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芝園団地は「だれの団地」か 日本人住民の思いをつなぎ合わせて見えてくるもの

芝園日記
「移民と難民 ようこそ」と書かれた幕。グッドマン氏と会ったニューヨーク郊外の町タリータウンの教会にて

芝園団地に長く住む日本人住民と話していると、多くの人たちが共通して抱く、ある思いに気づく。それは、「ここは本来、私たちの団地なのだ」という思いだ。それは、自分たちが少数派になることへの不安と表裏一体でもある。

この団地に住み始めてすぐに気づいたのは、こうした日本人住民の思いと、私が米国の中西部や南部で取材をしたときに聞いた人々の思いが、底流で重なり合うことだった。

「ここはキリスト教を中心とする国だ。なぜ学校で、(キリスト生誕を祝う)メリークリスマスと言ってはならず、ハッピーホリデーズと言わなければならないのだ」と訴えた元教師の男性。

近所に住むヒスパニックの住民について「なぜ、彼らはアメリカにいるのに、英語ではなくスペイン語でしか話さないの」と不満げに話した女性。

そこに見えるのは、「ここは私たちの国だ」という意識だ。こうした言葉を口にする人々はすべて白人で、とりわけティーパーティー運動やトランプ大統領の支持者を取材しているときによく耳にした。

米国の社会学者A・R・ホックシールドの著書『壁の向こうの住民たち』(岩波書店)は、米国の右派が「あたかもそのように感じられる」物語を、「ディープストーリー」と呼んだ。 事実かどうかにかかわらず、彼らのプリズムを通して見える世界の姿、と言ってもいい。

リベラルを自認する著者は、分断の壁の向こうに住む南部ルイジアナ州のティーパーティー運動支持者らに聞き取り調査をした。それをもとにホックシールドが紡ぎだしたディープストーリーの抜粋は、次のようなものだ。

あなたは山の上へと続く長い列に並んでいる。あなたは年配の白人男性でクリスチャンだ。並んでいるのは、繁栄と安全というアメリカンドリームを手に入れるためだ。ところが、前に進むスピードが遅くなってきた。それどころか、前の列に割り込もうとしている人たちがいる。黒人、女性、移民、難民。あなたは自分が後ろに追いやられていると感じている。この国を偉大にしたのは自分たちなのに。自分の国にいながら、異邦人のような気分を味わっている。ホックシールド『壁の向こうの住民たち』

ホックシールドの著書の原題は、"Strangers in Their Own Land"(自分の国の異邦人)というものだ。自分の国だったはずなのに、自分たちがよそ者にされてしまったかのような思い。それはまさしく、「私たちの団地」だったはずなのに、いつの間にか脇に追いやられてしまったと感じている、長年住む日本人住民たちの思いと重なる。

ホックシールドにならって、芝園団地に長く住む日本人住民たちの言葉を元に、彼らの「ディープストーリー」を私も書いてみた。この中の言葉はすべて、団地の日本人住民から聞いたもので、それをつなぎ合わせた。

芝園団地は、私が人生の大半を過ごしてきた場所だ。40年前に私たちが引っ越してきたころは、団地には本当に活気があった。皆若くて、元気だった。仲間と旅行をしたり、いろんな催しもやったりした。団地の中では子供たちの元気な声が響き、夏のふるさと祭りは、人込みで身動きが取れないほどのにぎわいだった。

みんな歳をとって年金暮らしになった。昔のような活気がなくなって寂しい気もするけれど、ここには知っている人がたくさんいて、つながりがある。ここが、自分の居場所だと思う。

けれど、気がついてみたら知らない外国人がたくさん住むようになった。広場で遊ぶのは中国人の親子ばかりだ。聞こえてくる言葉も、私には理解できない外国語だ。商店街も、いまでは中国の店ばかりになってしまった。ふるさと祭りだって、いまでは広場の真ん中で中国人がブルーシートで場所取りをしている。私たちの居場所が、どんどん少なくなっていくようだ。 彼らは私たちに話しかけてこない。自治会にも入らない。団地の中で、自分たちの世界をつくって暮らしている。私たちのしきたりやルールを守らない人もいる。子供は日が暮れたら家に帰るべきなのに、夜遅くまで子供が広場で遊んでいる。

ここは私たちの団地のはずだったのに、すべてが変わってしまった。私たちの方が隅に追いやられてしまったような気分だ。 

二つのディープストーリーに共通するのは、ここは「私たち」の国であり、「私たち」の団地であるはずだという意識だ。

冬の芝園団地

私はこの「芝園団地のディープストーリー」を、何人かの古参の住民に見てもらい、微修正を加えていった。芝園団地に約40年間住んでいる自治会役員の男性は、文章を一読すると「全くこの通りだね」とつぶやいた。

こうした日本人住民の思いは、ともすれば外国人住民への不満に転化されがちだ。自分はそれには同調しないが、団地で半生を過ごしてきた人々が急激な変化に戸惑い、不安を抱いていることは、同じ住民としてよく理解できる。

ただ、見方を変えて「私たち」以外の視点に立ってみたらどうだろう。

例えば米国の女性やマイノリティからみれば、こんな風に言えるはずだ。「自分たちは割り込もうとしているのではない。白人男性が優先的に列に並ぶことができた時代が終わり、不当に扱われていた自分たちも、平等に列に並ぶ権利を行使しようとしているのだ」と。

同じように、かつては日本人だけが住んでいた芝園団地も、現在は外国人も日本人と同じように住む権利があるし、実際に住んでいる。

急激な変化への不安や戸惑いから生まれる、「ここは私たちの場所だ」という思い。それは見方を変えれば、時代が変わっても、自分たちが圧倒的な支配的存在であった過去のままであってほしいという意識にも映る。

■多数派の特権意識

こうした「多数派」の心理について考えていた私は、2019年に米国を訪れた際、一人の専門家から話を聞いた。多様性や社会的公正という観点から、多数派の側にいる人々の教育に携わる米国の専門家ダイアン・グッドマンだ。彼女の著書は『真のダイバーシティをめざして』(上智大学出版)というタイトルで日本語訳も出版されている。

ニューヨーク郊外の町のカフェで待ち合わせたグッドマンに芝園団地の状況を説明し、日本人住民の間にある「ここは私たちの団地だ」という意識について、どう向き合うべきかを尋ねた。

話を聞き終えたグッドマンが最初に言ったのは、「これは文化の問題であると同時に、パワー(力、権力)の問題でもありますね」ということだった。

「文化の問題とは、違いをどう理解すべきか、そうした違いとどう折り合いをつけていくかでしょう。これはパワー・ダイナミクスほどには難しい課題ではありません。一方でパワーの問題とは、ここは誰の団地なのか、誰の土地なのか、誰の国なのかといったものです。それは『特権』意識につながるものです」

ダイアン・グッドマン氏

グッドマンはケーキを例にとって説明した。

「あなたは人口の6割を占めるが、これまではケーキの9割を食べていた。あるとき、『これからはあなたが食べる分は6割です』と言われる。するとあなたは『なんてことだ。私のケーキが全部取られてしまった!』と感じる。実際にはすべて奪われるわけではないが、もっと取り分が多い状態に慣れていた。より公平な分配にするわけですが、取り分が少なくなった人たちは、不公平であり、取られたと感じるのです」

グッドマンが念頭に置いていたのは、アメリカ社会における白人、クリスチャン、男性といった属性の人々であり、芝園団地であれば日本人住民だ。

米国では2045年ごろには白人が過半数を割り込むと予測されている。芝園団地では、日本人住民はすでに5割を切っている。だが文字通り「日本人だけの団地」だったころから住んでいる人々の心にある「ここは私たちの団地だ」という思いが、「団地が乗っ取られる」という不安や警戒につながるのだ。

同じ権利を持つ自国民同士の問題と、自国民と外国人の間の問題を全く同列に論じることはできないかもしれない。ただ、団地住民としての権利は日本人も外国人も同じものであり、グッドマンの話は団地にも通じるものがあった。

「人間は『パワー』を失うとき、自分たちが脅かされていると感じるのです」とグッドマンは語る。では、自分たちが脅かされていると感じている人たちに、何をどう伝えればいいのか?

「そうですね、単に人々に『そのパワーを手放しなさい』というだけでは、うまくいったためしはありません」

より公平な社会の仕組みをつくりながら、不安に思う人々のニーズや心配に応える仕組みを考えることだとグッドマンは説く。

「彼らの心配とは何か。本当に必要としているものは何なのかを見極めるのです。そのためには彼らの声に耳を傾け、彼らが『自分たちの話を聞いてくれている』と感じられるようにすることです。たとえばテニスを楽しむ人たちが、すべてのテニスコートを自分たちだけで使うことはできなくなっても、自分たちがテニスをする時間と場所はきちんと確保されれば、不安は和らぐかもしれません」

グッドマンは自らの経験に基づいて、不安を抱く多数派にどうアプローチをするかについても、助言してくれた。

「白人に『あなたは差別をしている』と非難しても、相手は耳をふさぐだけです。相手の意見に同意しなくても、人間として接し、相手の気持ちを理解しようとして、よく耳を傾けるのです」

耳を傾ける――。グッドマンはこのことを念押しするように、何度も繰り返した。