ジハード(聖戦)観光で戦意高揚
レバノンの首都ベイルートから車で約2時間。山が連なる南部ムリータでもひときわ高い山の頂上一帯は、東京ドーム1・3個分もの広大な博物館になっていた。軍事部門を持ち、政党としても存在感を高めているシーア派組織ヒズボラがつくった「抵抗運動博物館」だ。
大破してがれきに埋もれた装甲車両。さびた砲台に飛び散った薬莢。屋外の展示場にはイスラエル軍から押収した兵器がオブジェのように並べられている。かつてイスラエル軍が「最強」と誇った戦車メルカバは、銃口がぐにゃっと結ばれた無残な姿をさらしていた。屋内の博物館は、床が一部ガラス張りになっていて、その下にイスラエルの軍服と小銃、靴などが展示されている。案内役の男性(30)は「我々がやっつけたんだ」といいながらガラスの上から踏みにじるしぐさを見せた。
ゲリラ戦の様子を人形で再現した森の小道を進むと、遠くの山々まで見渡せる展望台に。そこから最高指導者ナスララら約7千人が実際に駐屯したトンネルの地下指令室に入っていく。まるでテーマパークのような手の込んだ趣向だ。ギフトショップをのぞくと、ヒズボラのロゴをあしらったTシャツや帽子、ナスララやイランの最高指導者ハメネイらの肖像画や写真、演説集などがずらっと並んでいた。
2010年のオープン以来165万人が訪れたといい、この日も家族連れや外国人グループでにぎわっていた。広報課長アフマド・マンスール(48)は「家族連れに楽しい時間を過ごしてもらいつつ、兵士たちがどう戦ったのかを伝える場所です。私たちが自由に生活できるよう、殉教者たちがその命をなげうったことを知って欲しいのです」と話す。
家族でくつろいでいた家庭教師ファティマ・セルハン(24)は、ヒズボラ版のボーイスカウト「マフディ・スカウト」の引率役として、5歳~10歳くらいの子どもたちを引き連れて10回以上訪れている。「美しい景色をみて、子どもたちはここで『抵抗』について学びます」。イスラエルをどう思うか尋ねると、「怖くなんかありません。私は次の戦争が待ち遠しいと思っています。敬愛するナスララ師に導かれた私たちの抵抗は力強いのです」と力を込めた。
そこからさらに南に1時間半。イスラエルの集落を見下ろす最南部マルンアルラスの高台の公園に、黄金のドームが輝いていた。どこかで見たことのある形・・・。イスラム教の預言者ムハンマドが昇天した場所とされる、エルサレムの「岩のドーム」のレプリカなのだという。
近くにはパレスチナとヒズボラ、そしてヒズボラの後ろ盾となってきたイランの旗。真ん中の旗には、「我々はエルサレムで礼拝する」との決意めいた言葉がアラビア語でしるされている。公園の入り口には、イランの最高指導者ハメネイや故ホメイニの写真が飾られていた。
イスラエルを挑発するようなこの公園は2008年、レバノンに06年に侵攻したイスラエル軍が撤退した記念としてイランの資金でつくられ、「イラン庭園」と名付けられた。東京ドーム1個分の敷地にバーベキューができる73のテント、展望台、遊具、レストランなどがあり、年に10万人が訪れる。親族14人でくつろいでいた漁師フセイン・ハイダ(32)は、眼下のイスラエルをどう思うか尋ねた私を「違う。イスラエルではなくて、パレスチナの地だ」と制し、「イスラエルが攻めてきたら、仲間を引き連れて抵抗の戦士になる」と話した。
庭園の管理人アブ・アリ(47)は「ここはイスラエルを打ち負かし、抵抗の精神を示した地。占領されたパレスチナやゴラン高原も視野に入り、子どもたちも占領とパレスチナの解放とは何かを理解するようになります。ジハード(聖戦)ツーリズムの重要な拠点です」と話した。
イスラエルは「良き隣人作戦」
イラン庭園から国境を挟んで南に直線距離で約15キロ。イスラエル北部ツファットのジブ病院を訪れると、1カ月前にシリアから救急搬送された少年(14)がベッドに横になっていた。
少年が住んでいたのは、反体制派が支配していたシリア南西部クネイトラ。アサド政権軍の攻勢で日常的に戦闘が起きていた。少年が買い物をしようと自宅を出たとき、何かが爆発した。「痛みは感じませんでしたが、とにかく足が熱かった」。右ももの骨がむき出しになり、血だらけになっていた。
村の診療所で止血してもらったが、重傷者を手当てできる医療施設はなく、車で国境に向かってイスラエル軍に助けを求めた。深夜に病院に搬送され、緊急手術を受けた。右足は左足より11センチ短くなったが、術後の経過は順調だ。少年は「イスラエル人は悪魔だと思っていたので、まさか来ることになるとは思わなかった」と同席したイスラエル人の病院関係者や兵士らに笑顔を見せ、「早く歩けるようになって、家に帰りたい」と話した。
イスラエルは1967年の第3次中東戦争でシリアのゴラン高原を占領し、一方的に併合を宣言し、いまなお敵対関係が続いている。シリアが2011年から内戦に陥った後、宿敵ヒズボラやイランがアサド政権の軍事支援に乗り出し、神経をとがらせていた。
イスラエルは内戦への介入は避けつつも、2013年からは人道支援として重傷者の受け入れを始め、16年からは「良き隣人作戦」と銘打って、慢性疾患の患者も受け入れたり、食料や医薬品を届けたりするなど支援を拡大。これまでに5千人近くを国内で治療した。イスラエル軍当局者は7月の電話会見で、「イスラエルを敵視する教育を受けてきた人たちに『敵ではない』と知ってもらい、子孫に伝えてもらうことは百年の計だ」とイメージアップ効果を強調した。作戦は9月中旬、アサド政権軍が南部を制圧したことで終了した。
国外には「良き隣人」としてアピールしたイスラエルだが、足元のパレスチナ自治区ガザ地区ではパレスチナ人の抗議デモを軍が実力で抑え込み、国際的な非難を浴びている。3月末からだけでも190人以上が死亡し、21歳の女性看護師が軍に射殺される事件も起きた。ネット上では「良き隣人作戦」について、「自らつくり出したガザの人道危機は無視している」「パレスチナは別の話か」と、「2重基準」を指摘する声も上がっている。