雪を頂くヒマラヤ山脈を遠くに眺め、やがて飛行機は高度を下げながら山々の間を抜け、小さな空港に滑り降りた。
空港から山道を車で数十キロ。ブータンの首都ティンプーに着いた。
人口は10万人余り。比較的大きなビルも5、6階建て程度が中心で、伝統建築の様式をとったものにおおむね統一されている。どこか、日本の温泉街を思わせるような風情だ。
公務員やビジネスマン、学生らは日本の呉服にも似た民族服を着ている。経済発展より国民の幸せに価値を置くブータンは「幸せの国」と呼ばれる。
そんなブータンだが、いまティンプーはちょっとした建築ラッシュの様相だった。竹を組んだ工事用の足場に覆われたアパートなどが、街のそこかしこで見られる。いまも経済の中心は農業だが、教育はかなり普及しており、農村の若い人たちが、「親とは違う暮らしを」と、首都にどんどん集まるようになっているのだという。
一方で、建設現場で働いているのは、インドから出稼ぎに来ている労働者ばかりだ。ブータン人はこうした肉体労働はやりたがらない。外国人の出稼ぎ労働者がやるものだという意識が強いのだという。
ただ、首都と言っても観光以外に主だった産業はなく、期待するような仕事はあまりない。そのため、若年層の失業問題が深刻になっており、政府も若者が海外に仕事や勉強に行くことを後押ししているのだ。
日本にもまだ数は少ないものの、事実上の外国人労働者である「技能実習生」として、2年余り前からブータン人が働きに来ている。
ブータン人は、外見もさることながら、礼儀を重んじる態度など、日本人に似た雰囲気がある。また、小学校から教室では英語を使っていて、ティンプーで会った若者は、みな自然に英語を話した。子どもの時からテレビではインドのアニメ放送などを見ていて、ヒンディー語も分かるという若者も珍しくない。失業問題に加え、こうしたブータン人の素養もあって、海外から様々な求人が寄せられているのだ。
「一般的に外国人は安く使えると思われかちだが、いまはそれなりに利益を上げている会社でないと呼べない」。これからブータンの若者を、技能実習生として日本の介護施設に呼ぼうとしている「ケアーズジャパン介護事業部」(神奈川県鎌倉市)の李達夫は言う。日本語の教育や来日後のサポートなど、手間も費用もかけないと、良い人材は採用できないし、むしろ失踪などトラブルにつながりかねないからだ。
李は来日予定のブータンの若者たちが、ティンプーの日本語学校で勉強する費用を負担している。今後は、ティンプーに職業訓練校をつくって、継続的に人材を育てることも考えているという。「介護で働く人材は、それくらい力を入れないと要件をクリアできないと思っています」
ブータンで家族の絆は強く、いまはお年寄りを家族でみるのが一般的だ。ただ、その意識も変わりつつあるようだ。ブータン滞在中に読んだ地元紙「ビジネス・ブータン」は、高齢者介護についての危惧を、社説で訴えていた。最近の政府調査によると、ブータンの高齢者で「余生を家族と一緒に暮らしたい」のは20%以下で、90%以上は「高齢者ホームに入りたい」と答えたそうだ。これから日本で介護を経験する若者たちが、ブータンに帰国して新たな介護のかたちをつくっていくのかもしれない。
また、ブータンでは昨年から、政府支援のもとで、留学生を日本に送り出すプログラムが始まった。「Learn & Earn」と呼ばれている。「勉強しながら稼ぐ」の意味だ。日本で留学生は週28時間までアルバイトが認められているので、生活費などを稼ぐと同時に、職業経験も積めるというねらいだ。すでに1年で500人以上が来日し、日本語学校などで学んでいる。留学生たちは大半が22歳以上で、3分の2は大学卒だ。
ブータン労働人材省の雇用人材部長、シェラブ・テンジンは、「ただ『出稼ぎ』に行かせるのではない」と強調する。「経済発展にはサイクルがあり、交通手段は歩きからスクーターになり、やがて自動車に変わっていく。ブータンではこれから自動車のメンテナンスなど、様々なスキルを持った人材が必要になる」と、日本での技能習得に期待する。ブータン人がきつい現場仕事を嫌うことにも触れ、「日本に行けば、農業や現場作業も日本人が誇りを持ってやっているのを見てほしい」とも話した。
日本に来るブータンの若者たちは、いずれ祖国で各分野の中枢を担い、日本との架け橋にもなる可能性がある。日本での経験が、単に日本の人手不足を埋めるだけに終わるのではもったいない。(敬称略)