日本人のクロマグロ熱を高めたのは高度経済成長だった。食の西洋化がそれに拍車をかけ、バブルが終わった後は大衆化へと進む。クロマグロへの熱っぽさは戦後の歩みと重なっている。
農林水産省の「漁業・養殖業生産統計」で「まぐろ類」全体のデータをみると、漁獲量である「国内生産量」は1921(大正10)年ごろまで年1万~2万トンだった。昭和に入り6万~8万トンに伸びるが、戦争で激減。1952年、日本船の活動制限が解かれると漁獲量は急に増える。その年に10万トンを超え、55年に18万トン、65年には43万トンとなった。
主役は、はえ縄漁船だった。長さ数十キロから200キロ近くにも及ぶ幹縄を海上にのばし、数十メートル間隔で何千本もの枝縄をぶら下げる。枝縄の先に餌と針をつけてマグロを釣る漁法だ。折しも日本は高度経済成長期に入り、マグロの需要は伸びた。高級品のクロマグロ、ミナミマグロを求め、遠洋マグロはえ縄漁船は世界の海へ向かった。太平洋を越え、インド洋から南半球の高緯度海域、さらに大西洋へ。世界中の海で日本船がマグロを釣った。
マグロはマイナス50度を保たないと品質が落ちる。60年代初頭まではマイナス20~30度台が限界だったため、航海期間にも限度があった。マイナス50度を下回る超低温冷凍技術が開発されたのは60年代半ば。300トン級の遠洋はえ縄漁船が次々と超低温の冷凍庫を備え、長い期間の航海に出た。大手商社は静岡県清水市(現・静岡市清水区)を中心とする国内の大型冷凍庫にマグロを蓄え、需要に合わせて売った。
味覚の西洋化とトロ志向
60年代後半には、家庭に冷蔵庫が普及した。トロ(脂身)が好まれるようになったのはこのころからだ。トロ志向の大きな要因は味覚の変化だとの指摘がある。食文化史に詳しい東京家政学院大名誉教授の江原絢子(72)によると、70年代は外資系ファストフードの参入が相次ぎ、コメの消費が減り、味覚の西洋化が進んだ。「脂が多くて味も濃く、甘みも感じられるトロは西洋の味に近い。それで日本人が広く受け入れるようになったのではないか」
80年代後半からのバブル経済で消費者のトロ志向はさらに高まり、価格も高止まりした。1世帯(2人以上)当たりの年間のマグロ平均購入額は、バブル崩壊直後の92年がピークで、9416円。
マグロを生け簀(いけす)に入れて数カ月間育てればトロの部分が増えるため、90年代からは数カ月~数年飼育の養殖が増えていく。発端は91年に始めたオーストラリアだった。巻き網船で獲ったミナミマグロの養殖に成功。その方式が地中海やメキシコのクロマグロへと広がった。クロマグロの養殖は日本国内でも急速に広まり、海外産とあわせてスーパーや回転ずし、居酒屋にも並ぶようになる。価格も以前より手軽に買える水準となった。いわば高級マグロの大衆化だ。
それを担った一人が木村清(63)。すしチェーン店「すしざんまい」運営会社の社長だ。2013年、東京・築地市場での初競りで、222キロの青森県大間産クロマグロを1億5540万円(キロ70万円)で競り落とし、話題をさらった。
鮮魚コーナーの主役はマグロ
木村は高級マグロの大衆化が始まった90年代初め、体重が200キロに達し、味も良い大西洋クロマグロを海で「在庫管理」する仕組みをつくった。マグロを地中海の生け簀で泳がせながら自らの店の需要に応じて取り出し、冷凍ではなく生の状態で日本に空輸する。生け簀から店まで数日。天然ものと違い常にメニューに組み込むことができ、価格も安定している。空輸コストはかかるが、それでも天然ものより安く食べてもらえる。ほかの業者も似た仕組みを採り入れた。
すしざんまいの1人当たりの売り上げのうち、約35%をマグロが占める。全国に56店を構え、「クロマグロを食べるのは東日本の文化だったが、今は中部から九州まで広がった」と木村は言う。
マグロはすし店だけではなく、食卓にものぼるようになった。千葉市のイオン幕張新都心店。鮮魚コーナーの主役はマグロだ。「マルタ産養殖本まぐろ」「インド洋産めばち」「インドネシア産きはだ」など、あらゆる種類のマグロが並ぶ。平日の午後2時すぎ、老若男女が次々にパックを手に取り、買い物かごに入れていった。担当者は「値段の関係か赤身が人気です。天然か養殖かは、あまり気にとめていないようです」と話した。
日本人は古くからマグロを食べてきた。青森県の三内丸山遺跡など、縄文時代の多くの遺跡からマグロの骨が見つかっている。古事記には「しび」の名でマグロが登場する。マグロは傷みやすい。脂が多いトロは特に傷むのが早く、赤身も時間の経過とともに黒く変色するので、マグロは「下魚(げざかな)」という位置づけが長く続いた。東京家政学院大名誉教授の江原絢子によると、マグロを刺し身で食べることに初めて言及したのは、江戸時代の百科事典といわれる「守貞謾稿(もりさだまんこう)」。「(京都や大坂でマグロは)下卑の食として、(中略)饗応にはこれを用ひず。(中略)江戸は大礼の時は鯛を用ひ、(中略)平日はまぐろを専らとす」とある。「平日はまぐろ」とあるように庶民の間では広く食べられ、傷むのを防いでおいしく食べるためにしょうゆ漬けが広まった。マグロをネギと一緒にしょうゆで煮込む「ねぎま鍋」も食べられた。
日本人と並んで古くからマグロを食べてきたのが、地中海沿岸の人たちだ。
『黒マグロはローマ人のグルメ』(田口一夫著)によると、シチリア沖の小島の洞窟には1万年以上前のマグロの壁画が残されている。古代ギリシャの哲学者アリストテレスも『動物誌』にマグロの生態を書き残した。保存食として重宝され、大西洋を横断したコロンブスも、スペインの無敵艦隊も、船に塩漬けマグロを積み込んだという。
地中海沿岸では塩漬けのほか、トマト煮込みやステーキなど火を通すのが定番で、生で食べるのは一般的でなかった。1977年にスペインのバルセロナで日本料理店を始めた山下吉澄(67)は「当時はトロを食べる人がおらず、市場でタダで分けてもらっていた」と言う。
90年代から2000年代にかけて、健康志向の広まりや、牛海綿状脳症(BSE)や鳥インフルエンザの影響などから、欧米でも魚食に注目が集まり、すしが世界に広がった。バルセロナで水産商社を営むジョゼップ・アロム(33)によると、スペイン国内の日本料理店は約300店にのぼる。
海外の刺し身マグロ市場が倍増
日本料理だけではない。バルセロナにある地中海料理レストラン「マルティネス」では、生の中トロを軽くあぶり、この地方伝統のトマトとニンニクを塗り込んだパンの上にのせて、前菜として出す。シェフのシスコ・ディアゴ(34)は「生のマグロの人気がどんどん高まっていて、お客さんの受けがいい。火を通す場合も、表面だけさっと焼いて中まで火が通らないようにしている」と言う。
太平洋各国のマグロ漁業団体などでつくる「責任あるまぐろ漁業推進機構」(事務局・東京)の推計によると、海外の刺し身マグロ市場は07年から11年にかけて8万4000トンから15万トンにほぼ倍増した。11年は米国が9万トン、韓国2万トン、中国1万トンの順に多い。機構は「米国では都市部以外の小売店でもマグロの刺し身が置かれている。中国では加工が主流だが、富裕層など一部では刺し身で食べることも受け入れられている」とみる。
ただ、最も食べているのはやはり日本。水産庁の推計によると、サイズが小さく缶詰になることも多いビンナガを省いても30万トンに上り、他国を大きく上回る。
(文中敬称略)