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ドーピング被害者の忘れられた半生に光をあてたい

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自身も高飛び込みの選手だったサンドラ・カウデルカさん (神谷毅撮影)

高飛び込みは5歳から始め、7、8年間、続けました。1980年代の半ばの話ですが、私が練習していた水泳場には、競泳の有名な選手がたくさんいて、クリスティン・オットーもいました。彼女はソウル五輪で6個の金メダルを取っています。

彼女ではありませんが、女性なのにとても低い声の選手がいました。私は幼心におかしいなと思い、「何か薬を飲んでいるの?」とコーチに尋ねたことがあります。もちろん答えは、「そんなことはない」でしたけれど。80年代もこのころになると、ドーピングのことを選手たちもなんとなく知っており、すでに公然の秘密だったように思います。

考えてみれば、私も何か薬を飲まされていたかもしれません。体がまだ大きくなる前にドーピングの薬を飲むと、成長が遅くなります。高飛び込みでは体が大きくなると動きが遅くなって競技に不利です。だから高飛び込みでもドーピングが数多く行われました。ドーピングは、筋肉を強くしたり増やしたりするためだけではなかったのです。

東ドイツは、ドーピングだけでなく、スポーツに莫大な予算を振りわけていました。最新の施設やトレーナーなどです。スポーツ科学の研究もそうでした。こうして幼い子供たちの才能を発掘していったのです。ある意味で、これは社会主義的ではなく、資本主義的だと言えるのかもしれませんね。投資をし、最大限の利益を得ようとするという意味で。すべては栄光のためでした。

西側世界との競争は、スポーツにおける冷戦だったと言えるのではないでしょうか。その勝利が東ドイツという国とって、最も大きな動機だったのでしょう。なぜなら、本当の戦争は、もうできない時代だったからです。

ドキュメンタリー映画のテーマにドーピングを選んだのは、ドーピング問題そのものを明らかにしたかったからではありません。かつては栄光に包まれていたのに、今では見向きもされなくなってしまったドーピング被害者たちの人生を忘れないために撮ったのです。

「選手たちはすべてをスポーツに捧げ、子供時代さえなかったのです。私はドキュメンタリーを通じて、そのことを訴えたかった」

ある水泳の選手は、10代前半から週に120キロは泳いだと話してくれました。私自身も高飛び込みの練習を1日6時間、週に6日はしていました。ある選手は、ドーピングによる効果は選手のパフォーマンスの10%ほどで、あとは努力によるものだと言っていました。私もそう思います。すべての成果がドーピングによるものではないと思うのです。

東西ドイツの統一後にドーピング問題が明らかになり始めたころ、ドーピングの被害者たちはメディアから強い批判を受けました。しかし彼らはドーピングだけで結果を出したのではなく、とても厳しい練習もしていたのです。それはメディアを含めて人々には想像できなかったでしょう。選手たちはすべてをスポーツに捧げ、子供時代さえなかったのです。私はドキュメンタリーを通じて、そのことを訴えたかった。

ドキュメンタリーの中で、ドーピングをした元水泳選手が自分の血を売ってお金を稼いでいる場面が出てきます。今の社会は、彼女のような存在を英雄としては扱わないのです。東ドイツの大学でスポーツを学び、高い専門性を持っているのに、今は職に就くことさえできていないのです。

彼らは大きなシステムの一部でした。80年代になると状況は少し変わりましたが、70年代には自分がドーピングを受けていたことさえ知りませんでした。彼らを批判するのは簡単です。でも、それでは彼らの人生のすべてを壊すことになります。私は、そうした考えにくみしません。これまで見えていなかった彼らの人生を、人々の前に見えるようにしたかった。彼らに「顔」を持ってもらいたかったのです。

サンドラ・カウデルカ
1977年、旧東ドイツのライプチヒ生まれ。ベルリンの壁が崩壊した後、ベルリンに移り住む。テレビ局勤務や大学で映画を学んだ後、2005年からドキュメンタリーを撮り始めた。