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世界最高齢の床屋は107歳、勤務は今もフルタイム

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
ニューヨーク州ニューウィンザーのヘアサロン「Fantastic Cuts」で髪を切るアンソニー・マンチネッリ(107)=2018年9月27日、Andrew Seng/©2018 The New York Times

 理容タオルをサッと払って、アンソニー・マンチネッリは次の客を座らせた。

 「やあ、先輩。いつものようにね」。常連客のジョン・オルーク(56)が軽口をたたくと、すぐに髪を指ではさんでチョキチョキと切る音が聞こえ始めた。

 ニューヨーク市からハドソン川に沿って、車で北に1時間ほどのニューウィンザー。これといった特徴もない小さなショッピングセンターの一角にあるヘアサロン「Fantastic Cuts(素晴らしいカット)」には、陽気さが漂う。

 「他の人にはやらせない」と近くのコーンウォールからくるオルークは言う。「そりゃ、もう1世紀もやってる人に頼むよ」

 そう、マンチネッリは107歳。11歳で理髪店に入り、今も週5日、正午から夜8時まで、フルタイムで働いている。そんな時の流れからすれば、オルークは常連の一人になってたったの3年ということになる。

 2007年には、現役最高齢の理容師としてギネス世界記録に認定された。まだ、96歳にすぎなかった。以来、表彰が相次ぐようになった。地元の民間団体や政治家、理容業界から祝辞が届いた。100歳、101歳、102歳……。記録の塗り替えが続いた。

 オルークが散髪をしてもらった午後のひとときは、店内ではヒップホップが流れていた。「先輩は、手巻き式蓄音機の方がいいんじゃない」とオルークはまたからかった。

 マンチネッリは細身で、頭髪はふさふさしている(白くなってはいるが)。手は、震えることがない。勤務中のほとんどは、くたびれた黒い革靴をはいて立ちっぱなしになる。

 「客は彼の年を知ると、目を丸くし、喜ぶ」と経営者のジェーン・ディネッツァはほほえむ。「病気で休むという電話をもらったことがない。若い人でも、ひざや腰が痛いと言うのに、彼は平気で続けている。しかも、スマホを手にして座ることもないので、20歳の同僚よりも多くの客をこなしてくれる」

仕事中の世界最高齢の理容師マンチネッリ=2018年9月27日、Andrew Seng/©2018 The New York Times

 「長寿の秘訣(ひけつ)は」と、耳にたこができるほど聞かれる。

 答えは決まっている。まず、その日の仕事が満足いくように働く。たばこは吸わない。深酒もしない。

 長寿の家系というわけではない。体力づくりに特に励んだこともない。食事という点では「細いスパゲティを食べるので、太ることがない」。

 歯は丈夫で、すべてそろっている。毎日、薬を飲むようなことも、眼鏡が必要になったこともない。手と指をしっかり動かせることが何よりだ。

 「医者に行くのは、言われるからそうするだけ」とマンチネッリ。「『どこも痛いところはない。本当に』と医者に話すしかないんだ」

 70年も連れ添った妻のカルメッラとは、14年前に死別した。出勤前のお墓参りを済ますと、あとは忙しく、前向きに過ごすことが、自分のためにもなる。それが、仕事をやめない理由の一つでもある。

 職場からそう離れてはいないところで、独り暮らしをしている。車を運転して通勤。家では自炊し、テレビを見る。プロレス番組が大好きだ。

 なんでも自分でやり、前庭の茂みを刈るのにも助けはいらない。自分の髪は自分で散髪し、「切ったあとの髪の毛も、必ず自分で掃除する」と息子のボブ・マンチネッリ(81)は語る。

 店主のディネッツァも感心する。「買い物も、支払いも、洗濯も、みんな自分でしている。薬は何がいいだろうか。食べ物は。皮膚の老化を防ぐクリームはそんなことを尋ねるのがあたり前の年齢なのに、それもない。信じられないほど頭がしっかりしている」

 髪形の流行が変わっても、マンチネッリはついていく。「どんなヘアスタイルでも大丈夫。長い髪でも、短くても。シャギーカット。バスター・ブラウン。切り下げ前髪。いろんなパーマだって」

自分の理容イスの前に立つマンチネッリ=2018年9月27日、Andrew Seng/©2018 The New York Times

 客の中には、50年以上もの常連がいる。「その父親、祖父、曽祖父と4世代にわたって散髪をしている」と言うマンチネッリには、6人の玄孫(やしゃご)がいる。

 息子によると、年配の客が座るのを父は手助けする。「80歳にもなる客に『あなたが私の年になったら……』と話しかけると、誰もがうれしそうに聞くんだ」

 となりのイスで働くスタイリストのジェン・サリバンは、20歳にすぎない。

 「彼がフルタイムで働けるなんて、すごい。週末は、気が狂いそうになるほど忙しくなることがあり、私だって立っているのがつらくなる。そんなときでも、彼は何でもないように仕事を続けている」

 マンチネッリは1911年、イタリアのナポリの近くで生まれた。8歳のときに家族とともに米国に移住し、今の住まいともそれほどは離れていないニューバーグの親類のところに身を寄せた(8人きょうだいで、存命は本人だけ)。11歳で地元の床屋で働き始め、12歳で散髪をするようになった。フルタイムで稼ぐため、学校もやめた。当初は25セントだった散髪代は、19ドルになった。

 昔は、先輩にちょっとした医療行為も教えてもらった。いぼを焼き切る、ヒルに血を吸わせて血圧を下げる、といったことだが、今はやめている。

 引き出しには、愛用の手動バリカンをしまっている。停電で電気バリカンが使えなくなるのに備えておくためだ。

 戦没者を追悼する毎年のメモリアルデー。ニューウィンザーでの行進では、必ず中心的な役割を果たす。第2次世界大戦に従軍した退役軍人でもあり、地元の在郷軍人会の会員になってもう75年にもなる。会合があると、決まってウイスキーサワーを飲む。

 マンチネッリの誕生日には店は閉まり、パーティーが開かれる。近所のスーパーから、食べ物の差し入れがある。それを除けば、仕事の日々が続く。中断するのは、こうして取材が入るときぐらいだ。

 それでも、マスコミに取り上げられたことで、世界中から客がくるようになった。10年前には俳優のベン・ギャザラ(訳注=イタリア系米国人)が、ニューヨーク・マンハッタンからきて散髪をしてもらった。友人からの口コミで知ったようだった。

 マンチネッリは、数年前にディネッツァに雇われた。それまでの店が勤務時間を短縮したため、フルタイムで働けるところを探していた。今の店に応募すると、受付担当は無視も同然の対応をした。あまりにも高齢だと思ったからだ。しかし、再応募したマンチネッリを見たディネッツァは、その腕にほれた。

 「今では、私が彼のために働いているみたい」とディネッツァは肩をすくめる。「どんな人か見にいきたいという電話が、世界中からひっきりなしにかかってきて、もうてんてこ舞い」

 オルークの次も、常連客だった。ジョー・マーフィー(46)。マンチネッリが前の店で100歳の誕生日を迎えた記念すべき日に、髪を切ってもらったときのことをよく覚えている。

 「店の連中は、誕生祝いに裸の女の子がいるところに連れていこうとしたんだ。そしたら、ご本人は断ったのさ。『とんでもない。オレを殺す気かい』ってね」(抄訳)

Corey Kilgannon©2018 The New York Times

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