This Cat Sensed Death. What if Computers Could?
米国のロードアイランド州にある老人ホームでは、オスカーという2歳の白黒ネコが患者の隣で首をのばして体を丸めると、死が迫っているというサインなのだという。数年の間に、オスカーは50人の患者に寄り添って体を丸め、全員がその後まもなく息を引き取ったというのだ。この恐るべき能力を、どのように習得したのかは誰にもわからない。医学雑誌にオスカーのことを書いた筆者はこう記している。「(オスカーのいた)3階では、オスカーの訪問なくして死す者あらず」
この話を聞くと思い出すことがある。32歳の食道がん患者「S」を担当していたとき、抗がん剤治療や放射線治療が効き、食道の切除手術も成功していた彼に最期の迎え方についての話を持ち出したことがあった。もちろん回復を目指すとは伝えたが、再発の可能性がないとも限らないからだ。彼自身がどのように人生を終えたいか、若い妻と2人の子ども、母親と腹を割って話してみては、と話すも、Sは嫌がった。
一度は回復したが、がんは怒濤のように再発した。退院2カ月後に診察に来たときには肝臓、肺、骨にまでがんは転移していた。Sは人生最後の数週間をほとんど昏睡状態で過ごし、ベッドを囲む家族のこともわからないほどだった。彼の母親は、Sの予後の判断を誤ったと私を責めた。医者というのは、患者の死を予測するのにひどい実績しか持ち合わせていない。死は、私たちにとって究極のブラックボックスなのだ。
末期の患者1万2000人以上を対象にした調査では、死期を正確に予測できた医者もいれば3カ月近く外す医師もいて、ばらつきが大きかった。
それなら、アルゴリズムに死を予測させることはできるだろうか。2016年後半、スタンフォード大学でコンピューターサイエンスを専攻する大学院生のアナンド・アバティと医学部生の小チームは、定められた期間内に亡くなる可能性が高い患者を認識するようアルゴリズムに学ばせた。3〜12カ月以内と限られた余命で患者をとらえることで、医者はより適切に、より血の通った医療行為ができるようになる。患者にとって何が有効なのかを求めてカルテを洗い出す必要もなくなるのだ。
アバティらはがんから神経性疾患、心臓や腎臓の機能不全まであらゆる病状の患者20万人を対象に研究を進めた。目指したのは、病院の医療記録をタイムマシンのように使うことだ。たとえば17年1月に亡くなった人で、緩和ケアが最も有効だったはずの16年の1月から10月までの間に時間を巻き戻せるとしたら?
医者が3〜12カ月の間で死を予測できるような情報を集め、それをアルゴリズムに教え込むために、アバティは診察結果やCTスキャンの回数、入院日数、治療の手順、処方箋など患者に関する基礎的で客観的な要素を利用した。アルゴリズムの任務は、患者がその期間内に亡くなる確率を割り出すために情報一つ一つの重みや強度を総合的に判断すること。この「死のアルゴリズム」に16万件近い患者情報を読み込ませ、残りの4万人分でテストをすると、3〜12カ月以内に亡くなると予測された患者10人のうち9人が実際にその期間内に亡くなった。そして死の確率が低かった患者の95パーセントは12カ月以上生き延びた。
人が亡くなる過程について、アルゴリズムは何を「学び」、何を医者に教えられるのだろうか。これはディープラーニングの問題点で、アルゴリズムは学ぶことができても、なぜ学べたのかを伝えることはできないのだ。自転車に乗れるようになった子どもがそうであるように、「なぜ」と問うてもキョトンとされるだけ。これもまた、死と同様にブラックボックスなのだ。
もしもより洗練されたアルゴリズムが登場したら、Sが家族と交わし得なかった最期を迎えるための会話もできただろう。一方で彼らが人間以上に人間の死の傾向を理解しているなんて、薄気味悪くもある。いっそのこと、白と黒の毛で覆ってみたらどうだろう?
数値を吐きだすよりも、そばで丸まってくれる存在の必要性を、思わずにはいられない。
(シッダールタ・ムカジー、抄訳 菴原みなと)© 2018 The New York Times
Siddhartha Mukherjee
NY在住のがん専門医。2011年、『病の皇帝「がん」に挑む』でピュリツァー賞一般ノンフィクション部門を受賞。
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