日本ではいま、パラスポーツを盛り上げようという意識が共有されつつある
増田 一過性のブームで終わらせないというのは私たちの共通認識ですね。
池崎 僕は現役選手として、結果を出し続けていくことが一番だと考えています。元アスリートの立場でどんどん発信し盛り上げてくれる、増田さんや上原さんのような存在は選手にとって大きいです。
増田 強い選手、勝てる競技は注目が集まりますもんね。私は昨年日本パラ陸連の会長を引き受けました。集客が課題といわれるパラ陸上の世界で、選手の応援団長になりたいと思ったからです。選手の競技力向上でスポーツとしての魅力を高める、魅力を発信して観客を増やす。この2本柱で頑張っていきたい。そのためには選手が海外で場数を踏むことも重要です。追い風の今、競技の魅力や発信力を高めて次につなげていきたい。
池崎 選手も競技の魅力をもっと発信して、応援してくれるファンを増やしていかないといけませんね。
上原 僕は今、社会起業家として、仕掛け作りに力を注いでいます。パラスポーツ推進のキーワードは「イベント化ではなく日常化」「他人事ではなく自分事」の二つです。
増田 上原さんがブログで書いていた「パラ友」(※)もその仕掛けの一つでしょう?
上原 はい。友だちがやっている競技だったら見にいくだろうし興味を持つと思って始めました。自治体や教育機関と連携しながらやっていくことも大事ですね。
池崎 どんな働きかけをしているんですか。
上原 いま手応えを感じているのは、保育園での普及活動です。以前、ある保育園を訪問したら、子どもたちが「パラスポーツにはパラアイスホッケーの他にどんな競技があるの?」と先生にどんどん質問しているんですよ。すると先生が一生懸命調べるから知識がつく。子どもたちが家に帰ると今度はお父さんお母さんにも聞くので、ご両親も一生懸命調べるから知識がつく。保育園の訪問は、子供たちがいろんなことを知ることができるだけでなく、子供たちの知りたいという思いが自然に大人たちを育てるんです。
パラスポーツの未来のために何が必要だろうか
池崎 特別なものではなく、他のスポーツと同様に多くの人に普通に見てもらえるようになることが一番の願い。当たり前のようにテレビで見られるようになったりすれば、もっと社会は変わると思います。
上原 パラスポーツは、実は健常者も参加できるスポーツです。発想を変えれば、競技人口はより多くなる。健常者には関係ないという固定概念を壊していくことが大切です。
増田 心のバリアフリーですね。パラスポーツへの注目を定着させられるか、次の世代につないでいけるか、が問われているとき。今はそこに進むための一歩だと思っています。
※パラ友……上原さんが取り組んでいる「パラ友プロジェクト」。友達や知人にパラスポーツの選手や関係者がいることがいちばん興味を持ってもらいやすいという想いから、交流イベントなどを企画している。
池崎大輔 / いけざき だいすけ
1978年、北海道生まれ。車いすバスケットボールから2008年、ウィルチェアーラグビーに転向。10年4月、日本代表に選出。16年、リオパラリンピック銅メダル、18年、世界選手権優勝。三菱商事所属。
増田 明美 / ますだ あけみ
1964年、千葉県生まれ。82年にマラソンで日本最高記録を樹立。92年に引退するまでに日本最高記録12回、世界最高記録2回更新。現在はスポーツジャーナリストとして解説などに携わるほか多岐にわたり活躍。
上原 大祐 / うえはら だいすけ
1981年、長野県生まれ。パラアイスホッケー日本代表選手として、2010年のバンクーバーパラリンピックで銀メダルを獲得。現在は社会起業家、NPO法人D-SHiPS32代表として多方面で活躍。
提供:三菱商事