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メコンの恵みが人を育てる 新時代の経済圏

World Now
=和気真也撮影

恵みもたらすデルタ/ベトナム

ベトナム南部のホーチミンから南西に車で約4時間。メコンデルタ最大の都市カントーを1月下旬に訪ね、川を下るボートに乗った。

全長4425キロのメコン川は、中国山岳部からラオスの高原、カンボジアの平原へと流れ、南シナ海に注ぐ。下流でいくつもの支流に分かれる様子を、現地の人は「クーロン(九竜)」と呼ぶ。

九頭の竜はこの地域に、三つの恵みをもたらした。物流と観光、そして肥沃な穀倉地帯だ。

陸路で運ぶより川を使った方が安く、木材や日用品、野菜などを載せた大小の船が川を往来する。川の両岸には魚市場や倉庫が点在していた。

水運の利便性を生かした究極の形が水上マーケットだ。周辺にはメコンデルタで採れる多彩な果物や野菜を満載した船が漂う。その間を縫い、スーッと近づいてくるのは仕入れの船か。交渉の末、ラグビーボールをパスするようなしぐさで、リズム良く野菜が積み替えられた。

パイナップルを積んだ船が寄ってきた。一つ買うと、チャン・テイ・マン(32)が器用に包丁でさばき、棒付きアイスのようにして手渡してくれた。ほおばると、じゅわっと甘さが口に広がった。故郷の村で取れたものだという。

次の世代の可能性

チャンは10年以上前に船主のもとに嫁いで以来、船の上で暮らす。船は底が倉庫で、甲板との間に2畳ほどの居住スペースがある。小さなコンロが置かれ、壁には化粧鏡や洋服が掛かっていた。「台風のときは大変だけど、必要なものはたいてい川でそろう」と笑う。

甲板の上で子どもが3人、ご飯を食べていた。旧正月を前に、故郷の村で暮らす子どもと姪が遊びに来たという。

私が買ったパイナップルは一つ2万ドン(約100円)だったが、これは観光客価格。マーケットでの卸値はずっと安い。「観光客向けの販売はもうけが大きく、大事な収入源」と話す。

ボートに戻り、再び川を抜けていくと、川のほとりに精米所を見つけた。岸に船をつけると、小さな男の子が裸足で出迎えてくれた。倉庫に入ると、薄暗い中に袋詰めのコメが山積みになっていた。精米所の娘、ノク・フン(18)が留守番をしていた。

ベトナムは世界3位のコメ輸出国(2014年、米農務省統計)だ。ベトナム政府は1位を目指し、コメの品質改善と農作業の効率化を進めている。中心となるカントー大学は、先端的な農業研究で世界的に知られ、日本のヤンマーなども協力する。

ノクはカントー大学に通う学生だった。「いずれは、大学で学んでいるバイオ技術を生かした仕事につきたい」

メコンの恵みは、次の世代の可能性も育てている。

ダム開発で失われるもの/ラオス

日が昇ると、メコン川を覆っていたもやが消え、ゆったりとした流れが浮かび上がった。乾期の2月は1年の間でも気温が低く、早朝は10度を割り込むこともある。家々の庭で東向きに天日干しされている川のりは、日光を浴びて、かすかな湯気を立ちのぼらせていた。

世界遺産に登録されているラオス北部の古都ルアンプラバン一帯は、川のりの産地としても知られる。

「これは昨日、漁師から届いたのりです。今日は届きませんでした。明日は、わかりません」。長年、のりをすいて生計を立ててきたムアンカム村のブアカム(45)は、のりの採取量がここ数年で急減したことを心配する。

かつては目の前にあるメコン川の本流でたくさんのりが採れた。今は遠く支流まで探しにいかなければならない。仕方なくムアンカム村ではのりの採取をやめ、仲買人が持ち込むのりの加工だけをするようになった。だがその量も安定しない。

のりが採れなくなったのは、メコン川上流の中国領内にできたダムが原因とみられる。のりは、乾期にメコンの水位が下がって水が澄み、太陽光が川底に届くことで育つ。しかし、ダムからの放流で、育ちつつあるのりが流されてしまうようになったという。

ダムを造るのは中国だけではない。内陸山岳国であるラオスは、水力発電による売電で「東南アジアの電源」となることを目指している。すでに33カ所が稼働中で、今後5年間にさらに19のダムを造る計画だ。これ以外に、企業が名乗りを上げている計画が40近くある。

中でも環境への影響が心配されているのが、カンボジア国境に近いドンサホン・ダムだ。下流には世界屈指の淡水生物多様性を誇るトンレサップ湖があり、さらに南に下れば、アジアの米蔵であるベトナムのメコンデルタが広がる。

メコン川支流の開発は各国が自由に行えるが、本流の開発は原則、流域国間の合意が必要だ。ドンサホン・ダムは、本流二つ目のダムとなる。

カンボジアとベトナムは、調整機関である「メコン川委員会」で懸念を伝えたが、最終的には認めた。発展途上のメコン流域国は、それぞれが電源開発の計画を持つ。他国に「造るな」と言えば、自国の計画に跳ね返りかねない。

ドンサホン・ダムの建設地一帯は、多くの中州が現れてメコン川が幾筋もの分流をつくる「シーパンドン」(4000の島)と呼ばれる景勝地が広がる。ダム予定地のすぐ下流には、絶滅が危惧されるイラワジイルカの生息地もある。

長年この地域で活動してきた日本のNGOメコン・ウォッチ事務局長の木口由香は「メコン川はどこをとってもオンリーワンの生態系・生活圏なのに、ダム建設現場はどこも同じに見える」と言う。

NGO代表として環境問題に取り組んできたタイのプレームルディー・ダオルアンもこう指摘する。「開発は進むが、いつも地元の村人には正確な情報が与えられない。人々はある日突然、生活の糧を失って戸惑うのです」

日本ならではの支援を/チャルーンNGO事務局長

チャルーンNGO事務局長

メコン川流域の価値は、人と自然が調和して、漁業や食文化、宗教、世界観などを共有してきたことです。どこも魚醤を使うのは、メコンの恵みの代表的なものです。

現在、急ピッチで進む開発は、それに大きな変化を迫ります。地元住民に負担を強いる割に、村人たちが得る利益が少ない。犠牲への正当な補償がなされていないことが気になります。どの国も発展途上にあり、政府は早く開発の果実にありつきたがる。インフラ整備後に出る経済効果の前に、インフラ建設で儲けられればいいという考え方です。中国が台頭し、こうした傾向に拍車をかけているのは間違いありません。

この地域が成長センターとして注目を浴びるのは、巨大プロジェクトを次々と受け入れるからです。ただここで、「メコン流域国は民主的な政治体制を備えていない」ことを忘れてはなりません。環境影響評価や土地収用に伴う補償はずさんです。住民参加のシステムもありません。だからプロジェクトが進むのです。

日本の巨大インフラは、住民合意がなければ何十年かかっても造ることができませんよね。日本でできないものは、ラオスでもカンボジアでもできないはずです。中国との競争もあるでしょうが、日本は日本の規範をもとに、この地域に関わってほしいと思います。

線から面へ、メコン新時代

=和気真也撮影

川は「結ぶ」ものなのか、「隔てる」ものなのか。

チベット高原を源流とするメコン川は、中国とインドシナ5カ国を流れ下って南シナ海に注ぐ。とうとうたる流れ、早瀬、瀑布、岩礁……右に左に進路を変えながら、多様な顔を見せる川だ。

近年、「メコン圏」という言葉がよく使われる。この地域の経済的な潜在性に着目した地理概念だ。しかし歴史を見ると、一体性がずっと保たれてきたわけではない。

中国、インドの2大文明に挟まれた東南アジアは、両文明の中間地帯として発展した。9?15世紀に栄華を誇ったクメール王朝期や、各地の王国が興亡を繰り返した時代、メコン両岸の人びとは自由に行き来して、同一の生活圏を持っていた。

それが変化したのは、19世紀の英仏による植民地化の時代だ。この時期に人為的な境界線が引かれた。大戦後、独立闘争に東西冷戦構造が重なってインドシナは戦火に覆われた。そしてベトナム、カンボジア、ラオスは社会主義体制を選択し、西側陣営に残ったタイは「反共のとりで」の一角を担った。

「インドシナを戦場から市場へ」(1988年)。メコン地域をより大きく一体的にとらえ直す思考は、この有名なフレーズあたりから芽生えた。さらなる具体性を帯びるのは、ベトナム、ラオス、ミャンマー、そしてカンボジアがASEANに加盟する90年代後半以降だ。

メコンに橋を架け、道路と鉄道をつないで人とモノの往来を自由にしていくという「線」から「面」への展開は、昨年末に発足したASEAN経済共同体(AEC)で拍車がかかる。

日本は新しいサプライチェーンとして、また消費の市場として、東西につながれたメコン地域に熱い視線を送る。一方、中国は「戦略的な裏庭」(タイ・チュラロンコン大学安全保障国際問題研究所長のティティナン)として、南北につなぐメコン地域を眺めているのだろう。

ただ足元を見ると、中国を含む流域6カ国は人口、経済発展段階、政治体制、言語、一つとして同水準のものがない。よく言えば多様であり、悪く言えば格差だらけである。

そのメコン地域で国境の壁が消えてゆけば、そこに現れるのは優勝劣敗の空間だ。環境や地方の人びとの伝統的な生活も、メコン圏という大きな絵の中では相対的に軽視されがちだ。流域各国がバランスよく発展するためには、情報公開でプロジェクトの透明性を確保することから始めるしかないだろう。

新時代を迎えたメコン地域。「隔てる」から「結ぶ」の流れが決定的になった今、流域国のあらゆる利害関係者の声を吸い上げる仕組みづくりも、待ったなしだ。

(大野良祐、和気真也)