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リベラルの退潮? 本当に危機に瀕しているのは保守主義だ

ことばで見る政治の世界
「リベラリズムは時代遅れ」と断じるプーチン大統領のフィナンシャル・タイムズ紙インタビュー記事(左)。保守主義こそグローバルな危機にあると反論するエコノミスト誌(右)

回り道になるが、個人的なエピソードから始めたい。

30年以上前、政治記者になって一番驚いたのが、拘束時間の長さだった。連日、国会議事堂や政党本部で、政治家が会議を終えて姿を現すのを待っていた。スマートフォンなどない時代だ。ミステリーで時間をつぶす者もいれば、英語の勉強をしている者もいた。私はといえば、政治学の古典を読み返すことに決めた。かつてはさほどおもしろくなかった古典が、実際の政治を取材する身になると、眼前で繰り広げられる政治の争いに、びっくりするほど新鮮な光を当ててくれた。

そういう中で出会ったのが、保守主義の古典、エドマンド・バークの「フランス革命の省察」だった。革命勃発の翌年1790年に出版されたこの本は、革命に対する根本的な批判の書である。だが、単なる伝統擁護、反動ではない。バークは、改革は否定しない。ただ、自由な人間が白紙から理想の政治体制を構築できるという急進思想は、社会に無秩序を生むと考える。既存の制度や慣習が社会を安定させる機能を重視した。現実には、フランス革命はテロルに走り、最後はナポレオンの独裁を生んだ。バークの予言は当たったと言えよう。

保守主義とは、特定のイデオロギーではない。政治に対する一種の抑制された態度、経験を重んじるバランス感覚と言えよう。バークが擁護したのは、伝統を尊重しつつ改革を重ねる、名誉革命以来のイギリスの政治体制だった。

保守主義の古典と言われるエドマンド・バークの『フランス革命の省察』

そういうバークを読んだ私には、大きな疑問が浮かんだ。では、日本における保守主義とは何か。自民党が保守ならば、何を保守しているのか、という問いである。

よく知られているとおり、自民党の中には、憲法をはじめとする戦後民主主義の諸改革を占領軍の押しつけと捉え、「戦後体制からの脱却」を唱える有力な流れがある。戦後体制の「保守」ではなくて、「否定」なのだ。戦後体制を「保守」するのは、野党の護憲勢力のほうである。

このねじれは、今も消えていない。いや、現在の安倍政権が、予算委員会や党首討論での議論を避けて、国会の軽視する傾向をみると、「保守」の基軸は何なのか、ますます怪しくなる。

いまや保守の混迷は、世界に広がる。グローバリゼーションに伴う経済危機や格差拡大が、先進諸国で長らく政権にあった保守政党の基盤を崩しつつあるからだ。

議会政治の母国イギリスの混迷が特にひどい。保守党政権は、EU離脱をめぐる国民投票というギャンブルに敗れた結果、離脱に舵を切りながらも、具体的な道筋が描けていない。メイ首相は混乱の責任を取って退陣を表明。来週にも決まる次期党首に、強硬派のボリス・ジョンソン氏が選ばれれば、EU側となんの合意もないまま離脱という悪夢の可能性もある。離脱すれば何とかなるという彼の発想には、歴史の知恵に学ぶ保守主義のかけらもない。

ボリス・ジョンソン氏。英保守党の党首選討論会で=ロイター

いっぽうアメリカは、保守であるはずの共和党の大統領がホワイトハウスの主となった。しかし、トランプ氏は、「人種差別」と批判される発言を繰り返し、政策の積み上げなど無視して、ひたすらポピュリスト的なアジェンダを追及している。

その他の国の保守党も惨憺たるありさまだ。ドイツのメルケル首相のキリスト教民主党は支持率を大きく減らし、フランスでは、保守陣営の柱であった共和党の瓦解が止まらない。旧東欧のポーランドやハンガリーでは、保守主義を通り越して、法の支配を軽視する右派政権が政治を牛耳っている。

混乱を象徴する話がある。

6月28日付の英紙フィナンシャル・タイムズに驚くべき記事が載った。同紙のインタビューに答えて、ロシアのプーチン大統領が「リベラリズムは時代遅れだ」とこきおろしたのである。プーチン氏によれば、多様性を重んじ、移民を受け入れ、性的マイノリティーに配慮するリベラル・デモクラシーは、諸国民の信を失い、もはやイデオロギーとして終わっている、というのだ。

これに反論したのが、欧米のエリート層に大きな影響力のあるエコノミスト誌だった。7月4日号の巻頭論文で、「西側で危機に瀕しているのは、リベラリズムではなく、保守主義だ」と切り返した。同誌は、先ほど紹介したバーク流の保守主義観に立って、議論を展開した。伝統や権威を打ち壊す現在の右からの動きは、これは保守ではない。むしろ、保守を否定する「新しい右翼」だという。

グローバルに広がる保守主義のこうした混迷は、今後深刻な影響をもたらすだろう。

実務的なバランス思考の保守が退潮し、「新しい右翼」が跋扈するとき、何が起きるのか。保守が本来持っていた伝統や制度への信頼は消えてしまうだろう。社会の絆を失った人々は、扇動的政治家に容易にあやつられる。そのとき、怒りの政治、憎しみの政治が現れる。保守こそが、ナショナリズムとポピュリズムへの防波堤にならなければならないはずなのに、その役目が果たせなくなる。この危機から、日本は自由なのか。このまま政治への信頼が失われ続け、無関心が広がれば、日本もやがて同じ問いを突きつけられるだろう。