私が13歳の時、両親とともにアルメニアの首都エレバンに引っ越し、そこで2年間を過ごした。子供の頃、両親の5回にわたる外国勤務のおかげで様々な地を渡り歩いたが、アルメニアはその一つだった。私にとっては10代の鬱憤がつまった広大な土地であり、当時の記憶は思春期の苦悩に彩られている。ピンク・フロイドの海賊版CDを買ってベッドに寝転びながら聴いたこと、もやがかかった緑の丘に羊が点々と見えていたことなどを覚えている。
それから20年後、エレバンを懐かしく思っている自分に気づき、はっとした。これは、かなえられない思慕だ。2人の小さい子供がいる今、現地へ飛んで街角で感慨にふける時間もお金もない。何げなく、ユーチューブを見た私は、そこで驚愕した。1997年当時と同じ通りを眺め、同じ路面電車に乗り、同じ車や人々、そして雨が降る灰色の空を見ることができたのだ。13分間にわたり私を魅了した動画は、視聴回数が1万7000回を超えていた。英語のコメントのうち2件に「郷愁」という言葉が書かれていた。
郷愁とは苦痛を伴う喜びであると分かっていても、郷愁を探し求めるのをやめられなかった。他にはどんな場所に、そしていつの時代に、ユーチューブで訪れることができるだろうか?
カリフォルニア州の田舎にある母の故郷で、独立記念日の様子を映した古い映像を見ることができた。私が生まれた国であり、何かを記憶できる年齢になる前に離れることになった、イスラエルの風景も見ることができた。
あるカナダ人のチャンネルには、彼が90年代に旅行した時の動画が何百件も登録されていた。彼が93年に曇り空の下、イスタンブールを旅した際の動画もあり、冒頭は徒歩で、その後は路面電車の窓から撮られていた。トップのコメントは、ユーチューブ上の旅について本質を捉えていた。「人々は誰も携帯電話を手にしていない。下を向いたまま歩いている迷惑な人など、誰一人いない。なんて素晴らしい時代だったんだ」
テヘランとカブールの街の人々の、時にはミニスカートの女性も登場する「かつて」の暮らしを映した動画があれば、文字通り今では存在しない場所を映した動画もある。2009年のアレッポを映した「内戦前の街」のように。こうした動画を見るのは、失われた多くのことについて考えるということでもある。
ここで、奇妙な二分法に気づく。人類史上最も多くの移動は、飛行機による国際レジャー旅行ブームとともに起こった。結果、マチュピチュでは時間を指定して来訪者を受け入れ、ベネチアでは、押し寄せる観光客による混雑を回避するため、苦肉の策として通行規制ゲートが設置された。そこで登場したのが、旅を題材としたビデオブロガーであり、彼らがゴープロ・フュージョンやアイムービーを使って作成した動画がユーチューブに急増している。彼らのおかげで、ソファでくつろぎながらバガンで気球に乗ったり、ビクトリアの滝を見たりすることが可能となった。
ただしこうした旅のビデオブログはうまく編集されているため、それ以上のものを求めるなら、ありのままの郷愁が映し出された動画を見つけることもできる。ユーチューブを開いて地名と年を入力してみよう。「北京1970」「タシケント1992」……。アルゴリズムが旅のガイドとなるだろう。画面の右側にサムネイルの一覧が表示され過去へ過去へと誘ってくれる。
こうした旅の動画は、おもしろいことに交通愛好家が貢献していることも多い。ユーチューブでタイムトラベルを楽しめる素晴らしい動画の多くに、路面電車が登場する。97年のアストラハンやカイロの路面電車。2014年の平壌の路面電車も見ることができる。
ユーチューブで旅の動画を見ることは、お金がない人、引きこもりの人、そして大西洋横断フライト1回で北極や南極の氷が16平方フィート解けると知った心配性の人にとっては、良い旅先となるのかもしれない。だが同時に、最も不可能な旅である「過去への旅」を必死に模索する手段でもある。12分間にわたり、別の時代の粒子の粗い映像を眺め、過去へとさかのぼりながら思いがけない瞬間を目撃する。それは、一風変わった贈り物だと言えよう。
(リディア・キースリング、抄訳 河上留美)©2018 The New York TimesLydia Kiesling
リディア・キースリングは、MCDから刊行された新刊小説『The Golden State』の著者である。