むかしむかし、小さな池がたくさん集まっている場所がありました。
それぞれに釣り人がいて、魚を取って家族を養っていました。お互い、よその池の魚には手を出さない約束でした。
ある朝、池同士がつながって、大きな湖になってしまいました。釣り人は困りました。湖で釣りをしようにも、池の大きさに合わせた竿と糸では長さが足りないのです。湖の岸に目をこらすと、同じような釣り人がたくさんいます。
一人の釣り人が、撒き餌で大魚を誘いました。ほかの釣り人もまねをして、えさをまき出します。魚は取れましたが、えさ代がかかってみな財布の中身が寂しくなりました。そのうち、賢い大魚はえさだけとって、釣り針にはひっかからないでゆうゆうと湖を泳ぐようになったのです。
釣り人たちも魚が取れないままでは、おまんまの食い上げ。大魚を捕まえようと、手を携えて知恵を絞ることにしました。
大魚を税を納める企業、釣り人を税を集める政府、その家族を国民に、池は一つひとつの国の領土、湖は世界と置き換えてみてください。政府(釣り人)は国境(池)のくびきを超え、ほかの国々とも仲良くしながら、企業(大魚)から税を集められるでしょうか?
それが今回お届けするお話です。
■デンマーク こっちの税はあまいぞ
シェークスピアの『ハムレット』の舞台となったクロンボー城は、税と縁が深かった。
デンマークの首都コペンハーゲンから北へ約45キロ、港町ヘルシンオアの岬の先っぽで、城は海峡を見下ろしていた。対岸のスウェーデン・ヘルシンボリまで5キロほど。約600年前、海を行き来する船に通行税を課すために建てられた。
この城がいま眼下に望むのは、税の安いお酒を目当てにスウェーデンと行き来する人を乗せたフェリーだ。
町には酒屋がたくさんある。石畳の目抜き通り沿いにある一軒に入った。立派な白ヒゲをたくわえた店主オーガ・シュラッツ(88)は、突然やってきた東洋人に関心があるのか、私を見るとニヤニヤし始めた。
お酒の税について話を聞きたいのです。写真も撮っていいですか?
「ちょっと待ってて」
シュラッツはレジの奥に引っ込むと、櫛で白髪をささっとなでつけた。あまり髪形は変わっていなかったけれど、ちょっと芝居がかった抑揚で話し始めた。
「ノルウェー人はスウェーデンに買いに行く。スウェーデン人はデンマークに買いにくる。デンマーク人はドイツに行く。バカげてるだろ」
折りたたみ式のカート持参で、スウェーデンの通貨を手にしたお客さんが次々とやってくる。創業200年の酒屋は、あるじがバカげてると言う仕組みのおかげで、けっこう繁盛していた。
人やお金が国境を越えて動き回る時代。なのに、国はそれぞれ違う税の制度をもっていて、国境を抜け出せない。グーグルやアップルのような多国籍企業は、そこに穴を見つけ、税を節約する。
国にとって、税をもたらす企業は「大きな魚」だ。釣り上げるため競争してきたが、逃げられないように手を組んで網をかける動きも出てきた。
そんな税をめぐる風景を探りに、各地を歩いた。
(神谷毅)
(文中敬称略)
■アイルランド 税という名の媚薬
一度ならず、ダブリンの街角でカモメの鳴き声を聞いた。
港に近いその一帯は、「シリコンドック」と呼ばれる。グーグルやフェイスブックといった、米国のシリコンバレーに拠点を持つIT企業がこぞって進出したからだ。
お目当ては12.5%というアイルランドの安い法人税。スウェーデン人がお酒の税の安さにひかれて海峡を渡るように、シリコンドックには大西洋を越えて企業がやってきた。アイルランドの約1200社の外国企業のうち、半分を米国企業が占める。
アイルランドを目指すのは、単に法人税が安いからだけではない。この国を舞台にした節税策「ダブル・アイリッシュ・ウィズ・ア・ダッチ・サンドイッチ」を使うという面もある。多国籍企業が編み出した、税を少なく納めるための高度な仕組みだ。
「すべての企業がダブル・アイリッシュを使っているわけではありません。でもグーグルは使っています」
トリニティ・カレッジ准教授のジェームズ・スチュワート(66)は語った。アイルランドの税制と企業を研究している。
「私が調べたところ、22の企業が使っています。ほかにもあると思いますが、なかなか突き止められません」
グーグルは、政府の優遇策に応じたまでで、法を守っていると表明している。
■スターバックスのボイコット運動
ダブリン中心部にある、議会などが入るレンスターハウスを訪ねた。18世紀に建てられた貴族の住まいで、アイルランド人が設計した米ホワイトハウスのモデルともいわれる。
アイルランドは昨年の秋、「ダブル・アイリッシュを使えないようにする」と打ち出し、法を変えた。
どうしてですか?
財務副大臣のサイモン・ハリス(29)は「ダブル・アイリッシュはメディアがつくった言葉です」と切り出した。
「かわったわけでもない。国際弁護士が考え出したと思う。ただ批判があるので、国の評判を考えたまでです」
すでに使っている企業は2020年まで猶予があるが、今年1月から新たに使うことは出来なくなった。
ここ数年、多国籍企業の節税が、世界で大きな問題となってきた。
2012年、スターバックスが英国でほとんど法人税を納めていないと分かると、英国民からボイコット運動が起きた。翌年、米議会上院はアップルの税逃れを指摘する報告書をまとめ、CEOのティム・クックを公聴会に呼び出した。海外にため込んだ巨額の利益から、もっと米国で納税すべきだと議員が批判すると、クックは「海外で稼いだ利益は米国の課税対象ではない」と反論した。
■取りそこね毎年12~29兆円
先進国の集まりである経済協力開発機構(OECD)は、世界で毎年1000億~2400億ドル(約12兆~29兆円)、法人税収の4~10%を取りそこねていると推計。今年10月、多国籍企業にグループ会社の国ごとの納税データを報告することを義務づけるべきだと提言した。主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が新しい国際ルールとして認めた。「国に縛られた税の分野で国際協力を果たした歴史的な転換点」と評価される。
ただ、これで一件落着、というわけではない。国と多国籍企業の関係はケンカをするだけではないからだ。
「アイルランドにとって外国企業は、とてつもなく大事です」
投資開発庁幹部のブレンダン・マクドナ(47)が語ってくれた。
「外国からの投資は国内総生産の4分の1を占めます。外国企業で働く人は17万5000人、間接的にかかわる働き手は35万人です。人口約460万の国にとって、とても大きな規模です」
そして満面の笑みで付け加えた。
「今は製薬や金融サービスなどの誘致に力を入れています。日本の企業にも、もっともっと来てもらいたいですね」
来年初めから、特許などであげた企業の所得には、税率をわずか6.25%にする。
税を媚薬(びやく)にした企業へのラブコールは世界中で盛んだ。きっかけは冷戦崩壊だった。舞台のひとつ、ポーランドに向かった。
(神谷毅)
(文中敬称略)
■ポーランド 始まりは冷戦崩壊
1970年代のポーランド。ヤツェク・ソハがワルシャワ大学で経済の勉強をすると決めたとき、家族はとても驚いた。共産党政権が経済を管理していた時代だ。
「特に父が『なんのために経済なんか勉強するんだ』と言って、すごくショックを受けていました」
共産党員ではなかったので、国営企業でキャリアは積めないと考え、卒業後、研究機関に勤めた。
89年。冷戦が終わり、体制が変わる。時代が変わったのだからと金融機関で働こうと職を探していて、新体制で経済改革を進める政府の幹部と出会った。まず証券市場づくりに関わる。
「経験や知識を持った人も、資料も、何もなかった。大学では資本市場の講義なんて、1時間もなかったしね」
91年4月、取引が始まった。取引所ができたのはポーランド統一労働者党の本部だった建物。大部屋にコンピューターが、ずらっと並べられた。
「共産党の本部に証券取引所。体制転換の象徴というか、皮肉というか。コンピューターは、取引所のものは1台だけ。他の会社からかき集めた。電子化されていますとショーをするためでした」
ソハはその後、国営企業の民営化に腕を振るい、2000年代の半ばに財務大臣も務めた。61歳のいま、大手会計事務所プライスウォーターハウスクーパース(PwC)の現地法人の副社長だ。
■グローバル化と税の引き下げ競争
ポーランドの歩みには、グローバル化がぎゅっと詰まっている。
1989年、部分的とはいえ自由選挙がポーランドで行われたことが、東欧の民主化につながった。東西の壁が崩れて市場が広がり、旧共産圏の安く、教育水準も高い労働力が外国企業にとって魅力的に映るようになった。そして当の旧共産圏の国々は、外国企業の力を借りて国を育てたかった。
欧州の西の端、アイルランドと同じように、東の端のポーランドも、法人税を引き下げる戦略に出た。冷戦の崩壊というグローバル化の始まりと、税を使った戦略がポーランドで交わった。
90年代にポーランド政府の顧問を務めた名古屋学院大学の教授、家本博一(64)の話によると、こんな具合だった。
98年、ポーランドは法人実効税率を27%から23%にした。これに対抗して近くのチェコやハンガリーも引き下げる。独仏などの企業を引き寄せようとする周辺国同士の争いだ。
2004年、ポーランドは17%前後に、さらに下げた。報道によると、当時の仏蔵相サルコジは「採算を度外視した政策だ」とこれを強く批判。とはいえ、企業を引き留め、あるいは誘致したい先進国も法人税の引き下げ競争に参戦し、いまに至る。
■広く薄く
日本の財務省の資料によると、1980年代から2014年にかけての主要国の法人税(国税のみ)をみると、独は56%から15%に、仏も50%から約33%に下げている。英国は20%と、すでに低い水準にあるが、17年に19%、20年に18%とさらに下げる。
「なかでもポーランドは、リーマン・ショックで各国がマイナス成長になるなかでプラス成長を保ち、政治や経済も安定している。その磁力に外国企業が引きつけられているんです」
ポーランド情報・外国投資庁長官のスワヴォミル・マイマン(63)は、こう胸を張った。昨年の輸出の6割超に外国企業がからみ、ポーランド経済を支えているのだと解説してくれた。
「国が集める法人税だけではありません。例えば地方自治体が集める固定資産税。雇用など地元経済にメリットが大きいと判断すれば、ゼロになります」
企業にかける税を引き下げると、国の税収は減ってしまいそうだ。でも、たくさんの企業を育てて税を集めれば、税収は確保できる。ポーランドとアイルランドの狙いは、そこにある。
でも、もし、ある国の税収が減ってしまったら、新たにどこから集めるか。国にとって手っ取り早いのが消費税だ。
次はビールの消費税が上がるベトナムへ。9月のハノイは蒸し暑く、まさにビールの季節だった。
(神谷毅)
(文中敬称略)
■ベトナム 「乾杯!」が経済を救う?
9月下旬のハノイ、平日の午後7時。中心部に近いビアホールは、一日の疲れを癒やしにやってきた人たち、正確に言うと、おっさんたちでいっぱいだった。
あちこちのテーブルから、「ヨー!」「ヨー!」という野太い声が上がる。乾杯の合図だ。「何かしら理由をつけるんだ。仕事の小さな成功だとかね」と、ビールを手にした公務員。要は、飲みたいだけなのかも知れないけれど。
そんな「ヨー!」が来年から、今ほど聞こえなくなるかも知れない。
いま50%かかっているビールの特別消費税が2016年から55%に、その後17年に60%、18年から65%になり、値上げが必至だからだ。
飲食グループ大手、ゴールデンゲート社の事業部長、グェン・ミン・チー(35)に、影響を聞いてみた。
「影響は大きくないと思います。街角に、こんなスローガンがあるんです。『納税は国民の権利であり、義務』。増税すれば国の財政を潤すし、むしろ国民は幸せじゃないでしょうか」
増税が幸せ? 調べると、スローガンは共産党のものだった。彼の言いぶりは、党や政府を代弁しているようだ。
■関税収入の埋め合わせ
政府はビールやたばこなど特別消費税の増税で16年に7兆8000億ドン(約410億円)の税収増を見込む。税収全体の1%にあたる。
課税の強化を進める背景を探ると、税と経済成長、グローバル化の間の、「あちらを立てれば、こちらが立たず」的な、かじ取りの難しさが見えてきた。
ベトナムは1986年にドイモイ(刷新)政策で市場経済を採り入れた。そこから発展が始まり、2010年に世界銀行の物差しで中所得国と認められた。
今では経済を外に開くことに熱心だ。環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に加わり、個別の国と結ぶ自由貿易協定(FTA)にも積極的。東南アジア諸国連合(ASEAN)の経済統合では、18年までに域内関税をほぼなくす。
シンガポール銀行のチーフエコノミスト、リチャード・ジェラムは、モノやヒトなどの行き来が活発になる経済統合は、いい影響をもたらすという。
「中国から企業が移ってきていることもあり、ASEANの海外投資や経済のパイはどんどん大きくなっている」
ただ、発展の途中にある新興国は、税収に占める関税の割合が高い。ベトナムの場合は14年予算で約10%。約2%の日本とは対照的だ。つまり、経済統合の代償として、大事な関税収入が減っていく。ビールの課税強化は、それを埋め合わせる試みの一つだった。
■どの国が釣り上げるか
埋め合わせの動きは外国企業にも向かう。企業がグループ内で行う取引に使う価格に目を光らせ、不自然なお金のやりとりがあれば課税する。外国企業が利益を本社に吸い上げると、新興国が課税する部分が減ってしまうからだ。
ベトナム政府は専門のチームをつくって、移転価格を厳しく判断して企業からの税収を増やそうとしている。タイやインドネシア、中国なども課税を強化している。企業から集める税金を、どの国が釣り上げるかという「ぶんどり合戦」が展開されている。
ただ、あまり厳しい姿勢を取ると、高い技術を持った外国企業に進出してほしいのに、避けられてしまう。
政府に経済政策をアドバイスする中央経済管理研究所の副所長、ヴォ・チー・タンは、こんなふうに語ってくれた。
「成長には経済統合が必要だけれど関税収入が減る。税を増やしたいから企業にきつく当たると、投資先としての魅力がなくなる。難しいんです」
世界の動きが国内の税のあり方を変える。日本は、どうだろう。
(神谷毅)
(文中敬称略)
■日本 おとなしいままでは
東京・六本木の高層ビル28階。遠く陽光が映える東京湾とレインボーブリッジを望む。ここは47カ国・地域に4000人以上の弁護士を抱える世界大手の法律事務所ベーカー&マッケンジーの日本拠点だ。
9月中旬、金融や電機など大企業の社員約50人が集まった。移転価格税制の勉強会のためだった。
OECDがまとめた新しい国際租税のルールによって、各国で移転価格をめぐる課税の強化が予想され、海外に進出した日本企業は気をもんでいる。ベーカー&マッケンジーは、そんな「お客さん」の疑問に答えようと、米国やシンガポール、インドネシアなどから弁護士や会計士を大勢、呼び寄せた。
日本の担当者の助言が印象的だった。
日本の税務当局が「メールを見せて」と求めることが増えています。「ややこしいこと」は口頭で伝えることが大事。デリケートな情報の扱いは慎重に……。
移転価格税制は、日本では1986年に始まり、経済がグローバル化していくなかで、国税庁が課税を指摘する件数も増えた。10年ほど前は100件前後で、大企業が多く、追徴税額が数百億円にのぼることもあった。それが、ここ数年は年200件前後となっている。
■変わる「上納文化」
特徴は1件あたりの課税所得が減っていること。大蔵省(現・財務省)で国際租税課長を務め、OECD租税委員会のメンバーでもあった弁護士の志賀櫻(66)に、理由を尋ねた。
「国税は裁判で敗れたことなどもあって、大企業よりも中堅・中小にターゲットを変えています。弁護士も雇えないような小さいところも含めて、です」
裁判とは、これまで「お上の仰せの通り」に税を納めていた大企業からの「反乱」だ。国税当局は武田薬品工業に2005年3月期までの6年間で1223億円が「申告漏れ」だと指摘したが、異議申し立てのすえ13年までに取り消された。
「上納文化」がどう変わってきているのか、少し違う角度からみてみよう。
調査会社が昨年、税務を担当する役員がいるかどうか日米欧の企業200社に尋ねたところ、日本企業で「いる」と答えたのは34%だった。かたや欧米企業は96%。かなりの開きだ。
ところが、このところ少し風向きが変わってきているようだ。ある国際弁護士は、こう打ち明けてくれた。
「自動車の大手などから税の相談が増えています。そもそも税の効率を徹底的に考える欧米の企業とは、このままでは戦えません」
税の「効率」。つまり、なるべく少なく納めること。それが株主の利益になるなら当然、いろんな技を使って納税額を少なくするべきだと考えるのが、欧米流だ。利益のうちどれくらいを税として納めているのか。ソフトバンク41.1%、トヨタ自動車36.1%に対し、アップルが25.4%、グーグルは19.3%というデータがある(ビューロー・ヴァン・ダイク社のデータをもとに作成したベーカー&マッケンジーの資料から)。
■広がる格差と富裕税
ここで、ひとつ疑問がわく。なぜ米国の政府はもっとしっかり対応しないのか。確かに議会に企業を呼んで糾弾した。でも、節税策をまったく使えなくさせるような対策は取っていない。
こんなふうにみる専門家たちもいる。
米国の多国籍企業が、海外にため込んだお金を研究開発に使って新しい製品やサービスを生み出せば、さらに競争力を高めることができる。米政府はそこに手をつけず、産業の底上げやソフトパワーの強化を図っている──。
税の効率に熱心なのは企業だけでない。国境を越えて動かせるくらい、たくさんお金を持っている人もそうだ。タックスヘイブンにある口座にお金を置いたり、税率が低い国に移り住んだり。
日本の財務省の資料に、こんな数字がある。シンガポールや香港、スイスなど、株などを売った場合に得られる利益に課税しない国に永住する日本人は、2013年で約1万7000人。10年余りで2倍近くになった。
グローバル化が進むとともに、世界では富を積み上げ、さらに膨らませる人たちが増えている。一方で格差は広がる。だから富裕税に注目が集まっている。
フランスの経済学者トマ・ピケティは、ベストセラー『21世紀の資本』で「世界的な資本税」をうたう。不動産や金融資産など、あらゆる資産を対象に、持てるものほど多く課税する仕組みだ。
簡単でないことは彼自ら認めている。
「単一の国だけでこうした税金を適切に設計するのはむずかしいのだ」
(神谷毅)
(文中敬称略)