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沖縄の芭蕉布を救いたい! 科学者たちが保全に動き出す

美ら島の国境なき科学者たち 更新日: 公開日:
芭蕉布の原料となるイトバショウ(バナナの一種)の畑。織り手さんたちが自ら3年ほどかけて栽培する。(写真:Michael Man, Ka Lun(OIST))

ハイタイ!

サイエンスコミュニケーターとして仕事をしていると、当然のことながらたくさんの科学者に囲まれて過ごすことになります。そんな中で、科学者って、私たちとは(少なくとも私とは)違うなって思うのは、目のつけどころや、疑問に思ったことをとことん追求する力、そして、なんと言っても、一度やり出したことへの集中力の強さと情熱の持続力。やろうと決めたことをとことんやり抜く。だから、研究のみでなく、スポーツや音楽などの趣味でも、レベルが高い人が多いんです。そんな科学者の趣味の話も、いつかご紹介できる機会があれば、と思っていますが、今回はバイオテクノロジーの研究に携わる野村陽子博士をご紹介します。

野村博士は、3年前の夏、それまで10年以上暮らしていたカリフォルニアから沖縄にやってきました。カラリと乾燥したカリフォルニアから、夏真っ盛りの蒸し暑い沖縄に越してきた野村博士。蒸し暑いのが何よりも苦手な彼女は、「クーラーの無かった昔に、沖縄の人々はいったい何を着てこの暑さをしのいでいたのだろうか」と疑問を持ちました。というのも、学生時代はもともと被服学を専攻して、衣服や布に興味があったのです。

調べたところ、沖縄ではかつて一般庶民から王様にいたるまであらゆる階級の人々が、夏には芭蕉布(ばしょうふ)を着用していたことがわかりました。なぜ国中が芭蕉布を夏に着用していたのか。さらなる疑問を持ちました。 

ところで、みなさんは芭蕉布をご存じでしょうか。芭蕉布は、琉球王国(かつての沖縄、1429年〜1879年)で織られていた伝統的な織物で、バナナの茎から採れる繊維から作られます。野村博士は、その芭蕉布の涼しさの秘密に迫ろうと、OISTの最先端の電子顕微鏡と、世界に誇る電子顕微鏡技術を活用して研究をスタートさせました。

芭蕉布(写真: Michael Man, Ka Lun (OIST))

研究を始めるにあたり、まず突き当たったのが、研究対象とする芭蕉布のサンプル入手の難しさでした。昔は各家庭で作られていた芭蕉布は、戦時中に生産が途絶えました。幸い、平良敏子さん(2000年に人間国宝として認定された芭蕉布の製作者。現在97歳)の努力により、沖縄本島の北部に位置する大宜味村喜如嘉(おおぎみそんきじょか)で一度は失われた技術が蘇りました。生産量が限られていますが、現在でも伝統的な製法で生産が続けられています。野村博士とOISTのメンバーは、この喜如嘉の芭蕉布事業協同組合に頼み込み、サンプルを入手することができました。

「太くて硬いバナナ繊維は、普通は他の繊維と混ぜないと衣類にできません。芭蕉布はなぜバナナ繊維100%で着物が作れるのか不思議に思ったのが、芭蕉布に興味を持ったきっかけです。こんな高い技術を持っているところは、琉球文化圏、今では喜如嘉しかありません。」と語る野村陽子 OISTサイエンス・テクノロジー・アソシエイト (写真:OIST)

喜如嘉では、糸づくりから織りまで20以上もある工程の全てを織り手さんたちが手作業で行なっています。この長い工程を経ることで、上質で美しい芭蕉布が出来上がります。喜如嘉の芭蕉布は、かつて王族が着用していたような、高品質で芸術性の高い作品として、高価ながらも人気があります。一方、製作に手間と時間がかかることや原料不足などにより、入手が困難となっているのです。

芭蕉布の原料となるイトバショウ(バナナの一種)の畑。織り手さんたちが自ら3年ほどかけて栽培する。(写真:Michael Man, Ka Lun(OIST))

野村博士は、芭蕉布づくりの初期の工程、糸をつくる工程で、「なぜこのような手間のかかる作業をするのだろう?」と不思議に思った作業に注目して研究を行いました。その結果、先人たちが創意工夫により行ってきた伝統的なものづくりは、科学的に見ても優れた技術に裏打ちされていることが認められました。研究内容についてはこちらをお読みください

切り取ったイトバショウの茎から、葉鞘(ようしょう)と呼ばれる繊維のかたまりを一枚ずつはいでいく。この後、それぞれを外側と内側とに割いていき、外側の表皮側だけが糸として用いられる。(写真:Michael Man, Ka Lun( OIST))

研究を始めて、野村博士はイトバショウの生産量が減り、芭蕉布が存亡の危機にあることを知りました。「バナナ繊維100%で着物を作れる、しかも薄くて美しい芭蕉布を作る高い技術をもつ喜如嘉は、唯一無二の場所であることに気づきました。このままだと優れた民藝品としての喜如嘉の芭蕉布がなくなってしまう」と野村博士は言います。

野村博士に共感したOISTの関係者は、沖縄県の担当課や、琉球大学農学部作物学研究室の諏訪竜一准教授の元を訪ねて相談しました。産地を支援したいという熱意に動かされた諏訪准教授のグループはさっそく、沖縄県の協力を得て、大宜味村の畑にイトバショウの収量や品質を高める栽培実験の準備を始めました。野村博士は今後、材料の評価の部分で、この研究を支援したいと考えています。

野村博士の活動は、研究だけにとどまりません。芭蕉布事業協同組合の平良敏子さんや平良美恵子さんらと話をするうちに、芭蕉布が今では沖縄県内でも身近とは言えなくなってきてしまっている現状に対しても布石を打てないかと考えました。そこで、芭蕉布の良さを知ってもらい、産地支援につなげるため、8月2()から922日(土)まで、芭蕉布の展示会OISTで開くための準備をしています。この展示会の最終日922日(土)には、芭蕉布と伝統工芸の保存などに関して専門家の方をお呼びして話し合うシンポジウムと、一般の方に糸作りを体験してもらえるワークショップなども行う予定です。芭蕉布をあらゆる角度から発見・再認識できる、またとない機会となるでしょう。

他にも野村博士は、身近な人たちを集めて「沖縄伝統工芸染織クラブ」も立ち上げました。現在メンバーは10名ほど。小さな会ですが、沖縄県出身者、本土出身者、そして外国人も含む、多種多様なメンバーが集まり、沖縄県内各地の伝統布について製作を体験したり歴史を学んだりしています。

最初に申し上げた通り、野村博士の現在の専門はバイオテクノロジーですから、芭蕉布の研究が彼女の専門分野というわけではありません。でも、日常でふと感じた小さな疑問をとことん追求し、周りの人々を巻き込みながら地域振興などのより大きなプロジェクトにまで育て上げる。科学者の興味、情熱、行動力と集中力には、いつも感嘆させられています。

(大久保知美 OISTメディアセクション)

ご紹介した科学者:

「私の興味だけで面白がって進めてしまったものが、ここまでになるなんて!人生、色々あるものですねえ」と語る野村陽子 OISTサイエンス・テクノロジー・アソシエイト (写真:OIST)