英オックスフォード近郊のウッドストック。さる9月14日の午前5時前、ウィンストン・チャーチルの生家であるブレナム宮殿での美術展で、18金製のトイレが盗まれた。十分に使用可能なトイレだった。
以来、その痕跡がない。
警察は今も行方不明になった便器――それはマウリツィオ・カテラン(訳注=イタリア出身の芸術家)の作品で「アメリカ」と名付けられた美術品――を捜し続けているが、これまでのところ何の成果も得ていない。捜索しているテムズバレー警察の広報官は、この窃盗事件に関連して6人が逮捕されたことを認めた以外、話すことを拒否している。捕まっている6人は罪に問われることなく後日、釈放される予定だ。
トイレがどうなったのか、警察にはわかっていないかもしれないが、ブレナム宮殿に近いウッドストックの町の住民たちはさまざまな見方をしている。
庭師のリチャード・ジャクソンは、それはまだ宮殿の敷地内にあると思うと話した。たぶん強盗は、敷地内にある二つの湖の一つに、橋から投げ落としたのではないかと言うのだ。
「さびることはないだろう」とジャクソン。「1年待ってから、それを手に入れるのだ」と付け加えた。
「それは建築現場にある」とタクシー運転手のスーザン・ヒュースは語った。「それが私の見方」。新しい家が宮殿の近くに建築中だと彼女は言う。「そこには採掘用の工具やダンプ車など何でもある」。犯人たちはトイレを隠す穴を掘れるし、「その晩のうちに穴を覆う」ことができたはずだと彼女は言い添えた。
骨董(こっとう)商のマーティン・トーマス=ジェフリーズは、そうした見方は間違いだと確信していると言う。トイレは溶かされてしまったと彼はみている。ある推定だと、トイレの金は400万ドルする可能性がある。「やったのが誰であれ、確実に計画的だったはず」と彼は言う。「ティアラをポケットに入れるのとは違うのだ」
彼の骨董店に黄金のトイレを持ち込んだ者はいなかった。そう彼は付け加えた。
3キロ余り離れた小さな空港から英国外に運び出されたと推測する人もいる。何人かは、トイレはまったく盗まれてはおらず、たぶん、バンクシー流のいたずらで販売促進を勢いづかせようとカテラン本人が隠したのかもしれないといった見方すら提示した。
「悪ふざけだ」。すでに引退しているジャッキー・ブレーク(72)は言う。カテランは「たぶんどこかに置いて、人びとがどう反応するのかを見ているのではないか」。
こうした見方をさせる要因の一つは、誰もこの犯罪を真剣に受け止めていないことだと学校職員のクリスティン・ジョンソンは言う。「まさに正直なところ、人びとはジョークだと思っている」と彼女は指摘した。彼女の話だと、町にはスプレー塗装された(黄金のトイレの)模造品さえいくつか出回っていた。
その一つが、フィッシュ&チップスの店「Off The Hook(オフ・ザ・フック)」にあった。他には、地元のパブ「The Woodstock Arms(ザ・ウッドストック・アームズ)」にもあったが、パブの経営者ロス・フィリップスによると、それは陽気な客が盗んでしまった。
フィリップスは、ブレナム宮殿で働いていたパブの顧客をからかうために複製のトイレ――約60ドルする――をつくることにしたのだと言っていた。「うちの息子は、その塗装をほんとうに楽しんでいた」とフィリップス。「私の妻はバカな考えだと思ったと言うけど」
黄金のトイレ「アメリカ」は、9月14日までは、チャーチルが生まれた寝室のすぐ外にある板壁の小部屋に設置されていた。そのトイレは、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で2016年から17年にかけて展示されていた時もそうだったが、訪問者たちは有料で使うことができた。
ブレナム宮殿では、窃盗に遭う前夜、カテランの美術展のパーティーが開かれていた。パーティーは午前2時ごろ終わった。その数時間後、泥棒たちが押し入ってトイレを盗み出し、ちょっとした洪水が起きた。目撃者を求める10月の警察の話だと、逃走用に使われたとみられる少なくとも2台の車を捜していた。
盗まれた美術品のデータベースを運営する非営利団体「Art Loss Register(アートロス・レジスター)」の盗品回収部長ジェームズ・ラットクリフによると、最近、田舎の由緒ある大邸宅での盗難事件が増えている。
黄金のトイレが盗まれる1週間前の9月8日、ブレナム宮殿から50キロ近く離れたスードリー城に4人のドロボーが侵入、ファベルジェの金のたばこケースや英国王エドワード7世が愛人に贈った宝石などを盗んだ。
ラットクリフの話だと、彫刻を盗む犯人が欲しがるのは、多くの場合が芸術品そのものではなく、素材だという。2000年代には、英国の公園や庭園からヘンリー・ムーアやバーバラ・ヘップワースの作品など何点かの大きなブロンズの彫刻が盗まれ、それらは溶かされたと彼は言っている。
「芸術品だから盗むという者がいるとは、とても思えない」とリチャード・エリスは言う。元ロンドン警視庁の美術骨董班の班長で、現在、芸術品窃盗事件のコンサルタントをしている。カテランの作品が盗まれたのはむしろ、「それが金の大きな塊だったからだ」と言うのだ。
黄金のトイレは、24時間以内に溶かされてしまったはずだと彼は付け加えた。
カテランは、今回の犯罪の背後に誰がいるのかはわからないと電子メールで回答してきた。彼はボードゲームのClue(訳注=英国でつくられたゲームで、犯行現場や凶器、犯人などの推理を競う)を引き合いに、「主な容疑者たち」は「執事、料理人、家主」に違いないとジョークを飛ばす。
「でも、どれも本当ではない」とも言い添えた。
カテランは、以前、同様のいたずらをしたことがあるが、今回の作品消失には関わっていないと言っている。1996年のことだが、彼はオランダで美術展示品を盗み、それを自分の作品として発表した。「置き換えのつもりだった」とその時、彼は語っていた。「ゴミ箱も含めて、すべて取り去ったのだ」と付け加えている。
カテランは、黄金のトイレが戻ってくるとは思っていないと言う。ブレナム宮殿で展示していたトイレは彼が3点つくった作品の一つだから、まだ二つ残っていると言っていた。(抄訳)
(Alex Marshall)©2019 The New York Times
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