私は米国のニューヨークで生まれ育ちました。9歳で米国発祥のラクロスを始めてから、ラクロスは常に私の人生を変えてきた。仲間をつくり、試合のために旅をしました。ラクロスのおかげでブラウン大学に入ることもできた。
英国に来たのは2006年です。最初は数カ月間の留学のつもりでしたが、いつの間にか去れなくなっていました。学部を修了し、その後も英国で学び続け、ロンドン大学で働くことになりました。
実は米国にいたころ足にケガをして、急にラクロスが嫌になりました。でも、英国の大学でたまたまラクロスのプレーを見る機会があり、レベルはあまり高くないけれど純粋に好きでプレーしている選手たちと出会いました。そこでまたラクロスと恋に落ちたんです。
私はまだ米国のパスポートのままです。英国に国籍を変える審査は厳しいからです。でもラクロスの国家代表チームは3人までなら外国人も入ることができます。ラクロスには英国代表はありません。サッカーのようにイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドに分かれています。私はウェールズ代表として、世界を飛び回っています。
私は自分を英国人だと思っています。正確には私はまだ国籍を変えていないので当てはまらないのかもしれませんが、自ら「プラスチック・ブリッツ」を名乗っています。なぜなら「プラスチック・ブリッツ」は英国の多様性の象徴だと信じているからです。
ロンドン五輪の際、プラスチック・ブリッツに批判があったのは、移民や多様性を受け入れたくない人がいることの表れだと思います。特に保守的なメディアにそういう傾向が強くありました。
でもプラスチック・ブリッツが良いプレーをして国に貢献すると、人々は彼らがプラスチック・ブリッツであることを忘れるのです。この現象は興味深いものでした。スポーツは、すべてを忘れさせ、国を一つにしたのです。もちろんスポーツで移民などの問題そのものを解決できません。でもスムーズに前に進む力にはなると思います。
あとは「五輪の後」が大事なのではないでしょうか。五輪が終わると、元に戻ってしまうからです。その後に何が起こるのか、何をするのか。それが大事なのではないでしょうか。
World Now
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