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破産、難病、ホームレス。だから旅に出た 50歳夫婦の「生まれ変わり」

Bestsellers 世界の書店から
田辺拓也撮影

本書『The Salt Path』は16万部を売ったノンフィクションだ。著者レイナー・ウィンと夫のモスは高校で出会い、結婚した。だが50歳にして二重の悲劇に見舞われる。投資案件でだまされて破産し、自宅を差し押さえられ、翌日にはモスが「大脳皮質基底核変性症」(CBD)の宣告を受ける。歩行障害などを特徴とする、治療法のない死に至る難病だ。こんな事態がふりかかったら、あなたはどうするだろう?

この夫婦は型破りだった。どうせホームレスになったのだから、歩き続けようと決めたのである。こうしてテントと寝袋を担いだ2人は、英国南西部の沿岸を北から南へぐるりと回る1000キロ踏破の旅に出る。資金は社会保障の月額200ポンド(約2万8000円)だけ。旅立つ前彼女は、過去を嘆き未来を憂える感傷的な旅になるのだろうと思っていたが、現実は違った。

容赦なき太陽に焼かれ、強烈な潮風にさらされ、半病人の夫をかばいながらの旅は物理的な難行であり、過去も未来もなく、あるのは「次の一歩」のみ。

ゆく先々で強行軍の理由を尋ねられ、モスは2種類の答えを使い分けてみた。「家を売り払って旅に出た」と「ホームレスになったので旅に出た」という説明と。前者だと感心されたり質問攻めにされたりしたが、後者だと皆逃げるように立ち去った。肉が落ちて、潮風に打たれた肌がなめし革のようになってゆく。高校時代にあこがれた少年が、いま彼女のあとをついてくる痩せ衰えて一文無しの初老のモスだった。

変容という言葉ほど本書に似合う言葉はない。常に海を見ながら歩き続け、無数の人々の温情に触れた。冬になれば農家の納屋に避難して夏まで労働者として働き、1500ポンド(約21万円)を得た。そして中断していた旅を再開し、最終的に1000キロの道を歩き終えたあとの2人は「沿岸に連なる吹きさらしの木々のように、どんな苦難にも耐えられるような新しい形に生まれ変わっていた」。

旅の最後には奇跡が待っていた。ベンチで隣り合った婦人は、2人がホームレスであることを知っても動じない。それどころか素晴らしい提案をしてくれた。紙幅が尽きたので詳細は書けない。出発時の絶望が希望に変わった瞬間だった、とだけ言っておこう。

■ダイアナ元妃の事故現場にも 法医学者のノート

Richard Shepherd『Unnatural Causes』

リチャード・シェパード『不自然な死因』

英国のトップ法病理学者による回想録。現在60代後半の彼は、約40年のキャリアで2万体の検視を担当してきた。そのすさまじい職歴を34章のエピソードに託して語った本だが、活躍範囲は世界にまたがっている。

もちろん英国内の陰惨な殺人事件には事欠かないが、2001911日の米同時多発テロのときにはニューヨークに飛んで、英国人犠牲者の遺体67体を収容に行き、翌年のインドネシア・バリ島で起きた爆弾テロ事件のときも島へ飛んでいる。19978月にダイアナ元皇太子妃が滞在先のパリで交通事故死したときにも現地へ出かけた。ダイアナ元妃を含めた車の乗員4人が衝突時に受けた衝撃を、およそ2ページにわたって一刻一刻コマ落としで解説した章は圧巻だ。彼女は打撲程度のケガしか負っておらず、車から助け出されたときも会話をすることができたらしい。ということもあって、他の血だらけの3人が優先的に手当を受けた(救急医たちは彼女がダイアナ元妃だとは気づいていなかったのだ)。だが彼女の肺の内部の静脈が小さく裂けていたことに誰も気づかず、彼女はだんだん気を失って死んでいったという。シートベルトをしていたら彼女は死ななかったというあっさりした所見には複雑な気分になる。

本書の魅力は第一に法病理学という特殊な分野の、通常は知り得ない世界の生々しくも詳細な記述にあるけれど、少年時代から70を目前にした現在までの「ドクター・シェパード」の自伝としても魅力的だ。自分の健康や離婚と再婚というプライベートな面も避けることなく、そして何よりも全編に温かな人間的省察のまなざしが貫通している点は、よくある法医学もの、検視謎解き物語とは一線を画している。明晰(めいせき)で読み手を引き込む文章の魅力も、本書の美点のひとつであることを強調しておきたい。

■「分かっちゃいるけど」では済まされない気候変動 

David Wallace-Wells『The Uninhabitable Earth』

デイビッド・ウォレスウェルズ『住めない地球』

「あなたが考えているよりも、事態は遥かに、遥かに悪い」というあおりで始まる気候変動警告の本書には、次のような小見出しがついた章が続く。「熱死」「飢餓」「溺死(できし)」「山火事」「災害はすべて人災」「真水の枯渇」「死にゆく海」「吸えない大気」「温暖化の災難」「経済破綻(はたん)」……。「アポカリプス・ナウ!(世界の終わりがきた)」と叫びたくなるが、著者の眼目はそこにある。

2100年までに平均気温が4度上昇すれば、北欧やシベリア北部などしか人間が住める場所はなくなるのだから。人類は目を閉ざしたまま全地球的な生態系の破局へ向かっているのだから。

現在、人々は気候変動のリスクを突きつけられて認知的不協和に陥っている、というのが著者の観察だ。平たく言うと、分かっちゃいるけどやめられないからへりくつでごまかす、ということである。大転換のためには、破局の想像力とか最悪時の想定などと悠長なことは言っておられず、世界規模でのエネルギーシステム、輸送システム、工業、農業の完全な作り替えが必要なのだ。が、人々はそんな大規模の、特に米中の協調が前提となるタスクは難しいよなと自分と隣人を説得・納得させて「やめられない」状態へとあとずさりする。

しかし、立て続けに関東地方を襲った豪雨、アメリカ西部・オーストラリア東部で燃えさかる山火事などに接して、やはり気候変動かと恐れ始めた人々は増えているだろう。これを書いている最中(11月中旬)もヴェネツィアは半世紀ぶりに水没状態にあり、英国のヨークシャー地方では前代未聞の洪水に襲われている。12月中旬に総選挙を控えたここ英国では、もちろんEU(欧州連合)離脱をめぐる声が大きいけれど、各党とも気候問題対応をアピールの主軸に置いている。前回の選挙までには見られなかった現象だ。

著者のウォレスウェルズはジャーナリストで、177月に本書と同じタイトルの記事をニューヨーク誌に書いて注目された。それ以前は特に気候問題など気にしないガジェット好きの青年だったらしい。が、警鐘を鳴らすとなったら手加減はしない。今後気候問題に関しては、スウェーデンの少女グレタ・トゥンベリと、このアメリカの青年(というにはやや年を取っているが)デイビッド・ウォレスウェルズがしばし前衛となるのだろう。

英国のベストセラー(ペーパーバック、ノンフィクション部門)

10月26日付The Times紙より

1 No One Is Too Small to Make a Difference

Greta Thunberg グレタ・トゥンベリ

地球温暖化対策を訴えて行動する16歳少女のスピーチ集。

2 Written in History: Letters that Changed the World

Simon Sebag Montefiore サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ

紀元前から21世紀までの歴史上の人物による100通以上の書簡集。

3 This Is Going to Hurt : Secret Diaries of a Junior Doctor

Adam Kay アダム・ケイ

産婦人科医を6年務めたあとコメディアンになった勤務医、秘密の日記。

4 The Uninhabitable Earth

David Wallace-Wells デイビッド・ウォレスウェルズ

気候変動は現在の10代が直接被害を受けると警告する。

5 The Secret Barrister: Stories of the Law and How It's Broken

The Secret Barrister 匿名法廷弁護士

刑法体系の解説書。どのように機能し、機能不全の個所はどこか等。

6 The Salt Path

Raynor Winn レイナー・ウィン

ホームレスになった夫婦が英国沿岸1000キロを踏破する。

7 How To Be Right

James O'Brien ジェイムズ・オブライエン

英国のラジオ番組の人気司会者が、リスナーとの討論術を披露。

8 Step By Step

Simon Reeve サイモン・リーヴ

世界130か国以上を旅したテレビプレゼンターの少年時代からの旅行記。

9 12 Rules for Life: An Antidote to Chaos

Jordan B. Peterson ジョーダン・ピーターソン

幸福を追求するのではなく意味ある人生をどう生きるか。

10 Unnatural Causes

Richard Shepherd リチャード・シェパード

無数の検視を行ってきた法病理学者による突然死と不審死についての解説。