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再び「エボラ」発生のニュースを聞いて

アフリカ@世界
シエラレオネでエボラ出血熱の犠牲者が埋葬される墓地にたたずむ青年

100万都市でも感染

通商政策をめぐる対立が先鋭化したG7サミットや、シンガポールでの米朝首脳会談に国際社会の関心が集まる中、アフリカから気になるニュースが入ってきた。アフリカ大陸中央部に位置するコンゴ民主共和国で、エボラ出血熱の感染が拡大しているという。
世界保健機関(WHO)によると、2018年4月4日から6月6日までの間に、エボラ出血熱の典型的症状である出血性発熱症例が60例報告され、このうち37例がエボラ出血熱と確定し、既に27人が死亡したという。

気がかりなのは、5月中旬以降、最初に感染が確認された赤道州のジャングル地域の村から約130キロ離れた州都ムバンダカでも、感染が確認されるようになったことである。ムバンダカは推定人口100万人の大都市だ。
2014年から15年にかけて、西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネの3カ国でエボラ出血熱が大流行し、1万1300人以上が死亡した。この時は、感染が遠隔地の農村から都市部に広がり、爆発的な大流行へとつながった。
今回、コンゴ赤道州の州都ムバンダカでの感染確認を受け、WHOのサラマ事務局次長は英BBC放送に「都市部での発生は、地方における発生とは意味が大きく異なる」と強い警戒感を示している。大流行の再発を阻止するために、コンゴ政府当局と国際社会は当面の間、厳しい戦いを強いられるだろう。日本からは6月11日、国際緊急援助隊・感染症対策チームがコンゴに向けて出発した。

2014~15年に西アフリカ3カ国で大流行が発生した原因としては、先進国とは比べようもない脆弱な現地の医療態勢に加え、WHOや各国政府の初動の遅れが指摘されてきた。同時に、現地の人びとの前近代的な衛生概念や、エボラで死亡した親族の身体に触る現地の葬送の習慣が流行を拡大させたとの解説もみられた。感染者の隔離という「科学的に正しいこと」が現地の人々になかなか受け入れてもらえず、予防対策チームが住民から暴力を受ける事件が報道されたこともあり、現地の人々の教育水準の「低さ」や「無知」が問題視された。

「人々はエボラに無知」は事実か?

シエラレオネでエボラ出血熱の感染が広まった時に立てられた症状を示す看板

だが、本当に現地の人々は、エボラに対して「無知」だったのだろうか。一つの研究成果を紹介したい。2014年の大流行で2500人以上が亡くなったギニアの社会、文化などに詳しい龍谷大学農学部講師の中川千草氏(環境社会学)の研究成果である。
中川氏は、ギニアの人々がエボラの大流行についてどのように認識しているかを明らかにするために、流行地のギニアの市民、さらには国外で暮らしているギニア人らを相手に綿密な聞き取り調査を実施してきた。筆者は今年5月26、27日に北海道大学で開催された日本アフリカ学会で中川氏の研究発表を聞き、それが非常に興味深かったので、同氏の論文や発言録などをいくつか読んでみた。

興味深かったのは、「ギニアの人々を『近代医療に関する知識を持ち合わせていない無知な人々』と見なすのは間違いである」という中川氏の指摘である。中川氏が聞き取り調査したギニアの人々は、エボラ出血熱には有効な予防ワクチンも根本的な治療法も存在しないことをよく理解していたというのだ。
聞き取り調査に対し、ギニアの人々から「わたしたちはEVD(エボラ出血熱)について未だに何も知らない、というあなたたちの態度にはうんざりする」とはっきり言われたこともあったという。流行が続いていた2015年4月の聞き取り調査の際には、調査対象者から次のように言われた。「(予防するには)清潔に!遺体や病人に触れない!人が集まるところに行かない!でしょ?みんな、知っているわよ」(中川千草、「ギニアにおけるエボラ出血熱の流行をめぐる『知』の流通と滞留」、アフリカレポートNo53、2015年発行)

そのうえで中川氏は、人々が感染者の隔離に抵抗したのは、致死率の高い疾患に侵された最愛の家族を強制的に隔離施設に連れていかれることへの絶望感といった、人間ならば誰でも抱く辛い感情であったことに着目する。「彼らは無知だったのではない。彼らは事態の深刻さを熟知していたからこそ、隔離と監視に反発していたのだ」という分析には、研究者としての鋭い社会観察のセンスと同時に、調査対象者に対する同氏の深い愛情を感じる。

現実を見誤らせる「アフリカ・スキーマ」

2016年、リベリアでエボラ出血熱の疑いのある患者の検査に当たる医療従事者

エボラが大流行していた当時、ギニアの人々の近代医学に対する「無知」がクローズアップされる報道は何度も目にしたが、このようなギニアの市井の人々の生々しい声が伝えられたことは多くなかった。なぜだろうか。
中川氏の報告を読んで思い出したのは、アフリカの都市社会の研究などで優れた業績を数多く残している京都大学の松田素二教授が唱えた「アフリカ・スキーマ」という概念である。松田氏は、我々がアフリカに関する情報を解釈・理解するための知識の枠組みを「アフリカ・スキーマ」と名付け、日本人の「アフリカ・スキーマ」を次のように解説している。少し長くなるが、筆者は非常に重要なことが書かれていると思う。

「現在のアフリカ・スキーマは、19~20世紀の植民地支配の時代から継続しているといってよい。今日の日本社会に定着しているアフリカ理解は、この強力なアフリカ認識のための枠組みによって作られている。報道する側も、それを受けて理解・解釈・認識する側も、無意識のうちに理解の範型を共有しているのである。
たとえば、アフリカで生起するあらゆる種類の政治的対立、軍事的衝突、社会的憎悪をすべて部族間の伝統的関係性で説明してしまう万能の解釈枠組み(部族対立スキーマ)や、そのバリエーションとして、アフリカでの社会・文化現象を、上から目線で(つねにアフリカを援助し、啓蒙する対象として捉える目線で)、一元的に解釈する認識(未開・野蛮スキーマ)は、代表的なアフリカ・スキーマの一つだろう。
そこでは、現実に生起している歴史のダイナミズムはきれいにそぎ落とされ、千年一日のような停滞的なアフリカ社会が表象され再生産されていくのである」(松田素二「アフリカ・スキーマを超えて」月刊誌『本』2009年4月号、講談社)

中川氏は学会の発表で、次のような趣旨の発言を行った。WHOや現地に入った支援団体が進める「科学的に正しい」感染症対策は重要だが、その「正しさ」が強調されるほど、地元の人々が従来の知識体系に基づいて下している判断は「無知」と見なされ、彼らは被害者であるにもかかわらず、差別や侮蔑の対象にされてしまう。
エボラ大流行時に明らかになったのは、松田氏の言葉を借りれば、無意識のうちにアフリカを「常に援助し、啓蒙する対象」として捉えているわれわれ日本人を含む先進社会のアフリカ・スキーマではなかったのか。コンゴでの新たなエボラ流行のニュースを聞き、私は感染抑止を祈るとともに、われわれのアフリカ観についても改めて考えている。