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芝園団地に住んで気づいた 共生とは異文化とどう折り合いをつけるかだ 

芝園日記 更新日: 公開日:
芝園団地の中心部にある「たまご広場」で遊ぶ子供たち=2019年1月、大島隆撮影

私はアメリカで生活しているころに2回、「異臭騒ぎ」を起こしたことがある。

一度目はワシントン郊外のアパートに住んでいるときのこと。スーパーで買い物をして帰宅し、しばらくしてからもう一度外出しようと部屋のドアを開けると、目の前の廊下で管理人が消臭スプレーをまいていた。

「どうしたの?」と尋ねると、

「何かおかしなにおいがするという苦情があってね」

あ!と思い当たったのが、自分が韓国系のスーパーで買ったキムチだ(ワシントンには日系スーパーがないので、アジア食材を求める日本人はよく韓国系スーパーを利用する)。パックから液体が少し外に漏れていたので、匂いが広がったのだろう。

もう一回もワシントンで、日本のメディアで働く同業者が集まって「ごま油鍋」パーティーを開いたときだ。

アパートに着くと、ごまの濃厚な香りが、部屋の外の廊下にまで漂っていた。「ごま油鍋」なるものを食べたことはなかったが、日本人の私には、たまらなく食欲をそそる香りだ。

鍋をつつき、お酒を飲んで盛り上がっているころ、ドアをたたく音がした。開けると、そこには消防服に身を包んだ消防士数人が立っていた。住民から通報があったという。ごま油鍋の匂いを、何かが燃えている異臭と勘違いされたようだ。

「これはセサミ・オイルを使った日本の食べ物だ」ということを説明して納得してもらい、最後は一緒に記念撮影をして一件落着となった。

■「異臭」とみるか「料理の香り」と感じるか

さて、何の話をしているかというと、異文化とどうつきあうか、ということだ。

外国人と接するにあたっては「相手の文化を理解し、尊重する」ことが大切だとよく言われる。「異臭騒ぎ」に当てはめてみれば、こういうことだろう。

自分の育った文化の料理以外知らない人であれば、キムチやごま油の匂いは、得体のしれない「異臭」だ。

だが、キムチやごま油を知らなくても、「世の中には自国の料理以外にも、いろんな匂いや味の料理がある」ということを知っていれば、「もしかしたら料理の香りかも」と想像したかもしれない。さらに、キムチやごま油を食べたり、匂いをかいだりしたことがあれば「ああ、アジアの料理の香りだな」と理解しただろう。

そして次の段階は、「尊重する」だ。

「私たちの文化では食べないが、あなたたちがそれを食べることは尊重しよう」という姿勢。あるいは、「食べてみたら意外とおいしかったので、我が家の食卓でも並べてみよう」ということだってあるだろう。日本人の私がキムチを食べるのも、そういうことだ。

■「夜も広場でおしゃべり」は非常識?

ただ、異文化を「どこまで尊重するか」は、ときに悩ましい問題だ。

ごま油鍋の匂いは許容できるアメリカ人でも、隣の住民が毎日クサヤを焼いたり、ドリアンを食べたりしたら、「あなたの国の食文化だということは知っているが、さすがに勘弁して欲しい」と苦情を言ってくることは、かなりの確率でありそうだ。

なぜこんな話を長々と書いてきたかというと、芝園団地で暮らしていると、こうした「どこで文化(価値観)の折り合いをつけるか」という問題に、日常生活の中で接するからだ。

その一つが、団地の広場での子供たちの遊び声だ。

団地の中心にある「たまご広場」は、子供たちの格好の遊び場だ。団地の中は車が通らないので、親も安心して遊ばせることができる。ボールで遊んだり、鬼ごっこをしたり。元気に遊びまわる子供たちの姿は微笑ましいが、問題はそれが夜になっても続く日があることだ。

芝園団地の「たまご広場」。暖かい季節は大勢の親子やお年寄りでにぎわう=2019年1月、大島隆撮影

童謡の「夕焼け小焼け」にあるように、日本では「日が暮れたら子供は家に帰る」というのが伝統的な習慣だ。

ところが中国人の場合、夜の公園や広場で過ごす習慣がある。私は毎年ニューヨークのチャイナタウン周辺に宿泊するが、夏の夜の公園は、大勢の人でにぎわう。中国系の移民二世や三世ではなく、中国語を母語とし、しかも比較的年齢の高い層だ。集まっておしゃべりをする人、トランプゲームや中国象棋をする人。ここ何年か目立つのが、「広場舞」という、音楽に合わせて踊る中高年女性の姿だ。

芝園団地の広場でも、夏場は高齢者を中心に、いくつかのグループになって夜九時過ぎまでおしゃべりを楽しんでいる。その傍らで、子供たちも遊びまわっている。

特に広場に面している棟は声が響くらしく、「子供の声が夜遅くまでうるさい」という苦情をいまも耳にすることがある。団地の日本人住民は、高齢で就寝が早い人も多いのだ。

団地の管理サービス事務所が、商店街前の広場に貼った注意書き。「近隣居住者から、この広場での話声に関する苦情が寄せられています。特に深夜、早朝はご注意ください」とある=2019年1月、大島隆撮影

ただ、「日が暮れたら子供は家に帰る」というのはあくまでも日本の「習慣」であって、法律ではない。中国人が夜の広場で過ごすのも彼らの習慣であって、日本の法律に反するようなことをしているわけではない。

夜といっても、午後11時や12時といった深夜までいるわけではない。ごみ出しのように明文化されたルールがあれば、「団地のルールを守ってください」と言えるが、「何時までならOK」と明確な基準がないのが、悩ましいところだ。

■「違う文化がある」を知る

そもそも、「子供は日が暮れたら家に帰る」という日本の習慣を知らない中国人住民もいるかもしれない。そこで学生団体「芝園かけはしプロジェクト」と自治会は昨年、住民向けの日中二カ国語の生活ガイドブックをつくって、管理事務所に置いている。そこには、こんな一節がある。

「日本には、中国のように日が沈んでからも屋外で遊ぶ文化がなく、屋内で過ごす人が多いです。誰もが快適な時間を過ごせるよう、夜、外では静かに過ごしましょう」

広場前の15号棟1階には「縁の花」と題された作品が壁に設置されている。旧芝園中学校跡地を拠点に活動するアーティストたちが、団地住民と共同製作した。「それぞれのタイルが繫がり『縁』を育み大きな『花』となりこの場所を彩り続けることを願い住民の方々と製作しました」とある=大島隆撮影

本当は、日本人住民と中国人住民が話し合ってルールを決められればベストだ。

芝園団地に住む日本人と中国人の関係について「お互いトラブルなく暮らせれば、別々のコミュニティで交流がなくてもいい」という意見もある。しかし、お互いに普段からの接触がないと、何か起きた時に話し合いができなくなったり、やりとりが感情的になり、さらに大きなトラブルに発展しやすくなったりする。

あるとき、広場で孫を遊ばせていた中国人の女性と、この「夜の広場問題」を話していたら、こう言われたことがある。

「確かに私たちも集まって少し声が大きくなってしまうこともあるかもしれない。けど日本人も『うるさい!』と怒鳴る、言い方が失礼な人がいますよ」

自分たちの文化だけを基準に考えれば「常識をわきまえない」と怒りたくなってしまうが、「世の中には、自分たちとは違う文化(価値観)がある」と自覚し、夜の公園で過ごすことが彼らの習慣なのだと理解すれば、同じ「夜は静かにして」と伝えるにしても、伝え方が違うかもしれない。

かけはしプロジェクトと自治会は来年度、新しい住民向けパンフレットをつくるにあたって、住民の意見を聞くワークショップも検討している。

こうした場を通じて日本人住民と外国人住民が意見を言い合えば、ぶつかるかもしれないが、そこから何か解決策が見えてくるかもしれない。