ギリシャ南部の洞窟の天井から見つかった頭蓋骨(ずがいこつ)の破片は、ヨーロッパでこれまでに発見されているホモ・サピエンスの化石としては最古のものであることがわかった。科学者たちが7月10日、発表した。
これまでのところ、ヨーロッパ大陸で発見された現生人類の最古の化石は4万5千年未満のものだ。今回の頭蓋骨は、それより4倍超も古く、21万年以上前にさかのぼると科学者たちは英誌「ネイチャー」で明らかにした。
この発見は、ヒトがヨーロッパに広がった物語を改変する可能性があり、私たちの種の歴史に関する見方を修正することになるかもしれない。
ホモ・サピエンスは約30万年前にアフリカで進化した。新しい化石は、私たちの種のアフリカからの移住の波が人類の歴史の初期に始まって何波にも及んだという新しい見解を後ろ支えするものだ。
しかし、最も初期の移住の波は絶滅してしまった。今日、アフリカの外に祖先を持つすべてのヒトは移住の後期、つまり約7万年前以降の子孫である。
今回の新しい研究の筆頭執筆者カテリーナ・ハーバティは、最古のヨーロッパ人たちがヨーロッパ大陸でどれほどの期間生き残り続けたのか、あるいは彼らはなぜ姿を消してしまったのかについて言及するのは不可能だと語った。
「いい質問ではあるが、私にはわからない」とハーバティ。ドイツのテュービンゲン大学の古人類学者である彼女は「つまり、私たちが最古のヨーロッパ人を見つけたのは今回が初めてだから」と言うのだ。
この頭蓋骨は1978年、ギリシャのペロポネソス半島にあるApidima(アピディマ)と呼ばれる洞窟をアテネ大学医学部の人類学者たちが調査していた際に見つかった。彼らが発見したのは洞窟の天井に埋まっていた二つの頭蓋骨だ。
研究者たちは化石が閉じ込められていた、リュックサックほどの大きさの岩をはぎ取り、何年もかけてようやくそこから骨を取り出した。
化石の一つは「Apidima 1」と名付けられ、頭蓋骨の後部の一部であることが判明した。もう一つは顔面の破片66個から成る「Apidima 2」だ。 Apidima 2についての初期の分析では、破片は約16万年前のものとみられ、Apidima 1も同時期に化石化した可能性があると見られていた。
この二つの化石が示唆した時代は、ヨーロッパにおける私たちの種の最古のものとして知られていた証拠よりはるかに古かった。それらの頭蓋骨は約40万年前にヨーロッパに到達したネアンデルタール人の可能性が高いように思えた。
アテネ大学の人類学博物館は、ヒトの頭蓋骨の化石の形状専門家であるハーバティを招き、詳しく調べてもらった。彼女と同僚の研究者たちはCT(コンピューター断層撮影)スキャンをした後、コンピューターで分析した。
彼女たちはApidima 2の顔面をコンピューター上で復元し、それを見てネアンデルタール人だと理解した。ところが、Apidima 1の頭蓋骨の後部を分析してみると、別の何かであることに気づいた。
ネアンデルタール人など絶滅した人類の仲間は、頭蓋骨の後部が外側に出っ張っている。「後頭部は、丸くまとめた束髪をつまみ上げたような形に見える」とハーバティは言う。
しかし、私たちの種には出っ張りがない。絶滅した私たちの親類と比べると、現生人類の頭蓋骨の後部は明らかに丸みを帯びている。
ハーバティを驚かせたのは、Apidima 1の後頭部だった。それは丸みを帯びており、ホモ・サピエンスだけに見られる他の特徴も備えていたのだ。
米カリフォルニア大学デービス校の古人類学者ローラ・バックは、ハーバティらは説得力のある主張を展開したと言う。この研究には関係していないバックだが、「非常に丸みを帯びた形状は他のグループにはない」と指摘した。
ハーバティらが化石を分析していた間、ライナー・グリュンは、同時代についての新たな研究に取り組んだ。オーストラリアのグリフィス大学の地質年代学者グリュンは、二つの化石から取りだした小石について調べた。
ネアンデルタール人のApidima 2は17万年前のもので、以前の推定よりもう少し古いことが判明した。しかし、ホモ・サピエンスの頭蓋骨であるApidima 1は、Apidima 2より4万年ほど古く、少なくとも21万年前のものだった。
その年代なら、頭蓋骨の破片がヨーロッパだけではなくアフリカ以外のどこであれ最古の現生人類の化石ということになる。科学者たちが今、直面している課題はApidima 1が私たち人類の古代史にどう当てはまるかを解明することだ。
ここ20年間、研究者たちは今日、アフリカ以外に住むヒトがいずれも約7万年前にアフリカ大陸を離れた移住者の複数の小集団から派生したものであることを示す大量の証拠を集めてきた。その軌跡はヒトのDNAに記録されており、考古学者たちはアフリカから拡散したヒトの化石や道具を追跡してきた。
ところが近年、研究者たちは従来の物語に適合しないいくつかの化石を発見してきた。たとえば、昨年、イスラエルで18万年前のホモ・サピエンスのあごの骨を見つけた。
2017年には、ヨーロッパで見つかったネアンデルタール人の化石に残っていたDNAの断片にもう一つの手がかりがあることがわかった。遺伝物質には、ネアンデルタール人からではなく、ホモ・サピエンスから受け継がれたとみられるものもあった。科学者たちは、私たちの種は少なくとも27万年前にヨーロッパに到達し、そこでネアンデルタール人と交雑したと推測した。
ハーバティによると、Apidima 1とDNAの証拠の両方ともがアフリカからヨーロッパへの広がりを示している。「それがいかにうまくつじつまが合っているかは不気味なほどだ」と彼女は言う。
イスラエルで見つかった化石は、アフリカを離れた現生人類と同じ移住時期の波に属しているか、その後の波に属している可能性がある。いずれのケースであれ、そうしたヒトたちはすべて消え去ってしまった。
ネアンデルタール人が今日のギリシャやイスラエルに移り住み、そこで遭遇した現生人類を打ち負かしたという推測がある。仮にそうであれば、事態は7万年前の後期の移住の間に違ったものになっただろう。
ヒトのそうした移住の波は、アフリカの外部で繁栄したかもしれない。彼らがより優れた道具を持っていたからだ。「包括的な解釈があるとするなら、それは文化的な過程だろうというのが私の推測だ」とハーバティは言っている。
ギリシャは、このアイデアを検証するのに適した場所かもしれない。南東ヨーロッパはヒトのさまざまな種がヨーロッパへと移動する回廊だっただろうし、ヨーロッパ大陸の他地域が氷河に覆われていた時期の避難地にもなっていただろう。
「この仮説は現場のデータで裏付けられなければならない」とハーバティは言う。そして、「ここは調べるべき実に興味深い場所だ」と話していた。(抄訳)
(Carl Zimmer)©2019 The New York Times
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