──その義手はとてもスムーズに動きますね
英国タッチバイオニクス社の「i-limb」(日本未発売)だ。500万円以上する製品で、ドイツでは保険適用になるが、そうでなければとても支払えない。
──ほかの義手も持っているのですか
オットーボック社の筋電義手もあるが、スポーツの時しか使わない。装飾用義手もあるが、何か自分が隠さないといけない感覚に陥る。それはおかしい。隠すことで同情もされたくない。
──i-limbの筋電義手で生活が変わりましたか
気づいた人が「かっこいい、見せて」と言ってくるようになった。機能的効果に加えて、ハンディキャップを感じなくなるという心理的効果があった。自分の障害を、自分にしかない個性ととらえるようになった。障害は欠陥ではなく、社会が要求することと、その人が出来ることがマッチしないだけのことだ。
──義肢装具の進化で人間の身体機能が広がりました。教授は倫理面の問題を指摘していますね
これまでの義肢装具は、失った身体機能を回復するツールだった。だが、技術革新はめざましく、数十年もすれば技術はさらに発達し、生まれつきの身体能力を超える機能が身につくことも可能になるだろう。つまり、「生身の人間よりも義肢のほうが高機能になる」という倫理的な問題が生じうる。自分の手足以上の機能が欲しいから、手足を切って最先端の義肢装具をつけて欲しいという人が現れるのではないか。
──生まれつき障害がある我々にとって、そんな行為は考えたくもありません
だが、こうした問いかけにいまの人間社会は回答を出せていない。そうした行為が許されるのかどうかを考えなければならない場面が、そう遠くない将来に現実になるのではないか。
失った手足の治療行為を経ても健常者を超えられるわけじゃないし、これまでの義肢装具の考え方も身体機能の「拡張」ではなかった。だが、ハイテク義肢装具の普及で身体機能の高機能化が進めば、多くの人には当たり前の行為が「普通」以下の行為になる。すると、そのことが「障害」になる。これは問題だ。
──ハイテクが進むと、義肢装具をハッキングされて身体を操作される恐れはありませんか
私の「i-limb」は6個のモーターを搭載し、無線通信「ブルートゥース」が組み込まれているので、筋電で動かすのに加えてiPadから遠隔操作もできる。パスワードや製品番号がわかれば、他者が乗っ取って遠隔操作する「ハッキング」も理論的には可能だ。とはいえ、番号は教えないし、それこそ義手を外してしまえば何ら問題ない。心配はしていない。
義肢は紀元前からつくられ、中世ヨーロッパでは、ゲーテの戯曲のモデルになった騎士が義手を身につけていたという。技術革新とともに様々な義肢装具を世界に供給してきたのが、ドイツに本社があるオットーボック社だ。
ドイツも参戦した第1次大戦後の1919年に創業。傷ついた多数の兵士に対処するため、義肢をいくつかのパーツに分けて大量生産する手法を取った。
第2次大戦後の60年代に、筋電義手と骨格構造の義足システムを発表した。特に筋電義手は、手の動きの中でも重要な親指と人さし指、中指で「ものをつまむ」動作に重点を置く。さらに、バッテリーが小型になるにつれて実用化も進んだ。アジア・パシフィック地域を担当するラルフ・ストゥッシュ(52)によると、この地域での義肢装具の売り上げ(車いすも含む)は年間約8千万ユーロ。うち中国が約2千万ユーロで、次いでオーストラリアが約1500万ユーロ。日本は1200万ユーロで続く。
ドイツでは日本と違って、本人の負担なく義肢装具を購入できるのが普通だ。大前提となる「社会法典」に、「障害者は健常者と同様の能力を身につけることが権利として確立されている」と定められているからだ。高価な筋電義手の支給をめぐって保険会社と訴訟になるケースもあったが、「法典」にのっとって「最新の技術で最善の給付をすること」とする判例が積み重ねられている。
誰もが障害者になりうるのだから
義足システムも進化を遂げている。オットーボック社は97年、歩行の全てをコンピューター制御する世界初の義足「C-Leg」を発売。2013年には、路面状況の判断速度が人間とほぼ同等でシリンダーを制御し、ひざ関節を動かす義足「Genium」を発売した。
ドイツの医療保険大手「AOK」の医薬・補助材部長ベルント・フェアマン(54)は「重要なのは『健常者と同じになる権利』という考え方。義肢に技術的進歩があれば、その最新技術を給付しなければならない」と説明する。
こうした社会法典の概念について、ドイツ社会政策協会連邦法制部長のイェルク・ウンガラー(53)は「公的保険の掛け金を支払う人は、誰もが障害者になり得るという意識がある」と説明する。
米国の軍事研究機関が、義手研究の最前線の一角を担っている。
巨大な展示会場には、宇宙空間で使うロボットアームや、深海の探索システム、超高解像度カメラなど最先端の技術がひしめいていた。米国防総省に属する国防高等研究計画局(DARPA、ダーパ)が9月9日からセントルイスで開いた「未来技術フォーラム」。国防長官のアシュトン・カーターが冒頭にあいさつし、全米の大学や民間研究機関などから研究者ら約1400人が集まった。
その一画に、最新の義手も展示されていた。1台あたり数十万ドル(数千万円)かけてジョンズ・ホプキンス大学応用物理学研究所(APL)が開発した。
DARPAは2006年、「義肢を革新する」プロジェクトを立ち上げた。アフガニスタンやイラクで手足を失った兵士に提供するのが主な目的だとしている。「義足に比べて義手の技術は遅れていた。原始的なフックのような形が一般的だった」とDARPAの担当マネジャー、ジャスティン・サンチェスは説明する。
「人の手と同じ形で、同じ動きを再現できる義手の開発を」とDARPAから依頼されたAPLは、小型化したモーター計17個を指や手のひら、手首やひじの部分に組み込むことで、細かな動きを表現できる独自の義手をつくりだした。
「この義手が何よりすごいのは、意思の力で動きをコントロールできることだ」とAPLのチーフ・エンジニア、マイク・マクローリンは言う。電極を肩や上腕部の皮膚にあてるだけではなく、脳に埋め込んで、手を動かそうとするときに流れる電気信号を読み取り、義手を動かす。これまでに約20人が「意思の力で義手を動かす」ことに成功したという。
「手の動かし方を覚えていた」
実際に、実験に協力した女性を、米北東部のピッツバーグに訪ねた。
ジャン・シャーマン(55)。36歳のときに四肢がまひして、脊髄(せきずい)小脳変性症と診断された。
彼女は12年、APLから義手の提供を受けたピッツバーグ大学で手術を受け、頭に二つの電極を埋め込んだ。電極には計96本の針がついていて、大脳皮質の運動野から出る電気信号を読み取る。ケーブルを通じてコンピューターから信号が送られ、義手は動く。シャーマンは義手でチョコレートをつかんで口元に運び、食べることもできた。
「義手を動かすときに、右、右と強く念じなければいけないのかと思ったら、そんな必要はなかった。私の脳は手の動かし方を覚えていた。目の前の物をつかもうとするだけで、ごく自然に、直感的に動かすことができた」とシャーマン。
脳に電極を埋め込んだ彼女は、義手だけではなく、フライトシミュレーターで戦闘機F-35を「操縦」することにも成功した。義手の手のひらを前後左右に傾けるのと同じ要領で、画面の中の戦闘機を前後、左右に傾けた。「シミュレーターの中でエッフェル塔の横を抜けてピラミッドの間も飛んだのよ。素晴らしい経験だった」とうれしそうに振り返る。感染症の危険を避けるため、電極はすでに取り除いた。
「触覚」を備えた義手
DARPAが次に目指すのは、義手に「触覚」を与える試みだ。義手にセンサーをつけて圧力や温度を読み取り、その情報を電気信号に置き換えて人間の脳にフィードバックさせる。DARPAは未来技術フォーラム最終日の9月11日、脳に電極をつけた28歳の男性が、目隠しをした状態で、義手のどの指を触られているかを「ほぼ100%正確に言い当てることに成功した」と発表した。今年から5年間の予定で米国内の大学に委託し、さらに研究を続ける予定だ。
義手開発で磨いた技術は、軍事利用も可能なのか。DARPA局長のアラティ・プラバカーは、言葉を選びながらこう語った。「脳の信号を解読することで何が可能になるのか。私たちの研究は入り口に立ったばかりだ。どんな方向へ研究を進めることが、より建設的な結果につながるのか、慎重に考えなければならない」
人間の身体能力を増強する「パワードスーツ」は、戦場での活用も視野に入っている。
米国防高等研究計画局(DARPA)は2011年から、ハーバード大学などに委託して「ウォーリアー・ウェブ」を開発中だ。かかとと太ももの裏側にワイヤを取り付けてモーターで動かし、歩くときのエネルギー消費を10~15%減らす装置だ。「兵士たちは50キロを超える荷物を持って72時間行動することもある。けがを予防するためにも負担の軽減が必要だ」とDARPAの担当マネジャー、クリス・オーロスキーは言う。戦闘服の下に装着するための改良も進む。
日本の防衛省も今年度、「高機動パワードスーツ」の開発のための予算9億円を初めて盛り込んだ。4年間かけて研究し、18年度に試作品の完成を目指す。戦場で重い装備を持ったまま素早く動いたり、災害時に人命救助で活用したりすることを想定。同省の広報担当者は「御嶽山の噴火でも、重い装備を持ったまま救助した人たちを運ぶ必要があった。人間の力だけでなく機械の力も活用できればいい」と意義を強調する。今のところ、研究に着手したばかりで「情報収集の段階」だという。
義手や義足など、人間と機械を結びつける技術の発展は、どこに向かうのか。松田純・静岡大特任教授(生命倫理学)に聞いた──。
技術の発展は、人間と機械の境界をぼかし始めている。「サイボーグ」とは「人間と機械の融合体」のことだが、サイボーグは人間の自然の姿に反するのではないか、と違和感を感じる人がいるかもしれない。だが、私たちはとっくに自然を超えている。メガネやコンタクトレンズがなければ生活に困る人もいる。パソコンがなければ自分の日程が分からないという人もいる。パソコンやスマートフォンは、体内に埋め込んでいないだけで、頭脳と記憶の外部化だ。私たちはすでにみんなサイボーグだと言っていい。問われるべきは、人間がどうなるべきか、というよりも、どういう社会を目指したいのか、だ。
お金のある人だけが最新の技術を利用できるとすれば、技術の高度化が社会的な格差を固定しかねない。超人的なサイボーグ技術ばかりを追求することで、社会の連帯が失われてしまう恐れがある。
人類はこれまで、病気や障害のある人たちを社会全体で支えてきた。技術の発展と助け合いの文化が両立する道を探る必要がある。そのためには、スーパーヒューマン(人間を超える存在)を目指すための技術ではなく、弱い立場にある人たちを支援するための技術の開発を目指していくことが重要ではないか。
装飾用義手を毎朝右前腕につけて家を出る生活に慣れきっていた私にとって、今回の取材は驚きの連続だった。
技術革新のおかげで、筋電義手を自分で作ることができた。まだまだ使いこなせないし、万事がうまくまわるわけでもないけれど、「あったらいいな」というツールが目の前にぽんと現れたような、なんとも不思議な気持ちになった。ドイツでは最新鋭の義肢を見て、「手足を動かす」ことへ強い希望を抱く人々に話を聞きながら、自分も奮い立たされる思いだった。
その一方で、帰国前夜のホテルではっと思った。「自分は素手の状態で、どこまで何ができるのだろう」
そんな思いを抱いて、帰路は使い慣れた装飾用義手をスーツケースにしまい、ホテルから日本の自宅に電車でたどりつくまで、ずっと素手で帰ってみることにした。周囲の反応が怖かったが、飛行機の客室乗務員が、開けにくそうにしていたナイフやフォークの入った袋を「開けましょうか?」と言ってくれただけで、あとは何も言われなかった。いままで、気にしすぎていたのかもしれない。
筋電義手の可能性など、いろんな選択肢に気づかされた取材だったが、執筆を終えたいま、大きな発見は、義肢装具をつけない選択肢も案外いいなあ、ということだった。