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どうして、こんなことに? EU離脱を選んだ英国 特別寄稿・園部哲

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photo: Matt Stuart

総合商社のロンドン駐在時代も含めると、英国暮らしは通算24年になる。GLOBE創刊以来『世界の書店から』のロンドン担当として英国の社会や文化を伝えてきたが、政治に触れた機会は少ない。6月23日の国民投票を機にEU残留・離脱をめぐってこの国は政治的・感情的市民戦争の場となり変転極まりない。日本の読者のみなさんの目に、この英国の政治劇はどう映っているだろう。その昔、労働党の首相ウィルソンは「政治の世界の1週間はひどく長い」と述懐したが、この間の出来事は優に1年分にも感じられる。
『残留派の町角から』とも言うべき今回の報告、それはおよそ40日前、雨の日に始まった。

■豪雨と雷鳴

英国では選挙が近づくと、窓に支持する政党や候補のステッカーを貼る家庭があらわれる。国民投票が近づいた今回も、残留派の「REMAIN」や、離脱派の「LEAVE」のステッカーが通りに面した窓辺にちらほら。ただし、わが家のあるロンドン西郊リッチモンド地区で目にしたのは残留派のものばかり。僕は英国のEU離脱が直接には関係しない在英日本人(60歳)だが、EUに留まろうという意思表示は外国人にやさしいメッセージに見えてほっとする。友人たちとの会話でも、EUには欠点も多いけれど残留が穏当という声ばかりだったし、角の夫婦は離脱派らしいと聞けばこぞって眉をひそめた。フランス人学校やドイツ人学校もそう遠くなく、ポーランド社会文化協会も近くにあって東西を問わず欧州人たちが混在する環境だから、それがあたりまえな空気だった(後日わかったことだが、残留派が多いロンドンの中でもこの選挙区は残留派70%とかなり高い地域だったのである)。

投票1週間前までは離脱派有利という報道が、残留派女性議員が惨殺されてから潮目が変わり、残留派の巻き返しが報じられるなか投票日を迎えた。ブックメーカー(公認賭け屋)が引き受けた賭け金は60億円相当に達し、その4分の3は残留派に賭けられていた。さて、木曜の投票日は午後から雷鳴をともなう豪雨に見舞われる。ロンドン郊外のあちこちで大水が出、交通機関がマヒしたり投票所が変更されたりして、投票棄権があやぶまれた。投票締め切り直後の調査会社YouGovによる推定では残留:離脱=52:48となり、離脱派の親玉、英国独立党(UKIP)の党首ファラージュが早くも敗北宣言をしたという報道が流れてきたのは夜の10時頃だった。投票権はないけれど残留派シンパの僕は、胸をなでおろして就寝する。

ところが翌朝7時に起床すると離脱派勝利のニュースが飛び込んできた。離脱:残留=52:48だという。まさか!経済的・政治的・文化的亀裂を選んだ人々の蛮勇への驚嘆はもちろんだが、一番ショックを受けたのは、「52:48」というわずかな差によって、あともどりのできない事態が起きてしまったという事実だった。数字の小さな差異とそれが引き起こした事柄の大きすぎる重さ。そのアンバランスな感じがどうにも納得できない。そして、しようもないことを考え始める。7対3くらいの大差だったら諦めもつくのだが、とか、快晴だったらどうだったろう、とか。

さまざまな狼狽

町に出ると、皆がショックを受けているような気がした。「残留」ステッカーだらけの町の人たちだからきっと落胆しているに違いない、と先入観に合致した絵を求めていた部分もある。英国人はそうかんたんに表情には出さないからな、と思う一方、テレビで見た離脱派のはしゃぎぶりがいまいましく思い出される。

photo: Matt Stuart

移民家族たちのショックはすぐに聞こえてきた。近所のポーランド人家庭の主婦は、娘たちが友だちと別れなければいけないのかと泣き、夫は失職と強制帰国を心配し始め、全員が神経衰弱になったと嘆いていた。ハンガリー人の友人は、同胞の婚約者と共に英国での生活を設計していたが、帰国も視野にいれなければならなくなったという。週明けの月曜日、近所の小学校の校長が保護者に宛ててメールを送った。「今朝、生徒たちに国民投票の結果を説明し、何も変わらないと安心させました。私たちはこれまで通り世界のあらゆる国々から、職員と生徒を友人として受け入れます。なるべく早く未来の輪郭が明確になるよう期待しましょう」。皮肉りたくはないけれど非力な手紙だ。何も変わらないはずはない。離脱の影響が見えてくるのは生徒らが卒業する頃だろう。だがこの学校は職員にポーランド、ハンガリーなど東欧出身者を多く抱え、生徒の3割以上が外国人だ。何かメッセージを出さずにはいられなかった校長の、いたたまれない気持ちはよくわかる。

ところで東欧移民とは直接関係のない英国人の反応はどうだろう。興味深かったのはこちらのほうだった。たとえば15年間お世話になっている歯医者さん。国民投票の翌週、定期検診に出かけた僕に向かって「何と言ったらいいかしら」と落ち着かない。「ブリティッシュであることが恥ずかしいと、これほど感じたことはありません」。あんぐりと開けた僕の口をのぞきこみながら、彼女は失望と謝罪がにじんだ言葉を次々にくりだすのだった。その後も、この国にがっかりした、英国人の悪い面が出てしまった、という言葉をほかの英国人からも聞いた。ここまで潮垂れる彼らを見るのは珍しい。いつもなら自分たちの弱点や欠点には触れずに強気でいくか、ジョークにして笑い飛ばすかする彼らが、わりと真剣に恥じている。何人もの英国人がこんなふうに恥じ入るのを見たのは初めてだった。

投票行動分析

時の経過とともに有権者の関心の所在が見えてきた。残留派が重視したのは圧倒的に「経済」で、離脱派は「主権」「移民問題」の順。興味深いのは、残留派は「主権」「移民問題」に関心を示さず、逆に離脱派は「経済」面をほとんど考慮していない。これを裏付けするようなインタビューをテレビで見た。移民に職を奪われるのが我慢ならず離脱に投票した青年は、「経済が悪化したらどうするか?」と尋ねられ、「構わない。自分で決めたことだから。これまでのようにEUに押しつけられるよりずっと良い」と答えていた。日産自動車の生産拠点のあるサンダーランド市は、造船業が死んだあとニッポン・インダストリーに助けられた町だ。同市の投票結果も驚きで、61%が離脱支持だった。ここから日産車は欧州へ向けて無税で輸出され、EUからの補助金も享受している。EUから離脱すれば日産車は関税というハンディを背負うし、補助金も途絶える。主権を取り戻せるなら貧しくなることもいとわない、そういう覚悟は離脱派の皆に共有されているのだろうか。

移民という文化を異にする他人、ブリュッセルという得体の知れぬ他人、彼らに生活を左右されるのが我慢ならないという英国人は主権侵害の被害者意識に燃えている。そしてその不満の矛先は、実はEUである以前にウェストミンスターとシティー(政治・経済の中心)を擁するロンドンであり、エスタブリッシュメントなのである。投票結果が地理的にはロンドン首都圏(残留派多数)と地方(離脱派多数)に分かれた理由はここにある。

若者のあいだで「もう年寄りには席をゆずらない(I’m never giving up my seat on the train for an old person again.)」という合言葉がはやったのは、投票行動の年代別差異を反映している。45歳あたりを境にそれより上は離脱派が多数、下は残留派が多数と分かれた。「老い先短い老人が離脱を決めるなんて勝手だ。私たちの人生はまだ何十年もある」。親子のいがみ合いが発生した家庭も珍しくない。もちろん年寄りの離脱派にも言い分はある。「主権を取り戻した英国に住まわせたい親心だ」。だが、現在25歳以下の人々はマーストリヒト条約以降に誕生した世代であり、両親世代にとって離脱は帰還でもあるが、若者にとって離脱は喪失なのだ。彼らのなかには生まれたときから欧州人という意識を持つ者も少なくない。

火遊びとしての国民投票

だが、そもそもなぜこんな人騒がせな国民投票が、この時期に実施されることになったのか?たしかに昔からEUに対する不満があったのは事実。だが最大の原因は移民問題を前面に掲げてEU離脱をうたう極右政党UKIPの台頭と、キャメロン首相(当時)の弱さだ。保守党内にもEU離脱派が増えてきたため、UKIP打倒と党内離脱派を黙らせる一石二鳥の策として、キャメロンは2013年1月、残留か離脱かを問う国民投票を17年末までにやると発表した。そして14年5月に近代英国政治史上の大事件が起きる。国政レベルの選挙で初めて、英国二大政党の保守党と労働党の両方が新参UKIPに負けたのである。だがその後のスコットランド離脱投票に勝ち、15年の総選挙でも大勝したキャメロンは自信満々、国民投票もいけると読み、実施時期を1年前倒しにした。だが、勝つ自信がいくらあってもギャンブルであることに違いはない。党利党略、さらにはそれよりも小さな党内でのポジション確保のために、国の運命を賭けたと言ってもいい。

そしてキャメロンは負けた。国民投票の2週間前まで彼は、離脱派が勝利したとしてもそれは国民からの指示なのだから私はそれを尊重し職務を続けると明言していた。しかし投票日の翌朝、官邸前ですがすがしい木漏れ日を受けてキャメロンは、残留派の自分が続けるのは国益に反すると辞任を表明する。新党首は離脱派のリーダーがふさわしい、離脱にかかわるEUとの交渉は次の党首に任せたいとして。これを、EU離脱の号砲たるリスボン条約50条という引き金を自分で引きたくない、EU離脱などというとんでもなく難しい仕事は引き受けたくない、というお坊ちゃま的態度と見なす向きもある。紆余曲折して選ばれた新首相のメイはキャメロンと同じ残留派だった、という結果を見ると彼の辞任理由は空疎な言い訳になってしまった。

まっすぐなキュウリ

EUの官僚主義をせせら笑うエピソードのひとつに、まっすぐなキュウリ論がある。

illustration: Sonobe Satoshi

湾曲率は長さ10センチあたり1センチまでしか許容せず、という委員会規則。そういう馬鹿げた決まりでがちがちに縛るんだ、EUは。パブあたりでビール片手にこんな話を聞けば、そりゃあ噴飯ものですなぁワッハッハ、と同調したくなるけれど、うちに帰って煎茶でも飲んで実寸画を描いてみるといい。そこそこ曲がったキュウリの絵になる。それに、この規則は「クラス1」以上の上級品種の条件であって、もっと曲がったキュウリは普通に売っている。この種の話は群衆を手っ取り早くからめとるには有効だけれど、ものごとを時間をかけて見る意志を奪ってしまう点では有害だ(それも戦略のうちだろうが)。EUに関しては誤誘導型あるいは焦点ボカシ型の批判が多いが、仕方がない面はある。EU(それ以前のEECから)は前例のない壮大な企画で、政治エリート主導のもと巨大組織になってしまった。70年間に3度の戦火をまじえた独仏の和解、冷戦下ソ連圏への対抗ブロック形成、という2点を大義として生まれた組織だったが、冷戦終了とともに壁の向こうにいたはずの東欧諸国がわれもわれもと参加したがり、当初は考えもしなかった数に増えた。こうなったEUを理解するのは至難のわざだから、巷間でのEU論は木を見て森を見ず式にならざるをえない。だから、本当に離脱しなければならぬほどEUは悪いのか、という質問への回答は容易ではない。その難しい質問への回答を英国民は要求されたわけだ。

だれだって雪つぶてを手にしたらどこかにぶつけたくなる。英国民はここ数年、移民増に対する嫌悪、英国アイデンティティーの希薄化、政治エリートに対する失望などを固めた雪つぶてを手にしていた。本来これらの不満は、国内政治の場で解決できる・すべき問題だった。だが政治エリートの反応は鈍く国民は堪忍袋の緒を切らす。そこへキャメロンがEU残留か離脱かを問う国民投票という、うっぷん晴らしにうってつけの的を高々と掲げてくれたのである。
いずれ腰をすえて議論しなければならない問題だったとしても、国民投票をする必要があったのか?やるにしても時期はこれで良かったのか?3年以上も準備期間があったのに国民に対し、プロパガンダではなく、残留と離脱の長所・短所を知らしめる教育がなぜなされなかったのか?

僕の頭のなかでは、投票日以降もこうした疑問がぐるぐる回っている。

議会制民主主義を産んだ英国の歴代首相のなかでも特に合意形成を重視した、戦後初の労働党首相クレメント・アトリーは「国民投票は英国の政治的伝統になじまず、ナチズムとファシズムの道具として使われることが多い」と言った。彼を高く評価していた鉄の女サッチャーも「国民投票は独裁者と扇動政治家の道具だ」と警告している。

移民による移民の観察

投票の翌々週日本の知人から電話があり、今回のことについてイミンの立場からどう思う?と尋ねられて僕は絶句した。「移民」という言葉になじんだのは中学生のときだ。ターザンまがいの雄たけびで始まる、レッド・ツェッペリンの『移民の歌』によってである。だから日本語で「移民」と聞くとすぐ、毛皮をまとった蛮族が雄たけびをあげて侵入してくるイメージが浮かび、それを自分に重ねて考えたことはなかった。だが虚心に我が身をかえりみれば、EU出身者ではないが移民であることに変わりはない。そういえば、歯医者さんがやたらに悪びれた様子を見せたのも、移民を前にしていたからなのかな。

英国はヨーロッパの中でも外国人差別の度合いが比較的低い国だと思う。あるいは、差別的意識はあるのだけれど、レイシストとは呼ばれぬようにふるまう良識を備えているというべきか。離脱派勝利の後、ヘイトクライムが急増しているというのは見苦しい話だが、離脱派勝利=移民制限正当化=対外国人暴力行為OK、という短絡回路にスイッチが入ってしまった人々がいることの証左でもある。インタビューを受けて正直に語る男性がいた。「離脱派が勝ったので、これまで口にできなかったことも堂々と言える」

僕の個人的体験は次のようなものだ。1990年代まで土木工事や清掃作業などの肉体労働を担っていた白人・黒人(英国かアイルランド国籍を有すると推定される)は、2000年頃から数が減り、東欧の人々が急増したが(04年に7万人弱だったポーランド人が現在では98万人)、彼らは几帳面で礼儀正しく根気よく働く。わが家の前の通りを掃除に来る東欧出身の青年は、まるで寺の石庭を掃くようなていねいな仕事ぶりで申しわけなくなるほどだ。前述の小学校では英国人教師よりもハンガリー出身の教師のほうが算数の教え方が上手なので、彼女に家庭教師を頼む家庭が続出した。医者でもスペイン人やギリシャ人が目立つ。僕の生活圏では、EU移民のほとんどが同一労働にたずさわる英国人と同等以上の能力を有するか、往々にしてより高い学歴を持っているように見える。EU移民に仕事を取られるという事実があったとしても、それは英国の職業訓練教育が不十分ゆえに、実力勝負で負けた場合が多いのではなかろうか。王立経済学会の出版物(14年)によると、01年から11年の間に英国政府が東欧系EU移民から受けた収入(税金等)と彼らに払った支出(社会福祉費、税額控除等)の比、すなわち収支比率は1・1~1・5で、彼らが国庫に貢献していることがわかる(ちなみに独仏など西欧系EU移民のそれは1・7~2・2)。特に英国人自身のそれが0・9とマイナスなのを見ると、英国民猛省せよと言いたくなる。「うちの息子はポーランド人に職を奪われた」と悲しむ夫婦や、「移民がふえて病院の順番待ちが長くなった」と嘆く老人のイメージが売れるのはわかるけれど。

『移民の歌』は「平和と信頼が成功を勝ち取ってくれる」というフレーズで終わる。だが今ほど平和が毀損(きそん)され信頼が揺らいだ時代はない。特に英国では今回の投票で、社会の各層を結ぶ信頼が消えかけている事実がさらけだされてしまった。

新しい壁

窓辺のステッカーはもうはがされた。だが、ロンドンへ向かう道路脇にポスターが残っていた。「こういうのが嫌なら残留に1票を」と呼びかける今となってはむなしいメッセージの下で、前ロンドン市長のボリス・ジョンソンと米大統領候補のトランプが濃厚なキスを交わしている。

ロンドンの街角には、『友愛のキス』を模したポスターも貼られていた(photo: Sonobe Satoshi)

金髪、ポピュリストという共通項を持つ2人が毒舌をからませているグロテスクなその絵は、崩れ残ったベルリンの壁の壁画のパロディーだ(ソ連のブレジネフと東独のホーネッカーがキスをしている『友愛のキス』)。ボリスは離脱派リーダーの一人で首相の座を狙っていたが盟友に刺され政治生命を絶たれたかと思いきや、新内閣の外相に抜擢され不死鳥ないしは道化師のように蘇生した。外相だから米国との窓口になるわけだが、その相手がトランプだとすれば、ポスターの不吉な予兆は当初の懸念と違う形とはいえ実現してしまうことになる。トランプが大統領になったらこの世はどうなってしまうのか、という怖いもの見たさもなくはないが、やはりクリントンがいい。そうなれば英米独すべてのリーダーが女性になるし。

そういえば欧州議会で、UKIP党首ファラージュが英国離脱勝利宣言をしたあと、フランス極右の国民戦線党首ルペンはこれを祝福してベルリンの壁崩壊以来の快挙だと讃えた。だが壁崩壊の四半世紀後に、ドーバー海峡に新たな壁が構築されようとしているのは皮肉なことだ。今後英国は新しい壁越しにEUと話し合いをすることになる。そして、英国社会のなかにも無数の壁ができた。EU内にも小さな壁を欲しがる国が出てきそうだ。一連の騒動を眺めて屈託なく「友愛のほくそえみ」を浮かべているのはプーチンくらいだろう。

朝起きて外が銀世界になっていれば心が躍る。国民投票の翌朝、一転した英国社会の風景に僕の心は沈んだ。離脱派は大英帝国の時代に戻ることを夢見ているのだろう。移民の僕はもっとささやかに、2カ月前に戻れないかと夢見ている。(文中敬称略)
(翻訳者・ロンドン在住ライター)

◆EUの歴史とイギリスが離脱を選ぶまで

  • 1958 欧州経済共同体(EEC)発足
  •  63 EECに英国が加盟申請するがフランスが拒否
  •  67 欧州共同体(EC)発足。発足前に英国が加盟申請するが、再度フランスが拒否
  •  73 ECにイギリスが加盟
  •  75 英国がEC離脱を問う国民投票実施するが残留多数
  •  89 ベルリンの壁が崩壊、翌年東西ドイツが再統一
  •  93 欧州連合(EU)が成立
  • 2004 ハンガリーなど東欧10カ国がEU加盟
  •  09 ギリシャの財政破綻でユーロ危機
  •  13 英・キャメロン首相がEU離脱の可否を問う国民投票を実施すると発表
  •  16 6月国民投票で離脱が多数に
  •    7月キャメロン氏が辞任、新首相はメイ氏に

◆離脱手続きの焦点

リスボン条約50条に基づく離脱手続きは、英国側からの「離脱通知」がなされることによって始まる。移民の流入を抑えつつ、市場への自由な参加を継続したい英国の思惑に対してEU側がどう対応するかが離脱交渉の焦点だ。離脱通知は早くても年末との観測も流れる。