今作は、米同時多発テロが起きた2011年9月11日朝、ニューヨークの世界貿易センターのエレベーター内で起きた実話を元にした2010年の舞台劇『Elevator(原題)』の映画化だ。ウォール街の億万長者ジェフリー(チャーリー・シーン、52)が、北棟の弁護士事務所で妻イヴ(ジーナ・ガーション、55)との離婚協議を終えて帰る途中、ともにエレベーターに乗り込む。金持ちの年上男性に別れを告げに来た若いロシア人女性ティナ(オルガ・フォンダ、34)、アフリカ系のバイク便メッセンジャー、マイケル(ウッド・ハリス、47)、ヒスパニックのビル保全技術者エディ(ルイス・ガスマン、61)と乗り合わせた、38階あたりに来たところで強い振動とともにエレベーターが止まる。エディがエレベーターの通信装置を使って同僚メッツィー(ウーピー・ゴールドバーグ、61)とようやく連絡をとり、飛行機が北棟に激突したと知る。続いて南棟に別の飛行機が激突、事故ではないと感づく一同。だがエレベーターはロックされたまま。5人は協力して脱出を図りつつ、立場の違いからいさかいも起きる。
ギギ監督によると、舞台劇は「異なる背景を持った人たちがエレベーターで居合わせ、その違いと向き合いながら生き延びようとするさまを描いている」という。「人種や肌の色、文化や信条の違いを超え、生き延びようという点ではみんな突如として平等になる、舞台劇のそうした観点に惹かれた。どんなにお金があっても自由を買うことはできない。こうした逆境のもとでは、金持ちも貧者も関係ない。最も大事なのは人間の命だ」」とギギ監督は話した。
舞台劇では富裕な白人とビル保全技術者、イスラム教徒が登場するが、映画はヒスパニックとアフリカ系を加えて「より多様性をもたらした」。アルゼンチン出身のギギ監督らしい脚色だ。裕福なジェフリーに反発するセリフが飛び交うほか、英語風のニックネームを名乗るヒスパニックのエディにアフリカ系のマイケルが嫌みを言うなど、格差問題や、非白人層の間で起きがちな相克も描いてとてもリアルだ。そう言うと、ギギ監督は「その通り!」と言い、「多様性による対立を描くのは重要だと思った」と語った。
エレベーターでの対立や会話は、チャーリーや、クリエイティブ・コンサルタントとして迎えたチャーリーの兄エミリオ・エステベス(55)らとも膨らませたという。
ギギ監督は今作の製作をプロデューサーから持ちかけられた当初は、引き受けるかどうか躊躇したそうだ。「今はそんな時期ではないと思ったし、9.11の物語はある種の聖域だと思ったからだ」とギギ監督は言う。
だが、犠牲者や遺族100人以上についてリサーチを重ねるうち、「非常に心が痛むけれど、やはり今やるべきだと思うようになった」という。ギギ監督はリサーチの中で、娘を失ったタクシー運転手に出会った。「娘と朝食をともにしようと世界貿易センターの上階のレストランへ行き、注文後に財布を地下駐車場の車に忘れたのに気づいて1人、下へ降りた。そこへ飛行機が突っ込み、彼は娘を失った。とても心痛む、つらい物語だ」
そんな悲劇に接するにつれ、ギギ監督は、「勇気をもって恐れず、この物語を世に出すべきだと思った」。共同で書いた脚本は、チャーリーの配役を念頭に当て書きした。
だがオファーすると、チャーリーも当初、受けるのをためらったという。
チャーリーといえば、『プラトゥーン』(1986年)に『ウォール街』(1987年)、『エイトメン・アウト』(1988年)、『メジャー・リーグ』(1989年)と、1980年代にはヒット映画に立て続けに出演、日本でもブレークした人気俳優だ。米テレビドラマシリーズ『スピン・シティ 』(1996~2002年)ではゴールデングローブ賞テレビシリーズ(コメディ・ミュージカル)部門で主演男優賞を受賞。だが一方で、妻への暴行容疑での逮捕や数々の暴言などが続き、トラブルメーカーとして取り上げられるようになる。主演した米テレビシリーズ『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』(2003~2015年)は、チャーリーがラジオ番組などで製作総指揮者を悪しざまに語ったことなどから打ち切られた。9.11についても2006年、「世界貿易センターは人為的な爆破で崩壊した」とする陰謀論をラジオ番組で展開、米国で大きな批判を浴びた。かつてのようなシリアス作品への出演は激減し、最近はコメディドラマ出演か、ゴシップ紙を賑わす常連としてのイメージが強くなっていた。
そんな彼が、批判を再燃させそうな9.11の映画に敢えて主演するのはかなり勇気が要ったのではないか。そう言うと、ギギ監督は「そう。でも映画『ウォール街』でのチャーリーから連想し、彼なしではできないと思った。そこで、脚本にもう一度目を通してほしい、と伝え、直接会って話をした。彼はカムバックにふさわしい、取り組むべき物語に出あうまで長年待っていたそうだが、100%自信がなかった。でも次第に、これこそが、再び取り組むべき映画だと言ってくれた」と説明した。
案の定というべきか、今作の製作について報じられると、ツイッターや米メディアでは批判が巻き起こった。
「陰謀論を展開したチャーリー・シーンが主演なんて、冗談でしょ」といった書き込みも目立ったためだろう、チャーリーは9月の米国での公開前日、米誌ハリウッド・リポーターの取材に釈明した。「9.11についてのコメントは自分で考えたのではなく、賢い人たちが言っていた話をなぞっただけだ。不快にさせたとしたら、謝る」として、今作を通して米同時多発テロを振り返る意義を訴えた。
ただ、批判を子細に読むと、チャーリー云々以上に、アメリカ人がこのテロの惨劇そのものをもはや直視したくなくなっている面もあるのかもしれない、と感じた。米誌ハリウッド・リポーターは「犠牲者を利用している」との批評を掲載。米紙ニューヨーク・デイリー・ニュースでは、テロで消防士の息子を亡くした女性が「私が見たいと思った9.11映画は、(テロ首謀者とされる)オサマ・ビンラディン殺害場面が出てくる『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012年)だけ」と実名でコメントしていた。
米同時多発テロから間もない2000年代は、こうした反応は少なくとも見当たらなかった、とチャーリーも米誌ハリウッド・リポーターに語っている。ハイジャックされた4機のうち、唯一目標に到達しなかったユナイテッド航空93便の機内の様子を丹念に再現したポール・グリーングラス監督(62)の『ユナイテッド93』(2006年)は批評家から絶賛された。世界貿易センターで救助にあたった警官たちを描いたオリバー・ストーン監督(70)・ニコラス・ケイジ(53)主演作『ワールド・トレード・センター』(同年)は、同時多発テロ発生時のニューヨーク市長、ルドルフ・ジュリアーニ(73)らを招いて大々的にプレミア上映され、ニューヨーク市警なども好意的に反応した。
だが最近は、テロ当日の惨事そのものを描いたフィクション映画自体、あまり多く作られていない印象だ。どちらかというと、『ハート・ロッカー』(2008年)や『ゼロ・ダーク・サーティ』、『アメリカン・スナイパー』(2014年)など、イラク戦争をはじめとするその後の米軍の対テロ戦争を描いた作品が目立つ。アカデミー賞で作品賞と助演男優賞にノミネートされた『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2012年)では劇中、アスペルガー症候群の少年の父(トム・ハンクス、61)が世界貿易センターのビル崩壊で亡くなるが、テロ現場そのものはあくまで後景で、惨事を詳しく描出するわけではない。かつ、この作品にしてすでに、批評家の賛否も分かれていた。
つまり、発生まもない時期はまだ、当日何が起きたか知りたい人々の欲求にこたえる意義が今以上に大きかったのが、年を経るにつれ、アメリカ人にとっては自国の本土が攻撃された史上最大規模のテロの惨劇そのものは直視することなく距離を置きたい、だったら対テロ戦争や米軍について考えたい、と思うようになったということだろうか。そう言うと、ギギ監督は考えをめぐらせながら、「そうだね」と語った。
そのうえで、ギギ監督は言った。「それでも、私たちはこのできごとを忘れることはできないし、米同時多発テロを知らない未来の世代にとっても、何が起きたか感じ取ってもらうのは非常に大事なことだと思っている。自分が命を落とすことになろうとも他者に手を差し伸べたヒーローたちの最後の瞬間を描くことで、遺族が癒される場合もあるし、また将来の世代が正しい選択をするためにも、歴史を振り返るのは必要だ」