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金融界を支配していたのは「欲」ではなく「恐れ」

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トランプ大統領の登場、欧州で吹き荒れるポピュリズムの嵐。世界を揺るがす出来事の「予兆」だったといえるのが、2008年のリーマン・ショックだ。「1930年以来最悪の金融危機」はなぜ起きたのか? 悪いのは金融業界で働く人たちなのか? オランダ人ジャーナリストのヨリス・ライエンダイク氏は、英国の金融街シティーで働く約200人の男女を2年にわたって取材し、英ガーディアン紙のウェブサイト上に同時並行で連載。見えてきたのは、雇用の保障もない中で人々を短期的利益の追求に向かわせる「システム」の問題だった。連載をもとに『なぜ僕たちは金融街の人々を嫌うのか』(英治出版)を著したライエンダイク氏に聞いた。(構成・GLOBE副編集長 後藤絵里)

後藤:なぜ金融街の人々を取材しようと思ったのですか?

ライエンダイク氏:きっかけは、知り合いのガーディアンの編集長に「金融について書いてみないか」と言われたこと。そこで、軽い気持ちで取材を始めた。

取材の過程で、金融機関に勤めるオランダの友人がこんな話をしてくれた。「リーマン・ショックが起きた時、本気で世界が終わると思った。家に電話して、妻に『買えるだけの備蓄食料を買って、子どもと一緒にしばらく田舎に避難しろ』と言った」と。彼らにはことの重大さがわかっていたんだ。それを聞いて、「金融の世界は難しくてわからない」と言っている場合じゃないと思った。金融の世界で起きていることが僕らに与える影響は、知らずに済ますには大きすぎる。

後藤:「難しくてわからない」金融の世界を描いているのに、難しい金融用語はほとんど出てこないですね。

ライエンダイク:自分のように金融の門外漢である一般の人たちに、金融の世界について知ってほしかったから、いかに専門用語を使わずに説明するかに心を砕いた。「zero job security (解雇されない保障がない状態)は問題ばかりだ」というよりも、「ある日、昼食から戻ったら隣の同僚がいなくなっていた」のほうが、「zero job security」の意味を端的に表すだろう。そうやって、一人一人の話をじっくり聞いたうえで、専門用語をあまり使わずに、エピソードをわかりやすく伝えるやり方をとった。

ただ、この方法は問題の全体像をとらえるのに時間がかかる。1人や2人が同じ話をしても、それは偶然かもしれない。でも何人かが話すことがほぼ同じだったとき、「ああ、これは重要な話だな」と気づく。取材と連載に2年かかり、本にまとめ直すのに、さらに同じぐらいの時間がかかった。

後藤:取材プロセスを公開し、取材先を募りながらリアルタイムで連載を続ける手法はユニークですね。情報提供や記事へのコメントの呼びかけにソーシャルネットワークも使いました。他のジャーナリストがこぞってまねをしたのでは?

ライエンダイク氏:金融業界の人たちはジャーナリストに警戒心を抱いている。当時、メディアは彼らを「悪の権化」みたいに叩いていたからね。表から取材を申し込んでも深層には触れられない。だから、個人情報は厳守します、匿名でいいので話を聞かせてくださいと呼びかけた。最初はなんの反応もなかった。つてを頼り、苦労して数人に話を聞いて記事にすると、「私も同じ経験をした」「私の場合はこうだ」と情報が寄せられるようになり、次の取材につながっていった。

意外なことに、まねをする人はあまりいなかった。ふつうジャーナリストは読者に見えないところで必死に取材し、満を持して記事を発表する。「これだけ多くを知ってるんだぞ!」という感じでね。僕のようにリサーチの過程から公開して、「だれか教えてください」と呼びかけるのは、一般的なジャーナリストには抵抗があるんじゃないかな。


後藤:2年間の取材で見えてきたことはどんなことでしたか?

ライエンダイク氏:シティーで当たり前だと思われていることの多くが驚きだった。もっとも衝撃を受けたのは、雇用の不安定さだ。トイレに立ったと思っていた隣の席の同僚がそれっきり帰ってこない。人事部に呼ばれて解雇されたと後で知る。みな、次は自分かもしれないと脅えながら、職場では何事もなかったかのように淡々と業務をこなす――。そんなことが日常茶飯事だったシティーで働く人たちを支配しているのは、よく言われる人間の「欲」ではなく、少なくとも英米の金融界では「恐れ」だと思う。

後藤:恐れ、ですか。

ライエンダイク氏:そう、業界を覆う「恐怖の文化」だ。明日、あるいは今日、トイレ休憩と同じくらいの気軽さで解雇されるかもしれない。だれもが取り換え可能なコマだ。一方で高リスク・高リターンの商品を作って業績を伸ばせば破格のボーナスがもらえる。そんな商慣行は働く人の行動や心理を変える。社会的責任よりも、目先の業績向上を最優先で考えるようになる。

取材した人たちの中には、「法律で禁じられていない限り、何をしてもいい」と公言する人もいた。リーマン・ショックの原因となったCDO(債務担保証券)やCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)といった複雑な金融商品は、それが過去にない「イノベーション」だったために、規制するルールも法律も存在しなかった。金融危機の引き金を引いたのはそうした複雑な高リスク商品だったわけだけど、それを考え出した金融機関は「大きすぎて潰せない」として税金で救われた。

後藤:金融危機を引き起こしたものは何だったのでしょう。

ライエンダイク氏:CDOやCDSといった商品の複雑な仕組みを聞くと、専門外の人たちは一様に、金融危機の背後には素人には理解しがたい複雑な事情があると思ってしまう。だけど問題の本質は、「バブル」を生み出す金融業界のシステムそのものだ。リスクをとっても責任を負わなくて済むから、バンカーたちは法を犯さない範囲で短期的利益を追い求めるようになる。

そんな業界カルチャーにテクノロジーの進歩やグローバル化が重なり、金融業界は膨らみ続け、商品は複雑になりすぎた。何が起きているのか、中にいる人間にさえ正確には理解できなくなってしまったんだ。

後藤:そのシステムを生み出したものは?

ライエンダイク氏:市場に任せておけば安心だ、市場がすべて解決するといった市場信仰だろう。1980年代に米国のレーガン政権や英国のサッチャー政権がとった考え方で、規制は少なければ少ないほどいいとされた。その後、市場は国境を越えて拡大し、金融機関も巨大化していったが、そうした状況にあわせたルールづくりは脇に置かれた。

後藤:金融危機は資本主義が行き着く先の姿だったのでしょうか。

ライエンダイク氏:それはどうだろうか。本来の資本主義では、成功する会社もあれば、失敗する会社もある。失敗した会社は市場のルールに従って退場しなければならない。ところが、前回の金融危機では「大きすぎて潰せない」という論理で主要なプレーヤーはみな生き残った。ぼくは資本主義の心臓部に斬り込む意気込みで取材を始めたんだけれど、心臓部に行き着いたと思ったら、そこには誰もいなかった。資本主義の核心部分を確認できなかったんだ。

後藤:本の序章で「取材の後に抱いたイメージ」として、飛行機の乗客が、片翼のエンジンからばかでかい火が噴き出すのを偶然見つけ、客室乗務員やチーフパーサーが止めるのを振り切ってコックピットを開けると、そこにはだれもいなかったという光景を描いています。

ライエンダイク氏:そう、空っぽのコックピットだ。実際、いまも飛行機は危険な状態のまま飛び続けている。乗客の一部は不安を感じているのだけれど、大多数は客席で飲み物のサービスを受けている。「量的緩和」や「アベノミクス」といった美味しそうな飲み物をね。

後藤:それは金融業界だけの状況なのでしょうか。いまも続いている?

ライエンダイク氏:僕の本はこれまでに20カ国で翻訳され、講演のためにいろいろな国を訪れたけれど、行く先々で聞くのは、「自分が働く会社は銀行ではないが、経営陣は似たような考えをする」という声だ。市場ルールにすべてを委ねたり、株主利益の最大化を企業の目標としたりする考え方は、英米以外の国々や、金融以外の業界にも広がっていると感じた。


後藤:本を通して伝えたかったことは何ですか。

ライエンダイク氏こんなシステムは長くは続かない。ぼくはジャーナリストとして実態を伝えた。ここからは各国の政治家たちに、どうすれば持続可能な社会を実現できるのかを考えてほしい。ただ、追及すべきは「システム」で、そこで働く人々ではないということも忘れないでほしい。取材に応じてくれたバンカーたちは、それぞれの思いを持って、仕事を失うリスクを冒して話をしてくれた。彼らの話に耳を傾け、何が起きていたかを知ることが、業界の外にいるぼくらにできることだ。