『ビール・ストリートの恋人たち』は1970年代の米ニューヨークが舞台。婚約した19歳のティッシュ(キキ・レイン)と幼なじみのファニー(ステファン・ジェームス、25)は、黒人に貸す家主を見つけるのに苦労しながらも、幸せな日々を過ごしていた。
そこへファニーが、プエルトリコの女性をレイプした疑いで逮捕される。明らかなアリバイとともに無実を主張したが、あらぬことで目をつけられていた白人巡査ベル(エド・スクライン、35)の嘘の証言で収監。ティッシュやその母シャロン(レジーナ・キング、48)らが、白人弁護士らとともに奔走する――。日本時間25日に授賞式が開かれるアカデミー賞で、脚色賞や助演女優賞など3部門でノミネートされている。
原作は黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの小説。日本でも昨年公開され話題になったドキュメンタリー『私はあなたのニグロではない』(2016年)のもとになった未完の原稿の筆者でもあり、キング牧師による1963年のワシントン大行進にも参加、公民権運動に身を投じたことでも知られる。
ジェンキンス監督はボールドウィン作品を長年愛読してきたという。「ボールドウィンはニューヨークで生まれ育ち、ニューヨーク愛もすごかったと思うが、人種をめぐる問題にはとても頭にきていたと思う」。この原作は10年ほど前に初めて読んだというが、「恋愛と、不正に満ちた世の中への2人の思いとを融合して語る手法に打ちのめされたのを覚えている」とジェンキンス監督。
「恋愛は政治や社会とは別ものとして語られがちで、不当なできごとは省かれ、きれいなものとして仕上がることが多いが、この作品は、とてもピュアで純真な若い2人の愛を不幸にも脅かす社会を描いた、非常に憤りを伴う小説だ」
映画の時代設定は原作同様に1970年代だが、もし現代に置きかえて撮ったとしても違和感はなかっただろう。黒人の冤罪は今も米国で続く大きな問題だからだ。
「原作が書かれた当時と違って今はよくなっているはずだと考えられがちだが、黒人にとってフェアじゃない形で運用される法律はまだたくさんあり、45年前のファニーのような若者が今も多くいる。私たちを守り、社会を統治するはずの制度が公正となっていない。だからこそ、現代に設定し直すことなく、そのまま映画化した。45年経っても何も変わっていないことを示すためにね」
変わっていない証左の一つに、2010年にニューヨークで起きた事件がある。当時16歳の黒人少年カリーフ・ブラウダーが、現金やカメラなどの入ったバックパックを盗んだ疑いで逮捕。無実を主張したが、裁判も受けないまま収監。約3年後についに釈放されたものの、2015年に自殺した。収監中に受けたひどい扱いなどの影響もあったとされる。ドキュメンタリー『投獄:カリーフ・ブラウダーの失われた時間』(2017年)が作られ、Netflixで配信されている。
ジェンキンス監督は「ブラウダーは人生のうち3年も失い、自殺に至った。皮肉なことに、彼がもし罪を認めて司法取引を受け入れていれば、収監期間はもっと短かっただろう」と語る。ファニー役のジェイムスは、このブラウダーの心理状況を念頭に演じたという。
映画では一方で、白人の弁護士や、行きつけのスペイン料理店で働く男性をはじめ、ファニーやティッシュを助けようとする人たちも多く出てくる。「ニューヨークはとても大変な街なだけに、ニューヨーカーたちはいろんな背景を持ちながら、互いに家族のようになる」とジェンキンス監督。そのうえで、「それを、ただ1人の警官が壊した。すべての警官がかかわらなくても、刑事司法制度はたった1人の手で、とてもたやすく歪められる。残念ながら、『ベル巡査』はどこにでもいる。こうしたことがどのように起きるのか理解し、世間に知らしめる努力を、私たちは本当に粘り強く続けていかなければならない」と身を乗り出しながら言った。
被害者がいわゆる白人ではなく、プエルトリコの女性という設定もまた、考えさせられる。彼女のような人たちも米国で、差別や恐らく貧困も経験してきたはずだから。「原作を俯瞰すると、周縁に生きる人々をめぐるさまざまなものが詰め込まれているのがわかる。ボールドウィンはそうした重いものを、読み手に投げかけたいと感じたのだろう」
ジェンキンス監督が『ビール・ストリートの恋人たち』の脚本を書き始めたのは、『ムーンライト』同様、オバマ政権下の2013年だったという。それがいずれも、世に出たのは、「白人のアメリカを取り戻せ」と連呼されるようになってからだ。
そんな中、『ムーンライト』はトランプ大統領就任まもない2017年2月、アカデミー賞で作品賞と脚色賞、助演男優賞の3冠に輝いた。前年の2016年にアカデミー賞演技部門の候補が2年連続ですべて白人となり、「#OscarsSoWhite(白人ばかりのオスカー)」との批判が吹き荒れたのとは打って変わった流れとなった。
ジェンキンス監督はこう分析する。「トランプが大統領に当選した時、『ムーンライト』は米国で公開中だった。それがアカデミー作品賞を受賞したのは間違いなく、多様性や、どんな人も受け入れるのが米国だとの考えを掲げるアートに人々が結集した面が大きい。政治情勢の影響を受けているのは否めない」
ただ、ジェンキンス監督は『ムーンライト』でアカデミー監督賞にもノミネートされたものの、監督賞は受賞していない。最近は以前に比べて、作品賞と監督賞を同じ作品で受賞する例は減ってはいるが、そもそも黒人の監督賞受賞者はいまだにゼロだ。
そう投げかけると、ジェンキンス監督は「スパイク・リー監督なんてアカデミー賞を3回受賞していてもいいぐらいだが、いまだに実質無冠だ。アカデミー作品賞を受賞した黒人監督の作品は『それでも夜は明ける』(2013年)と『ムーンライト』の2作出ているのに、いずれも監督賞は受賞していない。つまり2作とも、まだ成し遂げてはいない」と話した。
とはいえ、「変化はとてもゆっくり進むもの。私は前向きにとらえている」とジェンキンス監督。「今から20年経って、例えば黒人監督が撮ったアカデミー作品賞受賞作が10作くらい出ているのに黒人の監督賞受賞がまだゼロのままだったら、ここに戻ってきてまた話をするよ」と笑った。