インドのデリーに暮らすマンミート・シンク・ライアット(24)は高校卒業後、製薬会社に就職したが半年で退職した。それ以来、独学で学んだウェブデザインやアプリの開発を企業や個人から単発で請け負うギグ・ワーカーとして働いてきた。
「ギグ」はライブハウスなどでミュージシャンたちがその場限りで演奏するセッションに由来する言葉で、フリーランスの中でも短期で働く労働者を指す。マンミートはクライアントと労働者をつなぐ米国の仲介サイトに登録し、主に欧米のIT企業からプロジェクトを受注している。
会社員当時の給料は月額約250米ドル。今では二つか三つの仕事を請け負えば、数日で同じ額を稼げる。平均して月収はほぼ2倍になった。「会社にいた頃は自分ではなく会社のために生きている気分だった。お金は大事だけどすべてじゃない。情熱を持って自分のやりたいことをやる方が大切だ」
先進国の企業がIT分野などで人件費の安い新興国や途上国の会社に業務を委託することは1990年代から行われてきた。かつてと違うのは、ネットワークが発達したおかげで仕事を受ける側が企業ではなくマンミートのような個人に変わりつつあることだ。先進国に比べて賃金が安いため、スキルさえあれば途上国のフリーランスの方が仕事を請け負いやすくなる。
インドではここ3年ほどで、ギグ・ワーカーが定額でオフィスとして使えるコワーキングスペースが急増した。2015年にニューデリーの中心地コンノートプレイスで開業した「Innov8」(イノヴェイト)はムンバイやベンガルールなど主要都市で次々とオフィスを展開している。
古いビルのワンフロアにあるコンノートプレイスのオフィスを訪ねると、カフェにあるような木製の長机で、PCやタブレットを広げている人たちがいた。奥のスペースでは、男性2人が仕事の合間にサッカーのテレビゲームを楽しんでいる。自由で柔軟な働き方は、もはや先進国だけのものではないことを実感させられる。
広報責任者のシュラダ・サンナル(27)は「多くの貧困層が暮らす国にとっては、地球が一つの村のようにつながってオンラインでどこの国の仕事も取れるようになるのが理想だ」と話す。
■自由は広がり、格差も広がった
ニューヨーク・マンハッタンの東側にある高級住宅地アッパー・イースト・サイドでは正午を過ぎると、四角いバックパックを背負ったり、両ハンドルにナイロン袋を提げたりしながら自転車で行き交う人たちが増える。
運んでいるのは周辺のレストランにオンラインで注文されたランチ。自転車を走らせるのはネットやスマホのアプリを通じて宅配を請け負い、注文主に届けるフリーランスだ。
米国は10年にサンフランシスコで始まった配車サービス「ウーバー」を始め、労働のギグ化が最も進んだ国の一つだ。飲食店のオンライン出前サービスも今や配車と並ぶ代表的なギグ・ワークになっている。
仕事は自分の好きな時間に好きなだけ。ネットのおかげで実現した働き方は当初、労働者に自由を与えるともてはやされた。しかし、ここに来て米国や欧州の先進国で顕在化し始めたのは、社会保険や最低賃金が適用されないギグ・ワーカーの不安定な労働環境と、新たに生まれている格差だ。2月に英国政府が公表した報告書によると、英国にいる約280万人のギグ・ワーカーのうち、25%は最低賃金以下の時給で働いていた。
「テクノロジーが発達して個人が簡単に仕事を請け負える環境ができたため、独立して働く人が増えている。ただ、仕事を選べて高額の報酬を得られるフリーランスは一握りしかいない。大半は家計を埋め合わせるために働いている」。全米で約40万人が加入するニューヨークの労働組合「フリーランサーズ・ユニオン」の事務局長ケイトリン・ピアース(35)は実態をこう説明する。ピアースによると、それでも昨年だけで5000人が新たに組合に加わった。米国では27年にフリーランスが会社員を上回るとの予測もある。
将来もし、インドのサンナルが言うように地球単一の労働市場が実現すれば、先進国と途上国の労働者が仕事を奪い合って対立することにならないのだろうか。
オックスフォード大学インターネット研究所准教授のヴィリ・レードンヴィルタ(38)は楽観的だ。「ギグ・エコノミーから最大の恩恵を受けるのは途上国の中流層だ。しかし、すべての仕事がギグになるわけではないし、同じ国にいるフリーランスを好むクライアントは必ず存在する」。しかし、同じ質問をニューヨークのピアースに聞くと、レードンヴィルタとは対照的な厳しい表情でこう答えた。「先進国の労働者にとっては相当厳しいチャレンジになる」