「当然、EUを出るべきだ!」。EUから抜け出すという史上初の選択をした2016年6月の国民投票後まもなく、金は英国に渡った。空港からロンドン市内へ向かうタクシーで、若いドライバーに意見を尋ねたところ、迷うことなく離脱支持の持論を繰り広げる様子に面食らった。「EUの大きな会社ばかりが成功して英国の仕事を取っていくから、自分たちは仕事がなくなる。俺は建築士なのに、ミニキャブの運転手をしているんだ」
トルコから16歳の時に家族で英国にやって来たという男性ドライバーは身の上を話し、国民投票では離脱を選んだと明かした。「2、3年後ではなく、50年後のことを考えた」。きっと反対と言うに違いないと期待していた金にとって、ブレグジットが決まった国民投票後に初めて出会った英国人が、離脱を強く主張したことは驚きだった。
金が英国で写真を撮り始めたのは、04年にさかのぼる。マガジンハウスの専属カメラマンとして雑誌『アンアン』や『ポパイ』などで写真を撮っていたが、フリーランスとして活躍することを目指して退社。まもなく渡英し、2年半の間、ロンドンで暮らした。
家探しのために大家に電話して、部屋の内見に行くたびにいろいろな人種の人が案内に現れた。その多様性に惹き付けられ、英国で暮らす人たちに向けてシャッターを切り始めた。引っ越しを繰り返しながら好んで住んでいた地域は、1990年代以降、クリエイターたちが移り住み、空き倉庫をアトリエなどに利用していたイーストロンドン。「滞在している間に何十カ国もの人に会えた」と話す。
英国で出会った人たちが体現する移民や文化の多様性に魅力を感じるのは、金自身も移民のルーツを持つからだ。
京都府舞鶴市で生まれ育った在日コリアン3世。小学3年になるまで自分が韓国人だとは知らなかった。家族で交わす会話に、日本語では聞いたことのない言葉が交じっていることに気がつき、ある日、母親に尋ねたら、「あなたは韓国人だ」と教えられた。
2人の姉にならって、大学生になった時、それまで使っていた日本名から韓国名の金に名前を変えた。ところが本名を使い始めたとたん、行き詰まりを感じるようになった。名字で留学生と間違われ、スローモーションのような日本語で話しかけられることさえあった。「自分の名前を言うのがイヤで、カタツムリの殻に閉じこもりたいような気持ちになった」。そんな自分の姿を見て、姉が声をかけてくれた。「日本だけを見てたらあかん。移民なんて全然珍しくないよ」
幼い頃から谷川俊太郎の訳で繰り返し読んできた『マザー・グースのうた』の影響で憧れていた英国に一人で行ってみることを思いついたのは、20歳のころ。本に出て来た英国南西部の港町セント・アイブスまで足を運び、海辺に何時間も座って自分の出自について思いを巡らせた。ロンドンでは地下鉄の長いすに、髪も肌も目の色も違う人たちが何事もなく並んで座っていた。文化や民族の違う人たちが当たり前のように入り交じって暮らす街に居心地の良さを感じた。
だからこそ、ブレグジットには衝撃を受けた。移民を排除し、多様性を失わせるかのような国家と社会の空気は、金が見てきた英国とは正反対のものに思えたからだ。
自分の目と耳で本当の姿を確かめようと渡った英国で、被写体になってくれた人たちの声に耳を傾けると、残留と離脱、それぞれの意見が交錯していることを肌身で感じた。
友人の日本人女性の夫はドイツ人だが、残留に一票を投じるため、英国籍を取得した。ロンドンのバスで出会ったジャマイカ人の青年は「カネさえあれば離脱か残留かなんてどっちでもいい」と答えた。4人家族のイタリア人建築家の男性はブレグジットが決まった後の混乱ぶりを見て、そもそも英国に住み続けるべきかどうかを考え始めていた。日英カップルの英国人の彼氏は、「移民だらけのせいで、自分が受けたいときに十分な医療が受けられないから、離脱に投票した」と明かした。
29日の離脱期限はいったん延期が確実になったが、ブレグジットをめぐる混迷はまだ収まる気配がない。期限が先送りされても、英国社会の抱える混乱や対立が解決される見通しはない。そんな状況を見ながら、金が心に抱くのは、ささやかな願いだ。
「ブレグジットが起きても、英国の人たちは良い方向に向かえるようにそれぞれの指標を見つけてゆくだろうか。そうであってほしい」