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旅のゆくえ

Travel 更新日: 公開日:
英字で書かれた道標を頼りに、外国人らは古道をゆく photo:Wake Shinya

2014年に日本を訪れた外国人は約1088万人。04年の約384万人から3倍近くに増えた。だが、世界的には、外国人旅行者の受け入れ数で日本は27位。アジアでも8位と伸び悩む。

英字の旅行ガイド本『ロンリープラネット』の日本編を担当するクリス・ローソン(49)は「日本は安全で料理もおいしい。努力すれば、生かせる可能性はまだまだある」と指摘する。

どう努力すれば? 彼が「例えば」と挙げたのは、和歌山県田辺市だった。

市を西から東へ「熊野古道」が熊野本宮大社まで貫く。古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」は04年、ユネスコの世界遺産に登録された。とはいえ交通至便とは言い難い。そんな市を、最近、外国人が盛んに訪れているという。

カナダ出身の「助っ人」

本当だろうか。半信半疑で、山あいの民宿「ちかつゆ」に泊まった。

「これはジャパニーズ・フィッシュ・アンド・チップス」。主人の木下久(59)が、山女魚(やまめ)のから揚げを運ぶ。よく見ると、フライドポテトが添えてある。食卓にはドイツ人、英国人、米国人2人に豪州の夫婦。そして日本人の私。国際色豊かな夕食が始まった。

いまでは外国人客をにこやかにもてなす木下だが、初めて外国人の予約が入った10年ほど前は「到着の1週間前からドキドキしていた」と振り返る。

実は、田辺市には「助っ人」がいる。「田辺市熊野ツーリズムビューロー」は06年、地元小中学校の英語講師を数年前まで務めたカナダ出身のブラッド・トウル(40)を職員に迎えた。外国人の目線で、観光資源を見直してもらう狙いだった。

熊野古道を何度も歩き、自然と文化が融合した魅力を知っていたブラッドは、民宿や観光バス、飲食店、土産物屋など観光に携わる人たちを訪ね、根気強く意見を聞いた。どうしたら不安を解消できるのか、一緒に知恵を絞った。

英字で書かれたバスの時刻表を用意した。カード決済ができない民宿のために、ビューローがネットで予約や決済を請け負える仕組みもつくった。ブラッドは、「言葉はコミュニケーションの10%。表情や手ぶりを交え、互いに理解しようと思えばなんとかなる」と話す。

昨年度の外国人宿泊者数は延べ1万1352人で、04年度の721人から大幅に増えた。いまや民宿「ちかつゆ」は、外国人旅行者の割合が、年間の宿泊客の4割に達する。

夕食を共にした英国人のオリバー(22)は、「豊かな自然と親切な日本人に触れられて楽しい」。ドイツ人のアンドレ(25)も「歩きながら日本の文化を知れる特別な経験」と満足げだった。木下は「山の生活なんて珍しくもないと思ってた。でも、外国人はみんなビューティフォーと言ってくれる」と笑った。
(和気真也)(文中敬称略)

熊野古道を訪れた外国人観光客に熊野の魅力をたずねてみた(撮影:和気也、機材提供:BS朝日「いま世界は」)


旅行会社のエイチ・アイ・エス(HIS)は、安価な個人旅行を提供して急成長を遂げた。バックパッカーの経験を元に35年前に創業した会長の澤田秀雄(64)に日本人と旅について聞いた。

photo:Sako Kazuyoshi

──旅の魅力は何だと思いますか?
視野が広がることです。世界の情報が簡単に手に入る時代です。でも、現地に行かないと感じられない風や匂いってある。町の生活とか、人の優しさとか。なるほど、こんな文化があるのか、こんな考え方があるのかという感動は、「知識」でなく「知見」として、人間の想像力を鍛えます。これが、新しい時代を切り開くのに必要な創造力を育む。若い人に、こういう経験を増やしたくて起業したんです。

──理想はかないましたか?
半分かなぁ。旅を身近にできた。その分、海外への憧れみたいなものは薄れましたね。昔は航空券が高くてね。だから陸路で安く移動する手段が必要で、カバンを担ぐバックパッカーが現れた。それが今はLCCがある。高額だから旅先から国際電話もできなかったのが、今はネットで毎日のように顔を見ながら通信できる。ただ、与えられすぎは良くないのかも。

──澤田さんも与えた一人では?
うーん、反省はしません。でも、寂しい。現代の人が「宇宙旅行」と聞けば憧れるでしょう。そんな憧れが、海外旅行にあり、若者が個人旅行に出かけたがったのは90年代半ばまでかな。豊かな生活が当たり前の世代は、安全に楽しく、手軽に旅することを好み、冒険的な旅への欲求も減ったように感じます。HISも最近はパック旅行が支えている。

──今後の旅はどう変わりますか?
個人が宿の貸し借りをする時代。ネットで消費者同士がつながって旅を作っていくから、旅行会社も変わらなきゃ。市場も変わる。日本は少子化で、海外へ出る人は減る。一方で、伸びるのが海外から日本を目指す人。タイやベトナムの支店は、日本人のサポートのために開いたが、今は現地の人が海外旅行する手伝いの割合が増えている。世界の旅人の、大航海時代がやってきますよ。
(聞き手・和気真也)

法務省の出入国管理統計と総務省の人口動態統計を基に、過去50年間の出国者数の推移を調べてみた。

東京五輪があった1964年、全人口に占める出国者の割合は0.17%にすぎなかった。それから年々増え、94年には10%を突破。以来、おおむね13%前後で推移している。

20代の出国者数は79年に100万人を超えた。だが、最近は減少傾向が続いており、ピーク時の96年に463万人だったのが、2013年は285万人と約4割減った。同じ期間の20代人口の減少割合が約3割だったことを考えれば、たしかに若者は海外旅行に出なくなったようだ。

一方、20代の出国者では、女性が占める割合が増え、いまや男性を圧倒する。82年に女性が初めて男性の数を超え、今世紀に入ってからはほぼ2倍にのぼっている。

東京に戻った。僕はふだん、主に渋谷方面の事件や事故、街の話題を担当している。帰国して最初の取材は、「高架下に取り残された子猫の救出劇」だった。

あなたにとって、旅とは。今回の旅では、20以上の国の50人ほどに、この質問を投げかけた。同じ答えは一つとしてなかった。

じゃあ僕にとって、旅とは。明確な答えが見つかるかと期待していたけれど、「旅に答えなんていらないのかもしれない」といまは思う。

旅の途中、実験的にブログを書いた(http://blog.livedoor.jp/asahigakushi)。ランキングを上げるために、一日に何度もブログを更新する旅人もいる。確かに上位にいくのはうれしかったが、「ブログを書くための旅」にはしたくなかった。

旅を終え、いま思う。また、旅に出たい。早朝のエスプレッソを、深夜のビールを、旅人たちと飲みたい。

(藤原学思)


取材にあたった記者

藤原学思(ふじわら・がくし)
1986年生まれ。東京社会部記者。10年前に初めてバックパックを背負い、欧州をめぐった。夏休みは青春18きっぷで国内旅行をしようかと思案中。

和気真也(わけ・しんや)
1979年生まれ。GLOBE記者。カオサン通りの安宿で、「イエスタデイとトゥモローの区別がつかない」まま世界一周の旅に出た学生に感服した。

小山謙太郎(こやま・けんたろう)
1974年生まれ。広州支局長などを経てGLOBE記者。ネパールは観光立国。取材の先々で「遊びに来てくれることが何よりの被災地支援」と言われた。


イラストレーション


Geoff McFetridge
(ジェフ・マクフェトリッジ)

1971年生まれ。ロサンゼルスを拠点に、グラフィックデザイン・イラスト・アニメーションなど幅広い作品を発表。パリやロンドン、日本でも個展を開いた。カナダ出身。