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60年を越える歴史、世界の最前線を届ける「世界報道写真コンテスト」とは

世界報道写真展から――その瞬間、私は 更新日: 公開日:
1965年の大賞に輝いた米UPI通信・沢田教一によるベトナム戦争の写真。米軍による空爆から逃れるため、子供たちとともに必死の表情で川をわたる母親の写真は世界的にも有名な一枚となった ©Kyoichi Sawada / United Press International

オランダ・アムステルダムを拠点とする非営利団体「世界報道写真財団」が発足した1955年、同財団主催でWPPコンテストは始まった。当初は開催されない年もあったが、72年以降は毎年実施されており、今年で63回目を数える。

「重要なストーリーと世界をつなぐ」がスローガン。同様の賞として米国のピュリツァー賞が有名だが、同国の新聞掲載などが条件と米国色が強い。WPPの賞には国を限定した条件はなく、世界中の報道写真家が参加できる国際的写真コンテストの代表格とされる。

世界報道写真のホームページ(www.worldpressphoto.org)では、1955年から今年に至るまで、63回に及ぶコンテストの全ての大賞や受賞写真がデータベース化されている

主に前年1年間を通じて撮影された報道写真を1月中旬までの1カ月半かけて公募し、数十人の審査員による議論をへて、2月下旬までに入賞候補を絞る。「一般ニュース」や「スポットニュース」「ポートレート」など8部門に分かれ、それぞれで順位が決まるが、最も評価の高い写真がその年の大賞になり、4月に発表される。

国際的な大手通信社などは、コンテスト用の写真を選択し応募する担当者を置くなど組織的な対応をしているところも多い。日本を含むアジアからの受賞者が少ない背景には、定期的かつ組織的に応募する欧米との違いもある。

日本人の大賞受賞者は、今年の千葉康由(仏AFP通信)を含め4人だけだ。初受賞は61年、毎日新聞の長尾靖で、当時の日本社会党・浅沼稲次郎委員長刺殺の瞬間をとらえた写真だった。65年と66年は2年連続で、世界的に報道された沢田教一(米UPI通信)のベトナム戦争関連の写真。79年には三上貞幸(米AP通信)の成田闘争の写真が選ばれた。長尾と沢田の写真は、ピュリツァー賞にも輝いている。

1960年に都内の日比谷公会堂で、当時の日本社会党・浅沼稲次郎委員長が刺殺される瞬間を写した写真。撮影した毎日新聞の長尾靖が、1961年の世界報道写真コンテストで日本人としては初めて大賞を受賞した ©Yasushi Nagao / Mainichi Shimbun
前年に続き、1966年にもベトナム戦争の写真で2年連続となる大賞をとった米UPI通信・沢田教一の写真 ©Kyoichi Sawada / United Press International
1979年の大賞に輝いた米AP通信の三上貞幸の写真。成田空港の建設をめぐり、78年3月に起きたデモ隊と警官隊の衝突シーンを撮影した ©Sadayuki Mikami / AP

千葉によると、年末になるとその年に撮影した写真から自ら選んでWPPへ応募している。今年大賞となった写真は当初、ポートレート部門に登録したが、主催者の判断で一般ニュース部門へと変更された。定期的に米国の国際写真賞(POY)にも応募しているが、ピュリツァー賞には応募したことがないという。

朝日新聞GLOBEとウェブメディアGLOBE+は、コンテスト入賞作から毎号1枚を取り上げ、撮影背景などを紹介する連載「世界報道写真展から――その瞬間、私は」を展開している。

世界報道写真のホームページでは、新型コロナウイルス感染の国際的な大流行によって厳しい取材環境を強いられているカメラマンたちへの支援情報も掲載している

 

■新型コロナの影響 日本の開催未定

世界報道写真財団が主催する世界報道写真コンテストで入賞した写真は、50カ国120以上の会場で開かれる写真展で公開されている。年間で約500万人が来場する世界最大級の写真展だ。

日本では1992年以降、同財団と朝日新聞社の共催で、東京、大阪、滋賀、京都、大分の5カ所を巡りながら1年を通して写真展を展開。41年ぶりの日本人の大賞受賞という快挙を受け、今年も予定されていたが、新型コロナウイルス感染の影響で、現時点では開催未定となっている。