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「次の中国」の座ねらうインド 専門家に聞くインド製造業の未来は

World Now 更新日: 公開日:
インドの工業団地に生産拠点を置くぬいぐるみメーカー「パルス・プラッシュ」の工場内

インドは、成功を収めたIT産業の次の柱として、製造業を育てようとしている。「世界の工場」の中国で急激に人件費が上がって競争力が陰ったことで、インドは「次の中国」の座を狙う。インドの製造業の行方について、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)のムンバイオフィスを統括するアルン・ブルースに話を聞くと、「正直に言えば、中国に追いついて『中所得国の罠(わな)』に悩んでみたいものだ」と本音ものぞかせた。(聞き手・江渕崇)

――中国の賃金高騰で世界のメーカーは戦略の練り直しを迫られていますが、インドの賃金も徐々に上がっています。

「この国で賃金は極めて政治的な性格を持っています。政権の座に就きたいすべての政党にとって、労働者から支持を得るためには、『より高い賃金』を掲げざるを得ない。賃金上昇の背景には、そうした事情があります。ただ、インドは物価上昇率も高い(この10年間はおおよそ年5~10%で推移)ので、賃金が上がっているとはいっても、物価上昇率からそうかけ離れておらず、実質賃金がそこまで急激に上がっているわけではありません」

「もう一つ指摘しておきたいのは、この国はとても多様であるということです。ここムンバイ周辺では、製造業で働く人を月300~400ドルより安く雇うことはできませんが、ほかの地域では月100ドルで雇えるところも多く、国全体の賃金がどんどん上がっていくという状況ではありません。ただ、全体としては、いまのような、物価上昇に沿うぐらいの賃金上昇が今後も続いていくだろうと私は見ています」

BCGムンバイオフィスのアルン・ブルース

――あなたも執筆に加わったBCGのリポートは、中国が賃金上昇でコスト競争力を失っており、米国への製造業の回帰が起きていると指摘しました。中国は「中所得国の罠」にとらわれているとの見方もあります。インドが中国の経験から学ぶべき教訓とは。

「中国は依然として世界で最も大きな生産拠点ではありますが、もはや低コスト国ではありません。インドの賃金は中国の沿岸部と比べれば極めて安い。平均的なレベルの製造業だと、中国では月に400ドルか500ドルの賃金が必要ですので、インドの人件費はその25%~40%ほどで済みます。中国はコスト面では競争力が陰ってきたので、高度な家電など、人手に頼らない、ハイテク分野にシフトしています。」

「中国経済はいまは減速していますが、この数十年間の成長は素晴らしいものです。私たちが教訓とすべきことの一つは、どのように国内の需要を高めるかということです。中国の成長は輸出主導で、内需はまだ十分な牽引役になれていません。輸出と内需のバランスを、もっと早い段階でとることができれば、成長はより持続的になりますし、外部のショックからの打撃も抑えられます」

「もう一つ教訓があります。それは、人材の受け入れです。どの低コスト国でも、長期的に経済を成長させていくには、イノベーションが必要です。イノベーションを起こすには、人材を引きつけることが必要です。米国がいま繁栄しているのは、この100年以上にわたって才能ある人材を引きつける磁石のような国だからです。中国はそうではありません」

――残念ながら、日本もその点では成功していません。

「残念ながら、そうかもしれません。いずれにしても、中国が次の段階に飛び立てるのかどうかは、才能ある人を引きつけるような国にできるかにかかっています。もはやコストでは戦うことができず、イノベーションとテクノロジーによる戦いにステージが移っているからです」

「しかし、私たちのインドからみれば、正直に言うと、中国は仰ぎ見るような高みにいます。中国は『中所得国の罠』に陥っていると言われますが、いわば『低所得国の罠』の中にあるインドの私たちに言わせれば、ぜひ『中所得国の罠』に悩んでみたいものです」

――インド政府は製造業を育てようとしています。中国と比べたインドの強みは。

「なんといっても低コストであるということです。賃金だけでなく、電力も、天然資源も安い。鉄鋼も中国と十分戦えるコスト競争力があります。しかし問題は生産性です。日本や中国の工場に比べてインドの工場は自動化への投資がまったく足りておらず、働き手一人あたりの生産性は低いままです。加えて定着率の悪さも課題です。多くの産業で年間に職場を辞める人は1~3割に上り、働き手のスキルを高めて生産性を高めることが難しくなってしまっています」

工業団地「スリ・シティー」内の路上では牛も闊歩

――政府は「メイク・イン・インディア」のスローガンを掲げています。

「このスローガンは、インドの製造業の宣伝になりました。モディ首相は様々な会合に顔を出しては製造業について語っています。それによって海外からの投資を呼び込むのにも役立ちました。また、官僚的で複雑な手続きも簡素化されつつあります。たとえば、自動車部品やアパレルの工場を建てると、毎月のように検査官がやって来て、賃金は適正か、休憩時間は取れているのか、トイレは十分に配置されているのか、健康保険は整っているのか、などなどの質問にその都度答えなければなりません。労働規制は国レベル、州レベルで内容が異なり、極めて複雑です。これは腐敗の温床でもありました。また、似たような書類を複数の役所の窓口に提出しなければなりませんでしたが、いくつかの手続きは電子的にできるようになるなどの改善もあります」

――インドはIT産業や、米国などから事務処理を請け負うアウトソーシングのビジネスでは大成功しました。政府が製造業育成を急ぐのは、そうしたハイエンドの産業だけでは、多くの国民を養うのは難しいという面もあるのでしょうか。

「その通りです。インドのITがいくらすごいといっても、雇用全体の2%にもなりません。だから製造業が重要なのです。低所得から中所得へと階段を上がるには、人々が農業から製造業へと移らなければなりません。農業は季節や天候に左右されるうえに、インドでは土地の権利関係が複雑で、大規模農業をやりにくく、生産性はとても低いのです。これでは十分な雇用を生み出せません。増える労働力人口を製造業で吸収していかないと、インドは社会的に不安定になり、経済も減速してしまうでしょう」

「インドでITやアウトソーシングが成功したのは、インドの官僚制の弊害が及びにくい産業だからという面があります。小さなオフィスがあれば仕事ができ、取得に複雑な手続きを伴う大きな土地が要らない。成果物は港も道路も使わずに電子的に出荷できます。広い土地を必要とし、物理的にモノを動かさないといけない製造業とは違います」

インドの工業団地に生産拠点を置くぬいぐるみメーカー「パルス・プラッシュ」の工場内

――中国に本社を置くぬいぐるみメーカー「パルス・プラッシュ」が、中国の人件費上昇を受けてインドで生産を始め、雇用を増やしている例を取材しました。

「素晴らしい先例だと思います。パルス社が工場を置いているスリ・シティーという工業団地は、民間主導の経済特区で、企業はインドの官僚的な複雑さに関わらずに済みます。インドの工業団地はあちこちにありますが、スリ・シティーのような成功例はまだ多くありません。製造業は人々を貧困から引き上げる役割を果たします。インドにはパルス社のような例があと100万社必要なのです」


Arun Bruce BCGムンバイオフィスのパートナー。BCGが2014年に出した各国のコスト競争力についてのリポートで、インドのコラムを担当した。