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脳は考えるためではなく、動くためにあった

美ら島の国境なき科学者たち 更新日: 公開日:
例えばコーヒーを飲みたい、と思った時に、それを実際に筋肉の動きとして実現させる脳の働きがどうなっているのか、まだわからないことが多いのです。そんな脳の秘密をもう少し解き明かしたいと取り組んでいるチームが、OIST神経活動リズムと運動遂行ユニット。真ん中にいるのが今回の主人公、マリルカ ヨエ・ウーシサーリ准教授。写真:撮影Kenji Togo/提供OIST

大学時代、ダンスを専攻していた私は、一日のほとんどをバレエ、モダンダンス、西アフリカダンスなどのトレーニングに費やしました。一方、ダンススタジオや舞台の上にいない時間は、脳科学の講義室か、薄暗い実験室で過ごしていました。

その結果、私は、ダンスと神経科学の両方の分野で学位を取得、今に至ります。このことを話すと、大抵の人は驚き、こう尋ねます。このまったく違う二つの分野を専攻した理由は?-- 私にとって理由は明白です。それは、この二つの分野の相関性です。私たちは脳がなければ、動くことはできません。そしてまた、その反対も真なりです。

筆者のニコレッタとインタビューに答えるマリルカ ヨエ・ウーシサーリ准教授(右)写真提供:OIST

動くために脳は働く

人間の脳は毎日、どんな瞬間にもインパルスという電気信号を発しています。このしわしわの臓器の中で、小さなインパルスは、ある細胞から別の細胞へ情報を送ることで、私たちに思考、感覚、さらには夢を見る能力をも与えてくれます。しかし、これらの電気信号には、実はもっと大きな目的があります。それは、私たちを「動かす」ことです。

沖縄科学技術大学院大学(OIST)で活躍するフィンランド出身の科学者、マリルカ ヨエ・ウーシサーリ准教授は、脳が体の動きをどのように制御するかについて研究しています。椅子から立ち上がるといった一見単純な動きでも、特定の筋肉グループが完全に同期して収縮する必要があります。脳は、オーケストラの指揮者のように、これらのすべての動作を調整し、どの筋肉がいつ、どのくらい長く収縮するかを制御しているのです。

脳がこの指揮者の働きをどのように成し遂げているのかについては、まだ科学的に解明されていません。脳神経学者らは、電気や化学物質、水や血液が脳内を駆けめぐるのを観察することはできますが、動くことの意思決定と実際の動きの関係性を見い出すのに苦労しています。立ち上がったり、部屋を横切ったり、棚から本を選んだりしたい場合、その願望が魔法のように筋肉を収縮させるのでしょうか?いいえ、そうではありません。では、何がそうさせているのでしょうか?

「コーヒーを飲みたい、という抽象的なコンセプトが、それを実現させる、非常に厳密なインパルスのつながりに変換される場所が脳の中にあるはずです」とウーシサーリ准教授は言います。OIST神経活動リズムと運動遂行ユニットを率いる彼女は、動くための意思決定と実際の動きの間にあるいわゆるブラックボックスを明らかにすることを目指しています。彼女のチームは、脳の高次領域からの信号に基づいて、筋肉に精密なタイミングでの指示を中継すると考えられるオリーブ小脳路と呼ばれる脳の領域を研究しています。

脳の中に深く埋め込まれた「神経時計」

オリーブ小脳路は、脳の表面部分である大脳皮質よりずっと下の方にある脳幹の近くに位置します。脳幹は、カボチャから伸びている茎のような形をしていて脳の基部から飛び出しており、オリーブ小脳路の 「小脳」部分が、マフラーのようにこの茎の周りを包み込み、その下層にある下オリーブ核を含む、脳全体の情報を統合する役割をしています。この構造は、その名の由来の果実のように、脳幹の底から膨らむような形をしています。

脳の最下部に埋め込まれたこのオリーブ小脳路が、身体に正確な動きの指令を出し、私たちの漠とした思考を実際の行動に変えることを可能にしています。ただ、そこには二つの大きな問題があります。一つはオリーブ小脳路がある場所が研究を困難にしていること。そしてこれが脳の他の領域とは異なる振る舞いをすることです。

脳の奥深くにあるオリーブ小脳路がどのように機能しているのかを、リアルタイムで観察できるようにすることが目標。 写真提供:OIST

「下オリーブ核のニューロンは、脳内の他のニューロンの中でも非常に特別なもので、脳の他の神経系に比べて珍しいメカニズムです」と、ウーシサーリ准教授の下で研究を進める中国出身の研究員ダ・グオ博士は言います。下オリーブ核を構成する脳細胞は、たくさんの電気的接続を介して結合されており、脳細胞同士の活動を同期させることができます。脳細胞が小脳に情報を送るとき、小脳細胞も同様に同期するように見えます。この固有の周期性が、その後の筋肉収縮のタイミングにとって重要になるようなのです。

既存の顕微鏡を用いて撮影された脳幹のクローズアップイメージで下オリーブ核を指摘するグオ博士。チームが開発している技術では、生きた動物の脳で同様の可視化ができるようになります。 写真提供:OIST

新技術で未開の領域へ

グオ博士は、下オリーブ核のカルシウムレベルを観察できる技術を開発しています。このカルシウムレベルは、下オリーブ核の電気的機能を測る尺度となります。しかし、このような脳の深部での構造を可視化するためには、呼吸や心拍数を制御する領域なども含め、多くの重要な動脈や脳領域をうまく除いて見えるようにしなければなりません。将来的には、開発中の技術を使って、動いている動物の中でその動きを制御するシステムをリアルタイムで観察することを目指しています。

「これはかなり野心的な試みです。この技術がどのようなものになったとしても、革新的な成果を生み出すことができるでしょう」と日本学術振興会から奨学金を受けてOISTで研究をしているポーランド出身のボグナ・イグナトフスカ ヤンコフスカ博士は期待をしています。彼女によれば、大脳皮質のように比較的簡単にアクセスできる領域では、オリーブ小脳路よりもはるかに多くの研究が行われている、として、知られていない部分を明らかにしたいと取り組んでいます。

そのイグナトフスカ ヤンコフスカ博士ですが、脳画像技術と、マウスの異なる行動を捉える3D動画技術を組み合わせることを目指しています。マウスのお尻と膝、足関節に球状のマーカーをつけ、実験室内に設置された複数のハイスピードカメラでその部位を撮影します。イグナトフスカ ヤンコフスカ博士は、マウスがライトを浴びていても不快にならない訓練を施すことを得意としており、マウスはカメラの前でごく自然な動きをします。

球状のマーカーを体につけてハイスピードカメラで撮影するイメージ。 写真:撮影Kenji Togo/提供OIST
マウスの自然な動きをハイスピードカメラで撮影し、観測することを目指すイグナトフスカ ヤンコフスカ博士 提供:OIST

開発が進めば、研究者はマウスが歩き回ったり、走ったり、登ったりしている時の脳活動を観測することができます。さらには、脳活動を操作して、特定の変化がその行動にどのように影響するかを調べる予定です。前人未踏のこの技術は、研究者が一から構築しなければならなりませんが、その努力が実れば、脳がどのように運動を制御するのか、そして脳がどのように機能するのかについての我々の理解を大きく前進させるでしょう。

「脳を理解したければ、動きを研究するしかない。」と言うウーシサーリ准教授 提供:OIST

動きの研究は脳の謎解明のため

「脳と神経系が進化したことによって動くことができるようになり、その動きを協調させることができるたのです」とウーシサーリ准教授は述べます。 「話すこと、考えること、計画を立てること、記憶すること、夢を見ること・・・これらは、すべておまけに過ぎません」

脳が運動を可能にするのと同じ原則により、子ども時代の大切な思い出を呼び起こしたり、新しいスキルを学んだり、ランチに何を注文するのかを決めることができます。統合失調症、アルツハイマー病、自閉症スペクトラム障害などの多くの精神神経疾患は、人々の行動および運動制御に関わる症状を有しています。オリーブ小脳路をよりよく理解することによって、科学的に認知、知覚および学習過程、ならびに神経精神病学の臨床診断、そして治療についての新たな知見を得ることが可能となります。

ウーシサーリ准教授はこう言います。「脳を理解したければ、動きを研究するしかないんです」

(ニコレッタ・ラニース OISTメディアセクション)