ポン・ジュノ監督の作品は、社会に対する鋭い批判と、無関心のように見えて実は家族の間に流れる熱い情を一貫して描いてきた。虚をつく展開、時代に対する鋭い知見、描写のディテール、そしてポン監督ならではのブラックコメディーのような毒舌が、世界の映画人たちが彼の作品に集まってくる所以だろう。
社会と階級に対する関心は、ポン監督の初期の作品から見られる。最初の作品、短編「白色人-WHITE MAN-」(1993年)は、主人公Wが偶然、道に落ちていた指を拾うところから始まる。エリートのように見えた主人公のまた別の姿を通し、労使関係や労働災害、不当待遇などの問題を批判する。1994年に演出した「支離滅裂」もやはり、大学教授、メディアの論説委員、部長検事の矛盾した態度を三つのエピソードとエピローグに盛り込んだ。
日常から引き出した小市民のドラマティックな物語とブラックコメディー的な要素は、ポン監督のもう一つの特徴だ。商業映画デビュー作の「吠える犬は噛まない」(2000年)は、マンションから消えた犬をめぐる、無職に近い講師コ・ユンジュ(イ・ソンジェ)、マンションの経理担当職員パク・ヒョンナム(ペ・ドゥナ)、警備室のビョン・キョンビ(ビョン・ヒボン)の間に起きる事件を描いた。犬を捜すスリラーでありながら、ナンセンスコメディーのジャンルまで、一言では言い表せないない映画だ。「パラサイト 半地下の家族」ではっきり見られたジャンル崩しの芽は、この時から出ていたのかもしれない。
韓国映画が、フランスのカンヌ国際映画祭を通して世界的な注目を浴び始めた2000年代、ポン監督は相次いで興行に成功し、作品性も商業性も認められる。その最初は「殺人の追憶」(2003年)だ。華城連続殺人事件をモチーフに観客の好奇心を刺激したのはもちろん、「科学捜査」がほぼ不可能だった現実を皮肉って、高い評価を受けた。510万人の観客を動員し、商業的にも成功した。ポン監督の「ペルソナ」、俳優ソン・ガンホとの作品作りもここから始まった。
ポン監督の商業性は、誰もが共感できる日常から始まる物語と、どんなに厳しい瞬間にも忘れないユーモアによるものだ。それは「グエムル-漢江の怪物-」(2006年)にもよく表れていた。漢江に登場した怪物と、怪物と戦う小市民の家族の英雄的な姿は、まるで「アンチヒーロー映画」のようだった。それでも結末は平凡な家族の再構成だった。
2009年、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に公式招待された「母なる証明」(2009年)は、世界の映画人たちがポン監督に注目するきっかけとなった。ポン監督は海外で肯定的な評価を受けたこの作品を足掛かりに、海外の俳優やスタッフ、資本を引き出して「スノーピアサー」(2013年)と「オクジャ/okja」(2016年)を作った。これを通して海外の映画界に本格的に進出した。ポン監督は階級や環境問題を糸口にしたこの2作品でも批判的な視線は失わなかった。
ポン監督が再び韓国語だけで作った「パラサイト」のアカデミー賞4冠という快挙は意味深長だ。ポン監督は「ポンテール」というあだ名があるほど、ディテールにこだわった緻密な演出で有名だが、自身の母語を通して自身が持つ感情の細かな部分まで表現することができた。この点も歴史的な受賞に肯定的に影響したとみられる。
「パラサイト」のアカデミー受賞は、ポン監督の成長にも寄与するだろうが、アカデミーとしても、より多様な映画を受け入れるきっかけとなりそうだ。映画という共通の言語で世界的な監督の一員となったポン監督に拍手を送りたい。
(2020年2月11日付東亜日報 チョン・ジウク映画評論家)
(翻訳・成川彩)