イ・チャンドン監督「バーニング」
5月のカンヌ国際映画祭では、是枝裕和監督の「万引き家族」がパルムドールに輝いたが、同じコンペティションに韓国からはイ・チャンドン監督の「バーニング」が出品されていた。
惜しくも受賞は逃したが、カンヌ現地での評価はかなり高かったようだ。韓国内ではカンヌでの上映後すぐに一般公開されたが、カンヌでの好評ぶりに反し、観客数は伸びなかった。6月初旬、50万人を少し超えた程度で、多くの劇場は上映をやめてしまった。
海外では好まれるが、国内での反応はいまいち、というのは分かる気がする。韓国の若者たちの痛々しい現実が描かれているからだ。一緒に見た30代前半の女性は「いい作品とは思うけど、気持ちが沈むね」と話していた。
原作は、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」だ。1983年初出の小説を、現代韓国に置き換えた。
映画を見てから、気になって読んでみた。映画は大幅に脚色しているが、根幹部分は同じと言えば同じ。小説の主要な登場人物は、僕と彼女と彼。それぞれ映画では、ジョンス(ユ・アイン)、ヘミ(チョン・ジョンソ)、ベン(スティーブン・ユァン)。小説で彼が「時々焼く」という納屋が、映画ではビニールハウスということになっている。ベンはジョンスに、自分は2ヶ月に1度、ビニールハウスを焼く趣味があると打ち明ける。この納屋、あるいはビニールハウスを焼くという変な趣味と、彼女、ヘミの失踪が、根幹部分だ。小説も映画も、この趣味と失踪の関係を明確には示さない。
現代韓国を色濃く表しているのは、経済的に貧しいジョンス、ヘミと、何で稼いでるのかよく分からないが金持ちのベンとの対比だ。若者の貧富格差は、韓国の社会問題となっている。最近よく耳にする言葉に「金のスプーン」「泥のスプーン」というのがある。親の資産が潤沢なのが「金のスプーン」、逆に親に資産がないのが「泥のスプーン」。どんなスプーンを口にして生まれるか、つまり親の資産によって人生が決まってしまう若者の状況を言い表している。
親のせいにしないで、自分で努力しろよと言いたくなるが、そう言えないほど親の資産に左右される現実がある。その深刻さはニュースでたびたび目にするが、大学院在学中の私の周りからも日々聞こえてくる。
監督がこれを意識して作ったことが分かる部分はいくつもある。例えばジョンスがご飯を食べながら見ているニュースが、青年の失業に関するニュースという部分。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、就任以降一貫して青年の雇用創出を最重要課題として掲げ、積極的に対策を講じてきたが、今のところ成果は見られず、青年の失業率は史上最悪となっている。若者の多くは大統領選挙で文在寅を支持した。このアイロニー、若者の行き場のない怒りが「バーニング」ではないか。燃えているのは、ビニールハウスではなく、韓国の若者なのだ。
痛いほど分かっている現実をさらに映画で突きつけられる韓国の観客には、つらい作品かもしれない。一方、日本を含む海外の観客は純粋にミステリーとして楽しめるのでは、とも思う。セリフは、メタファーだらけで、それを読み解くのが、この作品のだいご味。序盤、ヘミがジョンスに、ミカンの皮を向いて食べるパントマイムを見せながら、「ミカンがあると思うんじゃなくて、ないということを忘れればいい」と言う。ジョンスの希望のない目を見ていると、「希望があると思うのは難しくても、ないとういうことを忘れればいい」というメッセージにも思えた。