez キャロライン・クリアドペレス

統計資料から医療研究に至るまで、根強く潜む見えにくい性差別を暴露する。

4 Create This Book

Moriah Elizabeth モライア・エリザベス

半完成で、あれこれ指示に従って空白を自分で埋めてゆく子ども向けの本。

5 Unnatural Causes

Richard Shepherd リチャード・シェパード

無数の検視を行ってきた法病理学者による突然死と不審死についての解説。

6 The Salt Path

Raynor Winn レイナー・ウィン

ホームレスになった夫婦が英国沿岸1000キロを踏破する。

7 Sapiens

『サピエンス全史』(河出書房新社)

Yuval Noah Harari ユヴァル・ノア・ハラリ

人類の進歩を奇抜な切り口でさばく刺激的な本。全世界的ベストセラー。

8 Create This Book 2

Moriah Elizabeth モライア・エリザベス

リスト4位の第2弾。

9 The Five

Hallie Rubenhold ハリー・ルーベンホールド

切り裂きジャックの犠牲者5人の人生を再構築し、彼女らの名誉回復を目指す。

10 The Prison Doctor

Amanda Brown アマンダ・ブラウン

ヨーロッパ最大規模の女性専用監獄で専属医師として働く女性の手記。