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ブレイディみかこ「白紙の答案に注目、『物を書け』と言ってくれた先生がいた」

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貧乏が恥ずかしかった

――福岡のお生まれですね。どんな子どもでしたか。

気が強かったですね(笑)。とっくみあいのケンカもしましたよ。勉強は全然しなかったけど、試験の要領だけはよかった。

家は土建屋なんですが、貧乏でしたね。周りもそんな感じだったから、中学まではあまり気にならなかった。ところが地元の進学高に入学して、家のことは一切言えなくなりました。お金がなくてパン1つしか買えなくても「ダイエット」なんてウソついて。裕福な家庭の子どもたちには、貧乏のイメージがわかないわけですよ。彼らの幸せな世界を、こんな暗い話題で壊しちゃいけない、と感じていた。

――それは、自分を保つため?

そうだったと思いますね。恥ずかしかった。なんでこんなに貧乏なんだろう、なんでこんなところに生まれちゃったんだろうって。親がバカだからだと思っていましたよね、ずっと。上の学校に行きたいとか、お金があれば、ああいうこともできた、って気持ちは当然ありましたけど、自分でなんとかしなきゃいけない。

で、バスの定期券を買うために、スーパーのレジ打ちのバイトをやっていたんですが、あるとき学校にばれちゃったんですね。そうしたら担任から叱られた。理由を正直に説明したら「いまどきそんな家庭があるわけない」って。

そこから、本気でグレましたね。授業をさぼり、バンドばっかりの生活になった。英国との出会いはそのころからです。学校で家のことを話せない自分がいて、でも帰宅してブリティッシュ・ロックを聴いたら、労働者階級である自分を誇りに思う人たちがいると知る。会ってみたい、彼らの国に行ってみたいと、あこがれました。

――いつから渡英したのですか。

高校卒業後の80年代半ばです。行ってみたら、やっぱりすごく気が楽でした。労働者階級の誇りも肌で感じましたけど、何ていうかなあ……あまりちっちゃなことにこだわらない。自分は自分で、好きにしていられる。それが日本と決定的に違った。

で、ビザが切れると帰国して、お金をためてまた出かける、というフーテン暮らしを続けました。男性を追いかけていったこともありましたね、はい(笑)。バブル世代だから、楽天的だったのかもしれません。いまはこんなフラフラしていても、何とかなる、という根拠なき確信を抱いて生きられる時代だった。

その後、アイルランド系の英国人の夫と知りあい、結婚して96年からブライトンに住み始めました。この間、日系企業のアシスタントをしたり、翻訳の仕事をしたり。新聞社で働いたこともありますが、特派員が発信する英国だけが日本に情報として入るとしたら、かなり偏ってしまうなと正直思っていた。駐在員の記者の方々はいつも多忙で、地元のコミュニティに根差して生活しているとは言い難い。そうすると、英国の人々の感覚と報道がずれて行くのは当然です。だからと言って、自分が書こうとか、そんなことは夢にも思ってませんでしたが。

ライターの仕事は、ほんの小遣い稼ぎに始めたことです。それが変わってきたのは音楽雑誌「エレキング」に書くようになってからですね。好きな音楽について書き始めると、政治も社会も、いろいろと自分の言いたいことがわいてきた感じで。

そうこうするうち、2006年に出産し、翌年に保育士見習いを始めるわけです。

――そもそも、また何で保育士に?

自分の子を産むまでは、子どもなんてケダモノというくらい、好きじゃなかったんですよ。それが、世の中に子どもほど面白いものはない、と大転換が起きた。無料託児所の門をたたいたら、ここの創設者が地元では伝説の幼児教育者だった。息子は彼女に見てもらったのですが、親なら見逃すような成長のあとも、詳細に記録してくれるプロ。平等も自由も大切だ、両方あってしかるべきだという理念の持ち主でした。私の師匠、と呼べる人ですね。

でも当時の保守党の緊縮政策のツケで、託児所はつぶれてしまいます。そこから保育士の仕事をPR誌に書いてほしいとみすず書房から声がかかり、別途、ヤフーニュースでも執筆依頼があって、その記事を集めた本が岩波書店から出た。人文書の世界にデビューみたいな感じですかね。それから今日に至る・・・ほとんど成り行き、ですよね。

――でも、もともとはライター志望だったのですか。

いやいや、そんなことないですよ。ただ、本を読むこと、文章を書くことは、好きだったのかな。

十代のころは、けっこう小説を読んでいて、特に好きだったのは坂口安吾とオスカー・ワイルド。流行りの作家なんかも、わりと読みましたね。

あと、不良だった高校のとき、白紙で出した答案用紙の裏に、バンドの詞や、大杉栄についてのミニ論文とか、ヒマだから書いてたんです。そうしたら、私の文章を読んだ現代国語の先生が「君は物を書きなさい」と言ってくれて。どの先生からもたらい回しにされていた私の面倒をみる、と言ってくれ、2年生、3年生と担任になってくれた。何度も何度も自宅にも足を運んでくれて、「大学に進んでたくさん本を読んで、たくさん文章を書きなさい」と。

まあ、うっとうしくて勉強もやりたくなかったから、大学には進まなかったんですけど・・・。回り回って、こうして物書きになった。不思議ですよね。

――いろいろな出会いが、いまのブレイディさんをつくってきたのですね。ご本にも、息子さんの友達2人に絶妙なケンカ両成敗が下された話にからめて、小学校の恩師のことが思い出されていました。

周囲の反対を押し切って、差別を受けていたコミュニティの人と結婚した方です。きっとご自分の経験があったからこそでしょう、彼女は、どの差別がよりいけない、という前に、「人を傷つけることはどんなことでもよくない」と子どもたちに言い聞かせていました。

もう40年ほど前で、半分覚えていたかどうか、くらいの話だったのに、息子の話を聞いてフラッシュバックのように蘇ってきた。子育ての面白さは、そんなところにもありますね。(続く)

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●ブレイディみかこさん プロフィール
保育士、ライター、コラムニスト。1965年福岡市生まれ、高校卒業後、渡英を重ね、96年からブライトン在住。本文中で紹介した著書のほか、「花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION」(ちくま文庫)、「アナキズム・イン・ザ・UK」(Pヴァイン)、「ヨーロッパ・コーリング」(岩波書店)、「子どもたちの階級闘争」(みすず書房、新潮ドキュメント賞)、「労働者階級の反乱」(光文社新書)などがある。