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和田秀樹に聞く「日本の怒りのスイッチはどこに」

World Now 更新日: 公開日:
和田秀樹氏=宋光祐撮影

■オーソライズされるとスイッチが入る

怒りの感情がない国民はいないと思う。しかし、怒りの感情を抑圧した方がよいとされる国民性と、逆に怒った時は表に出した方がよいとされる国民性はあるのではないか。日本では、怒りは抑圧した方がよいとされ、逆に、怒る人間は大人げない人物と見られてしまう。

ところが、たまに「怒ってもよい相手」が見つかると、ぼろくそに叩くことがある。普段は抑圧している分、世の中的に「オーソライズ(正当と認める)」された時の怒りは激しい。最近では北朝鮮や韓国、高齢者の運転、受動喫煙、原発などへの怒りが挙げられる。

何によってオーソライズされるのか。普通は多数派ということになるだろうが、日本では声が大きいほど認められる傾向がある。オーソライズされると怒る方が当たり前になる。そうして怒りが集団化するとエスカレートしやすくなる。ネット社会では、怒りのオーソライズや怒りの増幅が非常に速くなっている。

感情を持つことと感情的になることは違う。私の定義する「感情的」とは、手を出したり、罵倒したりと怒りが行動や言葉に直結することと、怒りで判断が狂うことだ。腹の立つ奴が言うことは全部認めないというのも、判断が感情に振り回されているということになる。

心理学的には、「自己愛」を傷つけられると怒りが生まれる。やり返せない形でやられた場合もそうだ。米国が軍事介入してきた国に親米政権がなかなかできないのは、力で押さえつけて恨みを買ったからだろう。日本のような例は珍しいと思う。日本では戦国時代から、負けた者は勝者の言うことを聞く、という歴史がある。勝てば官軍。だから選挙に勝った為政者に逆らうのはよいことではないととらえられているのではないか。

とはいえ、怒る権利はある。法律を破らない範囲ならば怒ってよいと思う。要は怒り方を覚えろという話だと思う。日本では怒りを言語化したり、怒りの根拠を挙げて議論したりする訓練を大学でもしていない。怒りの感情を収める一番良い方法は、いろいろなオルタナティブ(代案)を考えることだ。それを教えていくのが教育だと思う。