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村の人たちを変えた「生活改善」 日本の経験がエルサルバドルに生きた

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でこぼこ道を車で1時間ほど入った中部サンハシントの民家で、主婦ら十数人が車座で話し込んでいた。スペイン語で「ひまわり」と名付けたサークル活動を月1回、開いている。

「炭酸飲料をあまり飲まずに、オレンジやレモンの木を植えています」

「パンを焼く窯を家につくるのが夢です」

家計や健康、食生活など5分野に区切られたカラフルな紙に沿って、自分の生活を3段階で採点して画びょうで示す。生活の問題点を話し合ったり、将来の夢を語り合ったり、ゲームで盛り上がったり。

メンバーの一人が「お医者さんのところに行くのが苦手ですが、2週間以内に健康診断を受けてきます。なかなか勇気がでないので、誰か一緒に行きましょう」と呼びかけると、どっと沸いた。

それぞれが改善策を宣言して、約2時間の活動を終えた。

サークルの途中、「娘が大学に進学したがっているのにお金がなくて、奨学金もみつからないんです」と涙ながらに打ち明けた主婦、マリア・エステル(35)の自宅を訪ねた。

室内は天井が高く、整理が行き届いていた。以前はそこら中に服や靴がちらかっていたうえ、雨期に雨漏りがひどく、子ども部屋では寝られないほどだったという。

サークル活動を始めてから、家族で話し合って貯金計画をつくり、天井を高く改装して窓を増やした。室内が明るくなり、電気代も減った。

そして何より、自信がついた。「心からやる気になれば何でもできる。そう自分を信じられるようになりました」

サークルでの涙の訳を尋ねると、家族に聞こえないよう声を潜めた。「娘には『がんばれ』と言い続けているので、娘の前で弱気になるわけにはいきません。でも、今日は信頼できるメンバーの前だったので、感情を抑えられなくなったんです。サークルでは時々あることです」

1979年から12年続いた内戦では国民同士が銃口を向け合い、約75千人が犠牲になった。信じられるのは家族だけと言う考え方が強まり、近所づきあいは薄れた。この村でもサークル活動が始まる前は、「それぞれが自分の生活を送っていただけで、みんなで集まる場は全くなかった」という。

沖縄の経験、エルサルへ

エルサルで生活改善が始まったのは2015年。国際協力機構(JICA)の研修をヒントに、政府の社会開発投資基金(FISDL)が試験事業として21市で始め、これまでに約3千世帯が参加した。地域開発課長アルヘンティーナ・トレッホ(52)は、それまでの貧困層への支援に限界を感じていた、と明かす。

「子どもを学校に通わせる」といった条件をつけて現金を給付してきたものの、「村の人たちに依存心が生まれて支援を待つだけになり、面倒は政府が見るという関係に陥って、より貧困がひどくなりました」と振り返る。「ないものではなく、あるものを探して、できることをやっていく。そう考え方を変える必要があったんです」

そんなとき、JICAの研修で沖縄を訪ね、かつての普及員の話に耳を傾けた。生活改善を通じて自分たちの能力を伸ばすことで、自分に自信を取り戻す。人生や家族のことを話せる公共の場が生まれる。

「激しい地上戦から生活を建て直した沖縄と、内戦を経験したエルサルが抱える問題は非常に似ている」とも気づいた。「エルサルでは物質的な復興が最優先されてきたことで、内戦で壊れてしまった社会的連帯の再構築が置き去りになっていました」。トレッホは「もう、生活改善の仕事以外はやりたくありません」と言った。

JICAエルサルバドル事務所長の藤城一雄(47)は、「開発援助の結果、農村では支援への依存心が非常に高くなってしまい、私たち自身も考え方を変えなければいけませんでした」と話す。

ソフト面の支援を求める途上国の声を受けて、JICAによる研修は2005年に始まり、これまでに中南米14カ国から330人以上が学んだ。

「自分たちの身の回りにある資源を活用して、身の丈に合った開発を進める。そんな生活改善が中米の行政官の心に響き、私たちも現場で多くの学びを得ています」

生活改善普及事業

戦後、農村の民主化を目指した連合国軍総司令部(GHQ)の指示で1948年、当時の農林省(現農林水産省)が米国の取り組みをモデルに農業改良助長法に基づく制度をつくり、翌年から活動が始まった。農水省によると、ピークの68年には「生改さん」と呼ばれる普及員が2210人に達し、全国で農家の主婦らにサークル活動を指導した。2001年に農業改良普及員に統合されて呼称はなくなったが、農産加工などの業務に受け継がれているという。