アメリカ第一主義のトランプ大統領にはしばしば驚かされるが、今回ばかりは「いつものことだ」ではすまされない。米朝首脳会談のニュースの影に隠れて、日本ではことの重大性に気づくのが遅れたが、カナダで開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)の首脳宣言を、「承認しない」と大統領が言い出したことは、前代未聞の事件である。
宣言には、「ルールにもとづく国際貿易体制」との文言が盛り込まれていた。しかし、カナダのトルドー首相が記者会見でアメリカの高関税を批判したことに大統領が立腹、ツイッターで首相を「不誠実で弱虫だ」とまでなじった。このままではアメリカがヨーロッパと協力して築き上げた戦後国際秩序が崩壊しかねない。つくづく「大西洋の世紀」が過ぎ去ったのだと実感した。
孤立主義だったアメリカの転換、そしてまた……
「大西洋の世紀(The Atlantic Century)」という言葉を私に教えてくれたのは、9年前にハーバード大学で出会った外交史家のケネス・ワイスブロッド博士(現在はトルコのビルケント大学准教授)だった。
博士によると、20世紀の特色は、アメリカとヨーロッパが互いを不可欠のパートナーを認めて、ひとつの共同体をつくったことにある。もともと孤立主義の傾向が強かったアメリカは、ヨーロッパに関わることを嫌った。第1次世界大戦には途中から参戦、連合国側の勝利に貢献したが、戦後生まれた国際協調の枠組みである国際連盟には自国のウィルソン大統領が提案者だったのに加わらず、再び孤立主義の道を歩んだ。第2次世界大戦に加わったのも日本の真珠湾攻撃がきっかけだった。
そのアメリカが第2次大戦後、うってかわって国際社会に関与し始める。国際連合、国際通貨基金、世界銀行、北大西洋条約機構(NATO)など、どれもアメリカの指導力なしには成り立たなかったろう。
こうした方針転換は、単なる環境や便宜主義の産物ではない、と博士は強調する。大西洋をまたぐ強固な政治的絆を作り、それを世界秩序の中核とすべきだと信じたアメリカの政治家や外交官たちが、長年にわたり粘り強く努力した結果だというのだ。膨大な外交文書を読みといて博士論文を書き、「大西洋の世紀」のタイトルで2009年に刊行した。
トランプ大統領が足蹴にしたサミットは、この「大西洋の世紀」の産物である。1975年に世界経済、安全保障、地球環境問題などを話し合うフォーラムとして発足。すでに経済大国であった日本も加わったが、基本はカナダを含む北アメリカとヨーロッパの政策協調の枠組みで、いわゆる「西側」結束の象徴となった。
トランプ大統領が一貫していること
トランプ大統領はこの「西側」を軽視する。彼がやっていることは、その場その場の思い付きで連続性がないように見えるが、一貫していることがある。ひとつは人権など普遍的価値への無関心あるいは無頓着。もうひとつは多国間主義の否定である。何事も2国間のディールに持ち込み、普遍的原則は、その場次第でいかようにでも曲げてみせる。だが、外交は不動産取引ではないし、人は金銭的利害のみで生きるものではない。
思えば、20世紀は戦争と動乱の100年だった。世界が高い代価を払って築いた平和と安定のための枠組みを、かくも軽率に破壊しようとする指導者が、それも「大西洋の世紀」をリードしたアメリカから現れるとは、だれが予想しただろうか。
この機会にワイスブロッド博士の本を読み返そうとアマゾンで調べてみたら、新版が出ていた。タイトルは、「大西洋主義者たち(The Atlanticists)」に改められていた。新版の序文によると、「大西洋の世紀」は過去のものになったとの判断だという。
新しい多国間主義はどこから出てくるのだろうか。それとも人類は再び、過ちから学び直さなければならないのだろうか。
※次回は7月6日(金)公開予定です。