■業界の枠組みを変えた
11月上旬、米ロサンゼルス(LA)。夕方、記者の乗った相乗りタクシーにデザイナーのニコール・メイフィールド(31)が乗り込んできた。左手にスマートフォンを握りしめ、配信ドラマに見入っている。預けていた2歳の息子を迎えに行くところだという。「ドラマが大好きで、三つの配信サービスを掛け持ちして15作品を追っかけているの。家事をしている間もずっと見ちゃう。もう中毒みたい」と笑った。
ネットフリックスにディズニープラス、アップルTVプラス……。街中の目立つ場所に、大型広告が競い合うように掲げられていた。いずれも「サブスクリプション型」とよばれる定額制の動画配信サービスだ。
ハリウッドの歴史ある撮影スタジオの敷地内に、世界最大手のネットフリックスのLAオフィスはあった。真新しい14階建てビルの玄関をくぐると、両脇のガラスケースには金色のトロフィーがずらり。最上段には、今年のアカデミー賞で監督賞と撮影賞、外国語映画賞の3部門を受賞した「ROMA/ローマ」のものが誇らしげに飾ってあった。
技術部門は約500キロ北のロスガトスの本社に集約されており、LAオフィスでは制作部門やマーケティング部門の約3000人が働く。案内してくれた広報担当者は「7年前のLAの従業員は100人に満たなかった」というから、その急成長ぶりに驚く。それもすっかり手狭になり、近くに建設中のビル2棟を新たに借り上げて来年にも入居するという。
1997年に、DVDの郵送レンタル業者としてカリフォルニア州中部の小さな町スコッツバレーで産声を上げてから20年あまり。今では、中国などを除く世界約190の国と地域に約1億6000万人の会員を抱える巨大サービスになった。
ネットフリックスは、動画の世界に破壊的な変化をもたらした。2007年にDVDレンタルからネットの動画配信サービスに軸足を移すと、10年に世界市場に進出。同年には、長年のライバルだった世界最大のレンタルビデオチェーン、ブロックバスターが倒産に追い込まれた。
さらに、ウォルト・ディズニーなどの大手制作会社がコンテンツを提供してくれなくなることを見越して、独自コンテンツの制作に乗り出す。13年には政治サスペンスドラマ「ハウス・オブ・カード」を独占配信。蓄積した顧客データの分析に基づいて人気監督と俳優を起用したこの作品は、米テレビ界での最優秀作を選ぶエミー賞に、動画配信会社の独自作品としては初めてノミネートされ、3部門を受賞した。
「サブスク型」の動画配信は急拡大している。調査会社IHSテクノロジーは、世界で定額制動画配信サービスの契約数が、21年に19億件近くにまで増えるとみている。
■「好み」で変わる20種類のトップ画面
ネットフリックスの躍進を支えたのが、徹底した顧客データの分析と優れたアルゴリズムだ。顧客の志向を見極め、次に見たくなる作品をおすすめするアルゴリズムの開発に心血を注いだ。性能を高めるために賞金100万ドル(約1億900万円)のコンペで米通信大手AT&Tなど世界中の開発チームを競わせたこともある。
日本で今年話題を呼んだ日本発のドラマシリーズ「全裸監督」では作品紹介のデザイン画面を約20パターンも用意。恋愛ものを好むか、80年代の映画を好むか、などによってユーザーごとに表示するデザインを変える。「アクション」「親子ドラマ」など、作品に含まれる要素を拾い出した「タグ」は何千種類もあり、実際に作品を見たスタッフにより手動で加えられている。
独自コンテンツにかけるお金の規模も他社を圧倒する。今年のコンテンツ制作などへの投資額は150億ドル(約1.6兆円)。日本の民放5社(単体)の売上総額を上回る。
広告で収入を得るテレビ局と違い、その原資は会員からの月額利用料だ。視聴率や広告主を気にする必要がなく、公共性が高いテレビ局ではできない、過激な表現ができる点も強みだ。そうしてできた新作ドラマは、シリーズ全話を一挙に配信。連続ドラマを一気に見る「ビンジウォッチ」は社会現象となり、熱狂的なファンを生んだ。
■米国は頭打ち、世界に活路
大躍進を遂げたネットフリックスだが、米国では会員が6000万人に達して成長が頭打ちに。新たな成長市場と期待するのが、日本を含めたアジアや南米だ。各国発のローカルコンテンツを独自に作り、30近い言語で世界へ配信する戦略を掲げる。
9月に来日したプロダクト最高責任者のグレッグ・ピーターズは「その国や地元に密着したコンテンツは大変人気がある。グローバルなものと併せて提供していきたい」と述べた。
かつて「私たちの競合相手は睡眠だ」と発言したこともあるネットフリックスの創業者兼CEOのリード・ヘイスティングスは11月上旬、米国であったトークイベントで、ディズニーの参入などで激しさを増す動画配信業界について、こう強調した。「この動画配信ウォーズの勝者を決める本当の戦いは『時間』だ。ディズニーも我々も、優れた作品づくりを通じてどうすれば視聴者の時間を勝ち取れるかに集中している」
■「囲い込み」に動く競合他社
ネットフリックスに対抗しようと、米国の大手制作会社は、コンテンツの「囲い込み」に相次いで動き始めた。
最大の「強敵」の一つが、長い歴史と多数の人気ブランドを抱えるディズニーだ。11月、満を持して有料の配信サービス「ディズニープラス」を北米などで始めた。ディズニー作品に加えて、傘下の「スターウォーズ」シリーズや「ピクサー」のCGアニメも見放題。初日だけで1000万人を超える会員を獲得し、新聞やネットニュースなどをにぎわせた。
10月に南仏カンヌで開かれた世界最大級のテレビ番組見本市「MIPCOM(ミプコム)」。テーマは「ストリーミングの攻勢」だった。
「ワーナーは積極果敢にこの領域に出て行く。資産は卓越している」。来春から新しい配信サービス「HBOマックス」を始める米ワーナーメディアの関連会社トップ、ロバート・グリーンブラットは、基調講演でこう切り出した。
ワーナーは世界に名だたる映画会社ワーナーブラザース、報道機関CNNなどを傘下に持つ。映画でいえば、名作「オズの魔法使」から近年のバットマンシリーズまで、多くのヒット作がある。HBOマックスは、日本のスタジオジブリの作品も配信する。
■サービス乱立に過熱感も
相次ぐ参入の背景にあるのが、多くのコンテンツを持つ旧来のテレビ局や映画会社などの危機感だ。
ドラマや映画の配信権をネットフリックスに高値で売って恩恵を得ていたテレビ局や映画会社も、ネットフリックスの急成長を目の当たりにして、同社から作品を引きあげ、自社での配信に乗り出した。
ネットフリックスのアプリを自社製品のプラットフォームにのせて共栄してきたアップルは、「アップルTVプラス」を開始。人気ハリウッド俳優ジェニファー・アニストンらを起用した看板ドラマなどをてこに、シェア獲得に参戦した。
メディアコンテンツビジネスに詳しい米国在住の実業家、鳩山玲人(45)は「各プレーヤーがそれぞれの収益モデルを拡大するために、差別化の鍵を握るコンテンツを利用しようとしている」とみる。
ただ、こうした業界の変化は、過熱感も生み出している。英エコノミスト誌によると、過去10年間の番組制作費は、ネットフリックス、ディズニー、ワーナー3社だけで2500億ドル(約27兆円)にのぼるという。
一方、アジア勢も攻勢をかける。MIPCOMでは、中国勢の参加業者が増えている。中国トップクラスの配信業者「テンセントビデオ」副社長のジェフ・ハンは、中国では約7億5000万人以上がネット上で動画を見ており、「6月末時点の有料会員数が約1億人」と強調した。
中国版ニコニコ動画といわれる「ビリビリ動画」は約790万人の有料会員を持つ。同社のカーリー・リー副会長は、同社のアプリは24歳以下の若者の間で最も使われているとアピールした。
また、広告収入で動画を無料配信している米「トゥビ」の創業者でCEOのファハド・マッソーディは、「1カ月の視聴時間は、5月に9400万時間だったのが、9月には1億3000万時間を超えた」と誇った。
世界中で乱立する動画のストリーミング事業について、メディアやテクノロジーの調査会社「ミディアリサーチ」のティム・マリガンは、ストリーミングサービスはすでに定着しており、「新規立ち上げは既存の同業者との競争になる」と警鐘を鳴らした。