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アフリカの開発は自分たちの手で 市民社会と民間セクターの影響力が増す「静かな革命」

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アフリカの国々が自らの手で紛争解決や経済発展に取り組もうと、アフリカ連合(AU)は2001年、「アフリカ開発のための新パートナーシップ」(NEPAD)を創設した。アフリカがこれまでどのような発展の道をたどり、いまアフリカ主体の開発はどような成果を生み出しているのか。NEPADのトップで元ニジェール首相のイブラヒム・マヤキ計画調整庁長官に聞いた。(聞き手・国際報道部 中野寛)

中野:アフリカの国々が次々に独立を果たした1960年代から、約半世紀が経ちます。アフリカは、どのような発展の道を辿ってきましたか。

マヤキ氏:1600年代に始まる植民地の時代、ヨーロッパの宗主国は、アフリカの資源を自分たちの利益のために搾取してきました。国境も、(民族の分布などの)現実に構わず定められました。アフリカの国々は独立を手にした時、国境をめぐる争いを避けるため、その人工的な国境を受け入れるしかありませんでした。統治機構は人々を搾取する仕組みのものだったため、変革が必要でした。

1990年代初頭まで続いた冷戦下では、東西の両陣営がアフリカの独裁者たちを利用し、影響力を広げようとしましたが、西側は民主主義を広げようとしませんでした。(80年代後半から)世界銀行と国際通貨基金(IMF)は借款を供与する見返りに経済安定化と市場自由化を柱とする「構造調整プログラム」を求めましたが、使い切れないほど貸し付けた金には、腐敗した政治リーダーたちが群がりました。90年代半ばには、アフリカには(統治機構も経済も)脆弱な国々ができあがってしまったのです。

中野:そういった状況から抜け出そうというアフリカ諸国の努力はなかったのですか。

マヤキ氏:90年代の末から、アフリカは「自分たちのことは、自分たちでやろう」というオーナーシップを意識し始めました。2000年に始まったNEPADでは、そういったコンセプトのもとにプログラムが作られたのです。発展に向けた明確な戦略フレームワーク、腐敗の撲滅、地域統合が大きな柱です。

中野:2000年代に入り、変化はありますか。

マヤキ氏:2000年から現在まで、実はアフリカは素晴らしく発展してきました。原料価格の上昇によるものだとの指摘がありますが、ルワンダやタンザニア、ブルキナファソなど資源国ではない国々も成長しています。もちろん資源と結びついた部分もあったでしょうが、経済の「多様化」とリンクした成長だったのです。深刻な不平等は依然として存在していますが、確かな前進もあったのです。アフリカにある道路や鉄道は、原材料を(宗主国向けに)輸出し、利益を吸い取るためデザイン・建設されたものでしたが、現在、アフリカ内での貿易のためのインフラのプロジェクトも着々と進めています。

中野:今後の開発の課題は何でしょうか。

マヤキ氏:まず、農業の改革が必要です。農業生産性の低さや、加工産業をアフリカ外に奪われていることなどから、アフリカはいまだに食料を輸入しているのです。今後の世界全体を考えた時にも、アフリカの農業が果たす役割はとても大きい。国連の予測では、2050年には世界の人口は100億人に近づきます。100億人が40年間生きるためには、人類が過去4000年の間に生産した分と同じだけの食料が必要になると言われているのです。世界の耕地の約60%をアフリカが占めていることを考えると、農業改革はアフリカのみならず、世界にとって非常に重要な課題なのです。

アフリカ内での貿易を促進するためのインフラ整備も求められます。開発に携わるアクターは、大きく三つ存在します。政府、市民社会、そして民間セクターです。数十年前の状況と大きく違っているのは、政府の力が弱まる一方で、市民社会と民間セクターがどんどん強くなっていることです。私はこれを「静かな革命」と呼んでいます。

アフリカではインフォーマル・エコノミーが大半で、個人個人が、それぞれビジネスをしていました。最近は、あらゆるビジネスの分野で中小企業の集積も生まれており、フォーマル・エコノミーへと移行させていく必要があります。政府は市民社会や民間セクターにインセンティブと戦略的なフレームワークを提供する役割に徹するべきだと考えています。

中野:経済格差や貧困、失業率の高さなど、政府が取り組むべき課題もあるのではないでしょうか。

マヤキ氏:もちろん、そのような課題に取り組むことは政府の役割です。健康や教育、治安などの社会的サービスもそうでしょう。ただ、たとえ民間セクターがそういった分野に参入したとしても、政府の責任で担保すべき話です。私が強調したいのは、以前のように政府が民間セクターに介入するのをやめて、民間セクターが成長するような環境を作るべきだということです。

中野:各国のリーダーもそのような考えを持っていますか。

マヤキ氏:長期政権を敷いてきた政治リーダーたちは今後の十数年で、その地位から退かざるを得ない年齢になり、9割のトップが変わるのではないでしょうか。新しいリーダーたちは、(民間セクターと市民社会がリードする)社会のダイナミズムを(政治に)反映するでしょう。NEPADも、アフリカの開発に包括的な戦略を提供するのが使命です。AUを支え、農業やインフラなど様々な課題に、地域レベル、国家レベルで具体的なプロジェクトを実施できるような戦略を考えています。

中野:日本は変わり始めたアフリカと何ができるでしょうか。

マヤキ氏:ビジネスのパートナーになることができます。「アフリカ開発会議」(TICAD)は、アフリカの開発の状況に合わせて変わってきました。昨年の「TICAD VI」では、安倍首相が300人以上のビジネスリーダーたちを伴ってケニアのナイロビに来てくれましたね。これも、「変化」を反映したものだと考えています。

中野:しかし、アフリカとビジネスをしようという動きは、日本ではまだまだ少ないようです。

マヤキ氏:日本企業の多くは「アフリカでのビジネスは困難が多い」と言うかもしれませんが、共産主義の中国とビジネスを始めようとした時を思い出してください。恐らく、たくさんの困難があったでしょう。中国よりもアフリカの方が大変だ、ということはないと思いますよ。TICADは、ビジネスマンたちが継続的にコミュニケーションできるプラットフォームも作りあげました。信頼関係は、少しずつ増してきていると感じます。日本のビジネスマンがアフリカに目を向け、パートナーシップを結ぶきっかけになってほしいと考えています。

中野:日本企業をもっと呼び込むため、アフリカ側は何が求められていますか。

マヤキ氏:まず、明確で安定した法制度の整備です。朝令暮改の法制度は信頼を得られず、投資も遠のくでしょう。セネガルやコートジボワール、ボツワナなど、多くの国で法的な枠組みの整備に改善が見られています。そのためにも安定したガバナンスは非常に重要です。

進出してきた企業が人材を見つけられるよう、人的資源の充実も必要です。日本企業にマッチし、さらには地元の企業とも結びつくセクターのプロジェクト選定も大事になるでしょう。

中野:今日では、旧宗主国のみならず、中国をはじめたくさんの国・企業がアフリカに関わっています。その中で、アフリカ側が日本に見いだすメリットは何ですか。

マヤキ氏:まず、仕事の質の高さが揚げられます。例えば、日本の作ったインフラのクオリティの高さは驚くべきものです。また、技術の移転にも大きな期待を寄せています。日本の技術を学ぶことができれば、地元企業は強くなり、安定します。アジアで日本がやってきたことを、アフリカでも実践して頂きたいです。

今、アフリカ全体で中産階級は約30%ですが、この層は今後大きくなっていきます。そして、人口の75%以上が25歳以下という高い生産性を持つ人口を兼ね備えています。アフリカは、もう「誰かが発展させてくれる」のを待っていません。ODAも減っていますし、それに依存する国も多くありません。30年前とは、状況が大きく違うのです。日本にも、我々の戦略を理解して頂き、良きパートナーとして歩んで頂きたい。それができる時代が、やっと来たのです。