■朝日新聞編集委員・宮代栄一
私は「時代劇」が好きだ。
「水戸黄門」は、東野英治郎が主役を務めた第1シリーズ(1969年放映開始)から見ていたし、「暴れん坊将軍」も、放映終了まで25年間見ていた。
そんな私にとって、42年間続いた「水戸黄門」のシリーズが2011年に打ち切りになってしまったことは、ショックだった。
「視聴率がとれない」のが理由としてあげられたが、時は韓流ブームの最中。日本でも朝鮮王朝時代を舞台にした韓国版の時代劇が放映され、人気を集めていた。「韓国では時代劇が盛んなのに、どうして……」と、恨みがましい思いを抱いたのを記憶している。
あれから6年がたったが、日本のテレビ時代劇は、NHKを除き地上波は依然低調で、BSやCSの特番で息をついている状況である。
なぜ、日本の時代劇はこんなに低調になってしまったのか。ほかの国の歴史ドラマは一体どんな状況なのか。
過去に形を借り現代を描く―韓国―
最初に向かったのは韓国である。
99年以降、視聴率50%超の番組「宮廷女官チャングムの誓い」などを世に送り出し続けてきた、韓国テレビ時代劇の巨匠イ・ビョンフンを訪ねた。ソウルの古いオフィスビルの一室で、監督が手ずから入れてくれたお茶を飲みながら話を聞いた。
韓国では時代劇ないし歴史ドラマ(「史劇」と呼ぶ)は決して廃れてはいなかった。「最盛期ほどではないが、現代ドラマが数%程度しか視聴率をとれない今でも、時代劇ならまだ十数%はとれる」とイは語る。「何より、外貨獲得のコンテンツとして有力だ」
イによると、時代劇で外貨を稼ぐという図式は03年から放映された「宮廷女官チャングムの誓い」あたりから確立されたらしい。「チャングムはアジアをはじめ、世界中で放映されている。世界で受けるだけの要素が韓国時代劇にはあるのだと思います」。実際、時代劇を含む韓流の放送コンテンツは、12年には2億3400万ドルもの外貨を稼ぎ出している。
日本と比べて国内市場が小さいこともあり、韓国はグローバル化した世界で生き残るため、「外」に打って出ることを選んだ。その先頭がサムスンや現代自動車といった企業だが、時代劇もまた、生き残るため外に目を向けたのだ。
イは、「韓国テレビ時代劇の革新者」と言われている。それまでの時代劇は韓国で一般的だった白い平服を着て演じられていたが、監督は99~00年の歴史ドラマ「ホジュン 宮廷医官への道」で、衣装に色鮮やかな韓服を取り入れた。音楽も伝統的な音楽ではなく、現代風に切り替えた。物語の展開もテンポを早めた。
もう一つ、気を配ったのは庶民を主人公に据えること。
90年代以前の韓国時代劇は、王族や歴史上の偉人を主役にした一代記的な作品が多かった。それが「ホジュン」以降、宮廷などが舞台にはなるものの、無名の医官だったり側室の一人だったりする人物が主役にとりあげられるケースが増えてくる。「普通の人である彼らを主人公に据えることで、見る人に親しみをもってもらえる」とイは語る。
そんな監督の最新作は昨年MBCで放映された「獄中花(邦題は「オクニョ 運命の女」)」である。監獄内で生まれた少女が弁護人となり、宮中の陰謀と闘う話で、日本でもこの4月から放映が始まっている。「獄中花では、私としては初めて、まったく歴史記録にはない主人公を創造した。少女が朝鮮王朝に渦巻く陰謀とどう闘っていくか。それを見てほしい」
フュージョンで若者にも浸透
一方で、イ・ビョンフンの作品については、「おもしろいが、勧善懲悪で古めかしい」と批判もある。そのせいか、主な視聴者層は40~50代と比較的高めだ。
では、若い年齢層はどんな時代劇を見ているのか。「フュージョン時代劇」と呼ばれる新しいジャンルがそれにあたる。
フュージョン時代劇の定義は人によって異なるが、韓国時代劇に詳しい、忠南大学教授のユン・ソクチン(シナリオ論)は「おおまかな時代背景は踏まえながらも、史実にとらわれず、自由なドラマづくりをすることが特色」と言う。
たとえば、11年放映の「王女の男」は15世紀のクーデター事件に題材をとった恋愛ドラマだが、必ずしも史実にこだわっていない。
こうした作品は、「ファクション」(ファクトとフィクションを合わせた造語)とも言われている。「現代人が過去にタイムスリップして歴史上の偉人になるといった、舞台を過去に設定しただけの現代的作品も少なくない。もっともそのおかげで、若者も時代劇を大きな抵抗なく受け入れている」
韓国時代劇の特徴とは何なのか。ユンが指摘したのは「同時代性」と「政治性」だった。
ユンによると、歴史上の偉人伝のようなものから庶民を描くようになるなど、韓国時代劇が変わっていく中で、「過去に形を借りながら、現代を描くようになってきた」という。「現代劇では直接表現しづらいことも、過去の話という仮定でなら、思い切ったことを言える場合がある」
ユンは、こんなことも語った。「朝鮮王朝に大きな改革をもたらした正祖王が主人公のドラマ『イ・サン』が放映された07~08年は、盧武鉉大統領が政治改革を推進していた時期だった。製作者に彼を応援する意図があったかどうかはよくわからないが、韓国の時代劇の多くは、その時々の時代相を写し取っている」
こんなふうに考えると、無実の庶民を助けようと奮闘する朝鮮王朝の弁護人を主役にした、イ・ビョンフンの「獄中花」が、行われるべき正義が行われず、市民が政府に憤っていた朴槿恵政権後半の韓国の姿を写し取っているように思えてきた。
過去を舞台に現代を描くスタイルは、日本にもあった。
芝居の世界では古来、その時々のできごとを過去の時代に仮託して、舞台にかけるということが行われてきた。たとえば、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にしても、18世紀に起きた浅野内匠頭の松の廊下の刃傷事件に端を発するいわゆる「赤穂事件」をモデルにつくられた作品なのに、劇の時代は室町時代。敵役も吉良上野介ではなく、室町幕府の初代将軍・足利尊氏の執事を務めた高師直になっている。歴史的にみれば、江戸時代の芝居も読み本も、庶民の娯楽であると同時に政治批判のツールだったのだ。
韓国では、そんな伝統がまだ息づいているのだな……。納得した私は、次の国に向かうことにした。
王室が舞台、国民の関心反映―英国―
次に向かったのは英国である。この国を選んだのは、この国が公共放送のBBCなどを中心に、ヨーロッパではダントツに多い数の歴史ドラマ(時代劇)を製作しているからだ。
古代ローマ帝国の興亡を描いた大作「ROME」(英米合作)をはじめ、最近は英国貴族の館を舞台にした「ダウントン・アビー」(ITV)、小説『三銃士』をアレンジした「マスケティアーズ」(BBC)など、日本でも知られている作品が少なくない。
最初に訪ねたのは、フィルムスタディーズが専門のベレン・ヴィダルだった。テムズ河畔に近いロンドン大学のキングスカレッジで講師を務めている。
ヴィダルによると、テレビ、映画を含めた英国の歴史ドラマの特徴は「王室を描いた作品が極めて多いこと」だという。
確かに、21世紀に入ってからでも、18世紀のヴィクトリア女王の半生を扱った「ヴィクトリア女王 世紀の愛」(09年)、英国王ジョージ6世と言語療法士の友情がテーマの「英国王のスピーチ」(10年)など、びっくりするくらいに多い。「歴史ドラマ」といえるほど古くはないが、現在の王家ウィンザー家の歴史を扱った番組やダイアナ元皇太子妃を扱ったものも多い。
「これほど多くの作品が作られるのは、英国王室が歴史的な部分を含めて、国民の強い関心を集めているから。描き方も冷静なものから扇情的なものまで様々ですが、いずれにせよ、この国の歴史ドラマの核に王室があるといって過言ではありません」。英国ではロイヤルファミリーのあらゆる動向が、いつも国民の高い関心を集めており、スキャンダルめいた記事も含め、タブロイド紙の一面を飾ることも珍しくない。
これに比べると日本は、NHK大河ドラマなどの登場人物の一人として、たとえば後醍醐天皇や明治天皇が出てくることはあっても、皇室が主役のドラマが製作されることはまず考えられない。そのあたりは、王室(皇室)に対する両国民の距離感の違いが、時代劇にも反映されているということなのだろう。
人物の暗い面も描く
次に会ったのは、BBC製作の「マスケティアーズ」で総指揮のエイドリアン・ホッジスと共に、演出を担当したエドワード・ベネットだ。
「三銃士はこれまで何度となく映像化されてきて、冒険活劇としてもよく知られている。それを今の時代に新しく作るとすれば、当然、何か違うものが必要になる。そのことは強く意識した」とベネットは話した。
目指したのは、原作などではあまり詳細に描かれていない銃士たちの個人的背景や内面の葛藤などを深く描くこと。「たとえば三銃士の一人であるアトスについては、強い後悔の念を抱く人物として表現した。人間は善悪が簡単に割り切れる存在じゃない。こういう登場人物の暗い面(dark side)までを描くことが、現代の歴史活劇には必要だし、それによって作品にも深みが増す」
また、同じく三銃士の一人であるポルトスについては、フランス人の父と黒人の母を持つという設定が初めてなされた。ネットなどでは、多様性(diversity)を踏まえたとして話題になった。
米国でも、建国の父の一人アレクサンダー・ハミルトンの生涯を描いたミュージカルで、主要な役を白人以外のマイノリティーが演じて話題になった。歴史を描いた作品でも、現代社会のあり方や価値観が反映されるということか。
ただ、ベネットに聞くと、こういうことだった。「あれは、ポルトス役の俳優ハワード・チャールズが実際にアフリカとヨーロッパ双方にルーツを持つので、それを生かしただけなのだが……。ポルトスが自らの出自に悩むエピソードが加わったせいで幅が出たのは事実だね」
英国人にとって歴史ドラマとはどんな存在なのだろう。ベネットはこう語った。
「チョコレートボックスのようなものだと思っている。リビングルームに、私たちの暮らしに普通にあり、ないと寂しいもの。ドラマで一番大切なこと、それはチョコレートのように、気軽に楽しめることさ」
一方私は、こんなことを思った。
英国のドラマで「王室もの」が好まれるのは、王室への関心もさることながら、大英帝国の過去の繁栄とその時代への郷愁もあるのではないか。世界帝国への礎をつくったエリザベス1世や、19世紀の隆盛期を体現したヴィクトリア女王などがしばしば素材になるのは、そうした郷愁のためだろう。
低調の時代劇、復活なるか―日本―
韓国と英国で話を聞いて、やはり時代劇(歴史ドラマ)には「その国ならでは」のものが顔をのぞかせていると感じた。
では、私たちのお膝元、日本はどうか。時代劇を肌で感じるべく、それを象徴する二つの場所を訪ねることにした。
まず訪れたのは「時代劇塾」だ。「水戸黄門」「大岡越前」などの名作を撮ってきた監督・井上泰治が主宰する実践的ワークショップで、月1回、塾生が集まって本(台本)読みと立ち稽古をしている。この日の会場は東京都杉並区の貸しスタジオだった。
この日の参加者は10人弱。井上はせりふ回しを、細心の注意を払って指導していた。
「そこで『○○だ~』ってのばすんじゃないよ。日本語ってのは本来、語尾は止まるんだ」「また語尾があがってるよ。そこは下げる。下げて止まるんだよ」。何度となくダメが出される。
しぐさについても、「着物を着たら、着物なりの動きしかできないんだ。たとえば袖口をはだけたまま、すっと手を上げることなんかできないでしょうが」と厳しい。
「稽古に来ているのはあちこちの劇団員や事務所に所属する役者たちです。たとえ、すぐに時代劇に出演する機会がなくても、せりふや立ち居振る舞いを学ぶことでステップアップにつながると考える人が多い」と、とりまとめ役の杉本茂は話す。
確かに、わきで聞いているだけで、普段使っている私自身の日本語がいかにおかしいかを痛感させられた。正しい日本語と時代劇らしいせりふ回し、着物に沿った立ち居振る舞い……。チャンバラシーンこそ見ることはできなかったが、伝統を守り続けようとする強い意志と、決まった型(定型)の美しさを感じることができた。これは日本の時代劇の特徴といっていいだろう。
次に訪れたのは、東映の京都撮影所だ。数多くの時代劇が撮影されてきた、いわば「聖地」。製作部次長の高橋剣から話を聞いた。
実は高橋は、日本時代劇振興のため、09年から世界各地の時代劇映画(歴史映画)を上映する「京都ヒストリカ国際映画祭」を京都市内で開催している。この場合の「歴史映画」とは、近代以前ないし、階級社会が色濃く残っている時代を扱っている映画のことを指す。
これまでに百数十本に及ぶ歴史映画を紹介してきた高橋によると、「歴史映画に、国ごとの色というのは歴然としてある」という。
たとえばドイツの歴史映画は、ナチスドイツの時代を扱ったものが圧倒的に多い。「非常に厳しい視線で、あの時代をしっかり見つめようという意志を感じる」という。
米国では、歴史ものといえば、西部劇や南北戦争が頭に浮かぶ。ただ、「荒野の七人」が黒澤明の「七人の侍」を元にしたように、米国には日本の時代劇の影響を受けた映画も少なくない。
たとえば、「キル・ビル」に見られる主人公の太刀使い。日本の殺陣の要素を取り込み、その危うさを増幅している。「47RONIN」にいたっては設定からすべて「忠臣蔵」を下敷きにしている。「日本の時代劇の持つエキゾチックさを生かしつつ、アクションをより昇華させようとしているように見受けられる」と高橋は話す。
では、高橋の考える、日本の時代劇の特徴とは?
「それは『何でもあり』ということでしょうね」
日本の時代劇は時に映画を、時にテレビを主戦場にしながら多彩な変化を遂げてきた。
「コメディーもあれば、サスペンスもある。ファンタジーもあれば、史実に忠実な作品もある。時代劇というジャンルに、これだけのバリエーションがある国はほかにないと思います」と高橋は話す。
私が最近印象に残ったのは、今年放映された「猫忍」(tvkなど。20日から映画公開)だ。猫を自分の父親の変化した姿だと思い込む忍者が主役のテレビドラマだが、「猫ブーム」という最近のはやりをおさえつつ、忍術のシーンなどはマンガをみるよう。それでいて、ホームドラマのようなほんわりした感じも漂い、まさに今の時代劇だと感じた。
そして、日本の時代劇もまた、何らかの形で時代を反映しているといえそうだ。たとえば、私が幼少期に見た60年代の「素浪人 月影兵庫」や「素浪人 花山大吉」は明るい素直な笑いが特徴の、まさに高度成長期らしい作品だったし、権力と対峙する渡世人が主役の「木枯し紋次郎」が放映された72年は、60年代末にピークを迎えた学生運動が終わりを迎え、あさま山荘事件が起きた年だった。
「皆が求めるもの」を模索
では、そんな日本の時代劇がどうして低調になったのだろう。
井上は「皆が求めるものを作ってこられなかったから」と話してくれた。
ベネットが語ったように、時代劇は、突き詰めれば、娯楽である。であるがゆえに、そこにはその時の人々が本当に求めているものが反映されている場合が多いし、そうでなければヒットはしない。
歌舞伎に代表されるように、もともと日本には、決まった型の芝居を決まったように楽しむ文化がある。黙っていても「あ、この次はこうなるんだ」とわかる。それをわくわくしながら待ち、時に大向こうから「よっ、日本一」と声をかける、そんな楽しみ方だ。
「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」などの数十年続いた時代劇は、実はいずれもそんな要素をもっている。「この紋所が目に入らぬか」という決めぜりふと、その後に悪人が黄門様の前でひれ伏すシーンがその典型だろう。
だが、善悪はっきりした登場人物がチャンバラで雌雄を決し、最後は勧善懲悪で決着する物語ばかりを見ていると、さすがに飽きる人も出てくる。
英国の歴史ドラマが、主人公たちの暗い面まで描くことには現代ならではの視点を感じたが、これとは対照的だ。
時代劇が下火になった遠因は、そんなところにあるのではないか。それは、日本の時代劇が、伝統と定型を重視してきたゆえの、反作用だったと言えなくもない。
「低調」と言われて久しかった日本の時代劇だが、実は近年、フュージョンの波が押し寄せつつある。タイムスリップした高校生が戦国武将・織田信長になる「信長協奏曲(コンツェルト)」(14年ドラマ放映、16年映画公開)は脱力系の信長像が衝撃的だったし、今夏公開の映画「銀魂」は天人と称する宇宙人に支配された時代の侍たちが活躍する奇想天外なストーリー。時代劇の泉が枯れたわけでも、ファンがいなくなったわけでもない。
私がイ・ビョンフンに「いま、日本の時代劇は元気がないと言われています。どうしたらいいんでしょう」とソウルでたずねた時、彼はこう答えた。
「とらわれず、まずは自由に作ってみればいいんだよ。みんながみんな大河ドラマを作る必要はないんだから」。その通りだと思う。
(文中敬称略)
【暴れん坊将軍】
紀州徳川家の四男として生まれた新之助(松平健)は、兄が相次いで亡くなったことから家督を相続。やがて徳川幕府の8代将軍となったのちも、貧乏旗本の三男坊・徳田新之助を名乗り、お忍びで江戸市中を視察。庶民の思いを幕政に生かそうとする。決めぜりふは居直る悪役に発する「余の顔を見忘れたか」と、配下のお庭番に命じる「成敗」。1978年から2003年まで、12シリーズにわたり放映された。
【獄中花】(「オクニョ 運命の女」)
16世紀の朝鮮王朝中期、現在の監獄にあたる典獄署で産みおとされた少女オクニョ(チン・セヨン)は、幼いころから、囚人たちの話す様々な知識を吸収するたぐいまれな才能を持っていた。成長したオクニョはやがて弁護人となり、宮廷を揺るがした陰謀を解きあかす。韓流歴史ドラマのメガヒットを生んできたイ・ビョンフン監督の最新作で、韓国では2016年に放映。日本でもNHKで放映された。
【マスケティアーズ】
ダルタニアン(ルーク・パスカリーノ)はフランス国王の銃士隊(マスケティアーズ)に入隊するのを夢見てパリに上京。すでに銃士として頭角を現していたアトス、ポルトス、アラミスの3人に出会う。彼らと友人になったダルタニアンはルイ13世の妃を助けたり、隣国スペインの陰謀を暴いたりしながら成長していく。文豪アレクサンドル・デュマの名作『三銃士』を下敷きにBBCが製作した。
【木枯し紋次郎】
笹沢左保の小説が原作で、1972年に放送。無宿渡世の旅をする天涯孤独な紋次郎(中村敦夫)の活躍を描く。77年からの「新 木枯し紋次郎」や単発ドラマが放送されたほか、映画も公開された。
【水戸黄門】
水戸徳川家の2代藩主・光圀は隠居後、徳川幕府の5代将軍綱吉に意見具申をしてきたが、やがて佐々木助三郎(助さん)、渥美格之進(格さん)の2人を供につれ、自ら世直しの旅に出る。決めぜりふは格さんが葵の家紋入りの印籠を手に発する「この紋所が目に入らぬか」。ナショナル劇場(パナソニックドラマシアター)としては1969年から2011年まで放映。主役の黄門役も東野英治郎から里見浩太朗まで5人代わった。
【猫忍】
忍びの掟を破り、生き別れた父親そっくりの猫を飼い始める忍者・陽炎太(大野拓朗)を主人公とする物語。2017年1月から3月に独立局中心に放送された。劇場版も公開。