“Tesla without Elon Musk? How a once-unthinkable idea became unavoidable."
8月27日付 ワシントン・ポスト紙
今春、テスラの工場の記事を読み、自動車会社のコンサルティングを長年してきた私はhorrified(ゾッとした)。
テスラCEOイーロン・マスクは黄色が嫌いと、工場でレーンを示す線を禁止。安全靴や後ろ向きに動くフォークリフト音も嫌だと禁止に。当然、従業員の怪我は多発した。生産現場の専門家ではないのに、そこまでのマイクロマネジメントはいかがなものか。それまでマスクに好感を抱いていたが、一転、CEOに適任でないと感じた私は、保有するテスラ株をすぐに全て売った。
今回の記事によると、同様に思う投資家は少なくないようだ。特に彼らの我慢の限界に達したマスクの行動は、8月にテスラをtake private(非公開企業にする)予定だと、会社の弁護士らに相談せずにいきなりツイートし、17日後に一変して実施しないと発表したことだ。
米証券取引委員会(SEC)の調査が入り、株主訴訟も起きる。収益が期待されるモデル3の生産量を高めようとしている現在、この逆風は大打撃だ。常にaudacity(大胆さ)とchaos(大混乱)の境目にいるマスクだが、今回ばかりは度を越えたと思う人は多いようだ。
マスクのテスラでの役割はall-encompassing(包括的な)なもの。社長、会長、最大の株主でhead visionary(全体のビジョンを見据えた人)だったが、彼のerratic(突飛な)行動で、取締役会には彼の役割を見直すようcalls(要求)が高まっている。かつてはマスク以外の人がテスラのトップに立つことはunthinkable(思いも寄らぬ)ことだったが、今では避けられない議論になっている。
とはいえマスクのいないテスラは、独特で特別なオーラを失い、株主、従業員、一般消費者からの支持を失う恐れもある。結局、マスクはSECと和解し、3年間は会長職は辞任し、その間は社外取締役が会長に就任。マスクとテスラがそれぞれ2000万ドルの制裁金を支払うことなどになった。シリコンバレーではvisionary(先見の明ある)創立者が、ビジネスで厳しい現実に直面すると、co-opted(より「普通」な人になるよう強制される)か、toppled(地位から降ろされる)ことはよくある。アップルやウーバーにも起こったこうしたシナリオを、果たしてテスラは避けられるか。