池尾和人・慶応大教授は、副作用が想定される異次元緩和をやめて、ゼロ金利政策に戻すように主張する。反対する背景には、2020年代後半に深刻化する日本の財政状況への懸念があるようだ。
「君子」黒田総裁の豹変を期待する
―黒田総裁が続投する見通しです。続投をどう評価していますか?
「黒田さんは君子だと思うので、豹変してほしい。過去からの経緯にこだわるのではなく、金融政策の限界をさっさと認めて、これまでやってきたことを責任をもって手仕舞うことに専念すれば、十分に評価できることになる」
―次の5年間はどのような政策が求められるのでしょうか。
「今の大規模な金融緩和策を終わらせてゼロ金利政策に戻すことだ。(金融緩和の局面で)金融政策にできる最大限はゼロ金利政策だからだ。しかし、いきなりゼロ金利政策に撤退するのは難しい。市場に与える影響を考えて、段階を踏んでやらざるを得ない。金融市場に混乱を与えないようにするには金融調節の実務的なノウハウがかなりある人が(副総裁などの立場で)しっかりと支える必要がある」
量的緩和策の効果は乏しい
―黒田総裁のこれまでの約5年間の金融政策をどう評価していますか。
「私は異次元緩和策には反対だ。(金融緩和の局面での)金融政策は、政策金利をゼロまで引き下げたところが限界で、それに上乗せして量的緩和などをしても追加の効果は乏しい。想定される副作用と比較すると、やる意義はあまりないのではないか」
「ただ、民主主義は経験からしか学べないところもある。残念ながら、経済学者がいくら論理的に主張をしても、『大胆な金融緩和をすれば(日本経済の)問題が解決する』という主張が根拠のないものだということはわかってもらえない。その意味で、一度は異次元緩和をやらざるを得なかったと考えている。政策とは政(まつりごと)の策なので、経済学的に正しくても政治過程で採用されないと実施されないし、経済学的におかしな政策でも政治過程で採用されて実施されることもある。だから、経済学的に正しくないことを政策として実施したことだけで批判することはできない。異次元緩和は、私が思っていた通りの乏しい成果しか出ていないが、やってみたこと自体はやむを得ないことだった。しかし、成果を上げなかったことについて、日銀はしっかり総括すべきだと思う」
―日銀は16年9月公表の総括検証で、2%の物価目標を達成できていない理由を消費税の引き上げや原油安と分析しています。
「総括的検証は、基本的にそれまでの政策は正しかったという前提になっている。2年で2%の物価目標は達成できていないのに、原因を政策外の要因に帰して、異次元緩和は間違っていないと日銀や黒田総裁が言い続けている点については、正直に言って失望している。かつても政策外の要因が逆風として作用していたのであって、にもかかわらず、そのときには金融緩和が不十分だと非難していたのではなかったのか」
ゼロ金利政策に戻れ
―金融政策を正常化させる「出口」は、いつごろ議論するべきでしょうか。
「それは『出口』の定義による。異次元緩和からゼロ金利政策へと撤収すべきだと思うが、ゼロ金利政策の継続も、決してノーマルな金融政策とは言えない。国債の買い入れ額は、日銀が公表している『年80兆円めど』から年40兆円を切るところまで実績は減っていて、出口に向かいつつあるともいえる。しかし、真の出口はまだ見えていない状況だ」
―デフレ下では財政再建や構造改革はできないので、まずは2%の物価上昇率の達成を目指すべきだという意見もあります。
「経済が非常に落ち込んでいる状況のもとで財政再建が難しいというのは、その通りだ。しかし、今は経済が非常に落ち込んでいる状況ではないと思う。潜在成長率を上回る成長を遂げ、失業率は2%台と完全雇用に近い状態は、普通に考えれば『景気が悪い状態』とか『経済が極端に落ち込んでいる状態』とは言えない。いまがダメなら、どういう状態になれば財政再建に踏み込めるのか、疑問が生じる」
政府の財政状況は2020年代以降深刻に
―2%の物価目標達成に向けて、一部には、積極的な財政出動を求める声もあります。
「あしもとでは、家計と企業を合わせた民間貯蓄で政府の財政赤字をファイナンス(調達)できる状況が続いている。この状況が維持されている限りは、(財政破綻など)危機的な状況はすぐには起きないと思う。国債が暴落して利回りが上がれば、国債を買いたいと思っている人はたくさんいる。破滅的なことが急に起こるとは思わない」
「問題が深刻化したり、顕在化したりすることが起こるとすれば、2020年代以降だろう。団塊の世代の全員が25年には後期高齢者になる。いまの社会保障制度や財政の枠組みのままでは、財政赤字が拡大することは必至だ。20年代後半には、国内の貯蓄で財政赤字をまかないきれなくなる可能性もある」
「あしもとに余裕がある間に、20年代以降に向けて備える必要がある。20年を迎える時点で基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化ができていないというのは、真に危機を迎える20年代後半に無防備なまま向かうことを意味している」
―政府の保有する資産を差し引けば、政府の負債はそれほど大きくないとする主張もあります。
「国の資産は色々あるが、実物資産の大半は、国道や自衛隊の装備など、売り払えないものだ。また、金融資産でも返済にあてられないものはある。もちろん実物資産の中にも売り払えるものも若干はあり、厳密に算出するのは難しいけれども、政府の資産のうち償還財源にあてられるものは多くないというのが、常識だと思う。国有資産のほとんどは、国民生活に不可欠なもので、償還財源には使えない」
―デフレ下で、政府と日銀の関係はどのようにあるべきだと思いますか。
「デフレ脱却の局面では、政府と中央銀行は最大限協力するべきだろう。利益相反が起きやすいのはインフレ局面だ。中央銀行は、財政当局や政府に反対されても抗すべきで、インフレ局面では中央銀行の独立性は重要になる」
「1998年施行の改正日銀法は、大蔵省改革の流れで実現し、日銀が勝ち取った独立性ではなかった。速水優日銀総裁時代には、頑張って独立性を示さなければならないと、必要以上に政府と対立してしまい、結果的にそれが、政府への従属に近いような今の状況を自ら招聘してしまったところがある。金融政策は政治プロセスから独立して存在するわけではない。独立性を闘い取った歴史がないため、(独立性を生かす)経験や知恵の蓄積が残念ながら少なかったと思う」
池尾 和人(いけお・かずひと)1953年生まれ。京都大学経済学部卒、一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。95年から慶應義塾大学経済学部教授。経済学博士。金融審議会委員、日本郵政公社社外理事など歴任。現在「スチュワードシップ・コード及びコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議」座長、財政制度等審議会財政投融資分科会長など兼務。著書は「現代の金融入門『新版』(ちくま新書)」、「連続講義・デフレと経済政策(日経BP社)」など。