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イスラム教徒が増える町、モスクの「アザーン」が論争を引き起こした

World Now 更新日: 公開日:
アムステルダムのファティモスク。奥に見えているのがプロテスタントの西教会

■教会の街のアザーン

「毎週金曜、アザーンをスピーカーで外に流したい。それによって、私たちはイスラム教を当たり前のものにすることができる」

オランダ・アムステルダムの中心部から南西に5キロほど離れたところにあるブルーモスクの指導者たちが、フェイスブックにこんな呼びかけをしたのは昨年10月8日のことだった。

市内に40~50はあると言われるモスクの中で、定期的にアザーンを流しているところは、それまでなかった。フェイスブックはたちまち賛否両論のコメントであふれた。「私たちがイスラム圏に行けば、そちらのやり方に従う。逆の場合は西欧のやり方に従うべきだ」「金曜日の午後の短い時間なら、大した問題ではない」

市議会では反イスラム主義政党などから、反対の声が上がった。対応を問われたフェンケ・ハルセマ市長は「(礼拝を知らせるためなら)アプリなどがあるいまの時代に、アザーンの放送が必要なのか」という問題意識も示したが、「禁止はできない」。あちこちで鳴る教会の鐘の音と同じ扱いだからだ。結局、11月から毎週金曜日、外に向けて流れるようになった。

2019年から金曜日の外に向けてアザーンを流し始めたアムステルダム市郊外のブルーモスク

1月初めの金曜日、このモスクを訪ねた。あいにく大型のスピーカーは故障中だったが、集まってきたひとたちは「アザーンが流せるようになって、誇らしい」などとうれしそうに語った。

モスクが位置しているのは、中心部から少し離れた団地の中。あたりを歩く人たちには髪を隠すヒジャブをかぶった女性の姿が目立つ地域だ。

ブルーモスクの隣の住宅に6年住んでいるという男性(38)はこう言った。「この周辺は自分も含めてイスラム教徒が多い。アザーンを定期的に流すのは、アムステルダムではここが最初なので、うれしい気持ちはある。このあたりにもイスラム教徒でないひとはいるが、金曜の昼、わずか数分だから気にする人は少ない。さすがに毎日とか、1日に何回もとなったら多すぎると思うだろうが、それは分かっているよ」

モスクでは10月以降、2回にわたって近くの住民を集めた説明会を開いた。モスクの指導者ヤシン・エルフォルカニさん(37)は、「『きれいな歌声だ』といった感想があったほかは、『いつ流れるのか』『何分続くのか』といった具体的な質問が出ただけ。特に反対の声はなかった」と言う。「イスラム教が実際はどんなものか知られていないから、誤解を招く。知ってもらういいきっかけになりました」

ブルーモスクのヤシン・エルフォルカニさん

■「新しいもの」が起こす摩擦

【動画】モスクのアザーンは迷惑か オランダで起きた論争

2015年の中央統計局の推計によると、オランダに暮らすイスラム教徒は18歳以上の人口の5%。アムステルダムでは、12%にのぼる。

それでも、アムステルダムでは周辺に気を使ってアザーンを放送しないモスクがほとんどだ。観光名所でもあるプロテスタントの教会「西教会」にほど近いファティモスクもそのひとつ。総務などを担うムハメット・ヤマリさん(45)は「ここは町の中心部。流せばイライラする人もいる。利便性を考えてこの地にあるが、モスクのすぐ近くに住むイスラム教徒は少ない。礼拝の呼びかけを外に流す意味もあまりないんです」と言う。

ファティモスクのムハメット・ヤマリさん

実は、ファティモスクもイベントではアザーンを外に向けて流したことがある。それでも、ふだんは流すことはしていない。それほど周りに気を遣うのには、このモスクの歴史も関係している。

1920年代にカトリック教会として建築された建物が放棄された後、このモスクとして使われるようになったのは1981年。当初は「教会に戻せ」という反対運動もあったが、地道に地域との交流を深めてきたという。「私たちはこの社会の新参者。新しいものは、なんであれ古いものと摩擦を起こす。慎重なコミュニケーションが必要なんです」

ファティモスクの内部。1920年代にカトリック教会として建てられたがのちに放棄され、80年代からモスクとして使われている

ただ、ヤマリさんもアザーンをふつうに流せる日を夢見ている。「アザーンは私たちにとって、ここが故郷だと感じさせてくれるもの。いつか分からないが、街の多様性と寛容さを象徴する存在として流せるようになればいいですね」

■宗教の違いを乗り越えるために

実はユトレヒトやハーグなど、首都をのぞくオランダの大都市では、すでにアザーンを流すモスクがある。ユトレヒト大学助教のプーヤン・タミミ・アラブさん(36)によると、その数は30~40。流すとなると周辺から決まって反対の声が出るという。

ユトレヒト大学のプーヤン・タミミ・アラブさん

オランダ東部の町の反対運動について調べたときには、実際には音があまり聞こえない地域にも不満の声があった。「空港の騒音ですら、空港の政策に対して悪い印象を抱いていると、より大きな騒音だと感じるようになる。宗教にまつわる音の場合、さらに摩擦は大きい。ひとの好みはそれぞれです。みんなが心が広ければいいが、実際問題としてはそうはいかないのです」

とはいえ、憲法で信教の自由などが保証されていることもあって、こうした摩擦が法的な争いになることはほぼない。落としどころを見つけるためには、行政の役割も大きいという。「まず必要なのは、宗教的なマイノリティを守る法的な枠組みです。そのうえで大事なのは、住民、モスク、そして間に立つ行政の三者が集まって対話をすること。そして、なんらかの合意を得たうえで実際に音を流していくこと。頭で考えているだけでは、ひとはなかなか寛容になれない。そうしたプロセスを体験していくことで、寛容になれるのだと思います」

取材の後、彼が大学に近いユトレヒトのドム教会に案内してくれた。

ドム教会の内部に残る彫刻。宗派の争いにより、顔面がはぎとられている

もともとカトリックの教会だったが、16世紀の宗教改革でプロテスタントに転換。その時に破壊された壁画などがいまも残る。「プロテスタントが支配的な時代、カトリックの教会は鐘を鳴らすことを禁じられていたこともありました。当時のキリスト教の宗派の違いは大きく、いまの宗教の違いに匹敵するほどだったのです。そこで長い期間をかけ、さまざまな犠牲をもとに確立されたのが他者を認める『寛容』という考え方であり、市民の権利という考え方なのです。私たちはそれを、もう一度見直さなくてはいけないのではないでしょうか」