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エチオピアとケニア GDP逆転で思うこと

アフリカ@世界
渋滞するケニアの首都ナイロビの道路

エチオピアがケニアを抜く

アジアにおいて長年、最大の経済規模を誇ってきたのは日本だったが、国際通貨基金(IMF)の米ドルベースの統計によれば、中国の国内総生産(GDP)総額(名目値)は2010年に日本のGDP総額を凌駕(りょうが)し、中国はアジアで最大、世界では第2位の経済大国となった。中国が米国をも抜いて世界最大の経済大国になる日が来るか否かは分からないが、少なくとも日中のGDP規模の差は今後、拡大し続けていくと予想されている。

筆者が専門としているアフリカでも近年、国家の経済規模を巡って逆転が起きた。東アフリカのエチオピアのGDP総額がケニアのそれを凌駕し、ナイジェリア、南アフリカ、アンゴラに次ぐサブサハラ・アフリカ第4の経済パワーとなったのである。

渋滞するケニアの首都ナイロビの道路

英国植民地から1963年に独立したケニアは西側資本を積極的に誘致し、60~70年代に高度成長を謳歌(おうか)した。首都のナイロビには西側企業が続々と進出し、ナイロビは外国企業がアフリカ進出する際の玄関となった。

それだけではない。ケニアにはライオン、ゾウ、キリンなどの野生動物が多数生息している。ケニア政府は自然保護区(国立公園)を設定し、野生動物を観光資源とすることにも成功した。車に乗りながら野生動物を見て歩く「サファリ・ツアー」は一大産業に成長し、ケニアは世界中から毎年100万人以上が訪れる観光大国にもなったのである。

この結果、ケニアは近年まで、サブサハラ・アフリカではナイジェリア、南アフリカ、アンゴラに続く第4のGDP規模を有してきた。

一方、ケニアの北側に位置するエチオピアは長年、皇帝による独裁政治下にあった。74年の革命で帝政は打倒されたが、新たに成立した社会主義政権の下で経済は停滞し、内戦が勃発した。社会主義政権は91年に崩壊したが、内戦で国土は荒廃し、2000年時点のケニアとエチオピアのGDP総額(名目値)を米ドルベースで比較すると、ケニアの約141億ドルに対し、エチオピアは約82億ドルと大きな差があった。

エチオピアの「カイゼン」

ところが、エチオピアでは新たに権力の座に就いた与党・エチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF)のメレス首相(首相在任1995~2012年)の下で、着々と国づくりが進んだ。それは、南アフリカを除けば地場の製造業がほとんど未発達なアフリカにおいて、製造業中心の経済発展を志向する極めてユニークなものであった。

メレス首相は、第2次大戦後に製造業の成功で経済大国となった日本に強い関心を示した。エチオピアには現在、日本語の「改善」に由来する「エチオピア・カイゼン機構」と称する政府機関が存在する。トヨタ自動車の生産方式に強い関心を示したメレス首相の肝煎りで、製造業の生産効率を上げるために設立された組織だ。

メレス氏は2012年に現職のまま57歳の若さで亡くなったが、エチオピアの製造業はその後も着々と発展している。その象徴が、アフリカでは他に類を見ない外国企業向け工業団地の建設だ。08年に首都アディスアベバの南方で最初の工業団地 が竣工したのを皮切りに、既に三つの工業団地(官営2、民営1)が稼働している。操業の中心はインド、トルコ、中国の企業で、3カ国の企業だけで約1500社以上が投資を認可され、縫製、皮革、自動車組み立て、食品加工などの約500社は既に操業している。

エチオピア政府は今後5年間に工業団地を計12ケ所に増やす計画で、二つは建設中、五つは建設業者が決まり着工待ちだ。最初に完成した工業団地だけで5万人が雇用されており、政府は最終的に200万人を製造業で雇用する構想を描いているという。

移りゆく東アフリカの経済的盟主

製造業の振興に注力してきた結果、エチオピアは04年から11年まで8年連続の2桁成長を達成した。16年の実質GDP成長率は8%。一方のケニア経済も13年以降、5~6%台の安定した成長を続けているが、エチオピアの勢いには及ばない。

この結果、両国のGDP総額(名目値)をドルベースで比較すると、15年にはケニア約636億ドル、エチオピア647億ドルとほぼ肩を並べ、16年にはケニア689億ドル、エチオピア725億ドルと逆転した。

IMFは22年までの両国の実質成長率について、エチオピアは毎年7%台、ケニアは5~6%台と予測しており、両国のGDP規模の差は徐々に拡大する見通しだ。人口をみても、国連推計でケニアが約4850万人(16年)なのに対し、エチオピアは同年に1億人を突破し、アフリカ第2の人口大国になった。経済規模で見る限り、東アフリカの経済的盟主の座は徐々にケニアからエチオピアに移っていくだろう。

だが、GDP規模が巨大になり、街に高層ビルが林立し、高級車が走り回っていれば、それでよいのか、と筆者は思う。
 エチオピアで15年5月に行われた総選挙(人民代表議会選)では、1991年から政権の座にある与党EPRDFが定数547のうち500を獲得した。政権は選挙前に独立系のメディアを激しく弾圧し、野党関係者の逮捕も相次いだことから米国や欧州連合(EU)は選挙監視団を派遣しようとしたが、エチオピア政府は米欧の監視団を一切受け入れなかった。これらの「状況証拠」からして、公正な選挙が行われたとは到底思えない。

抑圧の上の「安定」「成長」

エチオピアには80以上の民族が住んでいるが、与党EPRDFの中枢は人口の6%程度に過ぎないティグレ人に事実上支配されている。一方、人口の3割強を占めるオロモ人は激しい弾圧対象となっており、2015年11月に頻発したオロモ人の反政府抗議デモは、政権によって力で抑え込まれた。エチオピア政府は否定しているが、国際人権団体によると、オロモ人を中心に500人以上が治安当局に殺害された。米国の国務省が毎年発行している「人権報告書」は、エチオピア治安当局による令状なしの市民の勾留、拷問など深刻な人権侵害事案を毎年のように報告しており、16年版報告書では1万人以上が政治犯として身柄を勾留されていると報告している。

端的に言って、エチオピアの「安定」も「成長」も、国民の口を封じる政治の上に成り立っているのである。

一方、GDP規模ではエチオピアに抜かれたケニアの政治状況はどうだろうか。ケニアにも当局による人権侵害は存在するし、07年の大統領選挙の際には政権による不正が行われたことも確実だ。だが、02年の民主化以降、ケニアには強力な野党や独立したメディアが存在し、エチオピアに比べればはるかに「言論の自由」が社会に定着している。

ケニアでは8月8日に大統領選が行われる予定であり、現職のケニヤッタ大統領の再選が濃厚な状況だが、少なくとも野党活動家やジャーナリストが次々と逮捕されるようなことは想定できない。政治指導者から末端の庶民まで国民一人ひとりの間で基本的人権の意識が内面化され、言論の自由を柱とする市民意識が国民文化として共有されているという点では、ケニアはエチオピアよりもはるかに優れた社会と言って差し支えないだろう。

アフリカには、本稿で紹介したエチオピアのように、体制による強力な締め付けによって、かろうじて政治的安定を達成し、経済成長を遂げている国が少なくない。そうした中、GDP規模ではエチオピアの後塵(こうじん)を拝することになったとはいえ、ケニアのような自由と民主主義が定着している国の存在は重要である。ケニアの人々は、これを誇りとして守り抜いて欲しい。また、エチオピアにも自由と民主主義の隊列に加わって欲しいし、日本としても体制による人権抑圧に対しては、毅然(きぜん)と「ノー」と言いたいと思う。我々もケニア同様、隣国にGDP規模では抜かれたが、体制による人権抑圧に抗議する芸当は、我々に出来ても中国にはできないのである。